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<2>
ある日。
やけにテンション高めの、熊の様に大柄な中年男は突然僕の前に姿を現した。
「よう、ちゃんと飯食ってっか~?」
自宅の二階の一番奥の自室でデスクに向かい、ひたすらパソコンと六法全書など数えきれない法曹関係の書籍、数十冊のノートと判例の書かれたファイル、レポートの束(というかもう山)にまみれ、格闘していた僕の前に、突如現れた大男の第一声がそれだった。
「・・・は?」
それに対して発した僕の第一声がその一言だったのだが、突然不法侵入して来た何処の誰とも分からないおっさんに対して、普通はそれ位が妥当だと思う。
(というか、逆にどういう風に反応するのが妥当なのかが分からない)
そのおっさんは一切の遠慮もなく、ずかずかと僕の自室に上がり込んで、どっかと勝手にデスク横の僕のベッドに腰かけた。
「・・・アンタ誰?僕の部屋に勝手に入って来るな」
僕はそれだけを静かに告げ、またパソコンの画面に視線を戻した。
・・・筈だったのだが、おっさんは両手で僕の顔を掴んで方向転換させ、強制的に視線を合わせて来た。
「・・これ以上は暴行罪で訴える」
僕が眼鏡の奥から思い切り睨みつけると、おっさんは「にしし」と子供の様に笑った。
「駄目だなぁ、目の下にクマが出来てる。顔も青白い。どこもかしこも細すぎだ」
結構でかめの声で呟き、急に僕の腕をがっちり掴んだ。
それと同時に思い切り引っ張り上げられた。
「アンタ、何を・・・ちょっと!」
「まあいいから。キッチン何処だ?教えてくれ」
言うなり、無理矢理力任せに僕を引っ張って部屋を出た。
「・・キッチンなら、あそこ」
僕は溜息と共に、二階の階段横に設置されているシャワールームと、その横のセカンドキッチンを指さした。
だが、おっさんは大きな溜息と共に首を横に振り、
「駄目だ、あれじゃ何も作れねえ」
そう言うなり、また僕の腕を強い力でグイグイ引っ張りつつ階下に降りた。
周囲をきょろきょろ見回しつつ、
「キッチン、何処だ?」
と尋ねて来た。
普通ならこの辺で怒り大爆発・・・なのだろうが、僕はこの数日碌に睡眠も食事も摂ってはおらず、怒る気力すらなくなっていた。
だからおっさんの言いなりで、無言でキッチンの方角を指さした。
「よしよし」
おっさんは満面の笑顔で、赤の他人の家のキッチンに入って行く。
・・・僕を引っ張ったまま。
おっさんはダイニングの椅子に僕を強制的に座らせ(というかもう体に力が入らない)、そのままダイニングテーブルに突っ伏した僕の頭を軽く撫でると、
「冷蔵庫の物借りるぞ。まずは腹ごしらえだ」
そう言い、そのまま勝手に冷蔵庫の中を漁り始めた。
「・・・・・・」
その時の僕に、返事を返す気力はもう無く、記憶もそこで途絶えた。
・・・・・それから、どれ位経ったのか・・。
「・・・おい、起きろ。出来たぞ、あったかい内に食え」
強めに身体を揺さぶられ、おっさんの低い声に起こされ、顔をどうにか上げると・・・・。
僕が軽く気を失っていた僅かな間に、チャーハンとみそ汁、レンチンされた冷凍餃子が出来ていた。
「人間はな、食わねえと死んじまうんだぞ?知ってるか?」
おっさんは僕にそう告げ、ポケットの中でずっと唸り声を上げるスマホを手にした。
その直後。
「親父!三木本さんが何度電話掛けたか知ってんのか?!もう直ぐテレビ局で打ち合わせの時間だっつーの!何処に居るのか知らないけど、時間無いから早く行けって!」
僕にも聞こえる程の大きな怒鳴り声が周囲に響き渡り、そのまま一方的に切れた。
その後おっさんが覗き込んだ携帯の画面には、びっしりと”不在着信”の文字が躍っていた。
おっさんは携帯に向けて「スマン!」と手を合わせ、拝む様な仕草をするとそのままスマホをポケットに戻し、
「又飯つくりに来るからな、南 孝生君」
そう僕に告げ、嵐のように立ち去って行った。
「・・・携帯電話に手を合わせたって、なんの御利益も無いってーの・・・・」
そうぶつくさ呟きつつ、スプーンを手にして、一口チャーハンを口にした。
「・・・うま・・」
おっさんの名は「大熊」と云うのだと、深夜に帰宅した母が淡々と僕に告げた。
そして、溜息交じりに「いい加減引き籠るのは止めて頂戴。弁護士以外の仕事がしたいのなら、幾らでも私達が紹介するから」
そう小さく、呟くように告げると部屋を出て行ってしまった。
・・その母の歪んだ表情からは、愛情の一かけらも感じることは出来なかった。
(この人達は・・・何も解ろうとも、してはくれないんだ)
僕はその後、布団に包まりながら、少しだけ泣いた。
おっさん・・大熊さんは、翌日も現れた。
ベッドで布団に包まって眠っていた僕の布団を来るなり突如引っぺがし、
「布団干すぞ~、さっさと起きろ~~!」
そう言うだけ言うと、「シャワー浴びて飯食ってこい」そう言いながら僕を部屋から叩き出した。
僕は仕方なく、一階の風呂に向かった。
(くそ、メガネはベッドサイドだった・・・・)
僕は乱視の為、メガネ無しの景色はぼんやりとしか見えていない。
そのぼんやりとしか見える事の無い目で時計を覗くと・・・もう朝10時だった。
(人によっちゃあ、もう昼だって言われちゃうだろうな・・)
気が利いてる事に、風呂は沸かしなおしてあった。
大喜びで衣類を洗濯機に突っ込んで裸になり、ゆっくりと湯船に浸かった。
(・・何時振りかな、湯船に浸かるのは)
あの一件以来引き籠ってしまった僕は、両親に会うのも恐れていた為、二階に設置されたシャワールームで風呂を済ませていた。
だから、湯船に浸かったのは一年ぶりだ。
そのまま暫く湯船で体の芯から温まり、リラックスしてダイニングに向かうと、ダイニングテーブルには朝食が用意されていた。
焼きたてのトースト、ベーコン付きの目玉焼き、カップスープの粉を溶いただけとはいえ、スープも用意されていた。
キッチンの奥には、淹れたてのドリップコーヒーもあった。
そのコーヒーをマグに注いでいると、大熊さんが二階から降りて来た。
「朝はちゃんと食ったほうが良いんだぞ」
その言葉に、顔を上げた瞬間・・・。
大熊さんが、足を止めた。
まるで、「信じられない物を見た」・・とでも言わんばかりの表情で。
「・・・・百、お前、どうして・・・・・」
「誰、その人」
僕が口を開いた瞬間、大熊さんははっと我に返った。
「・・・あ、ああ・・・そう、だよな・・・・」
途端、しどろもどろの口振りで、視線を逸らした。
僕は無神経に、小さく呟いた。
「・・・どうせ僕が、アンタが昔付き合った彼女に似てたんだろ。一緒にすんな」
大熊さんは途端に顔を真っ赤にして、
「仕方無いだろうが!だったらバスタオルを胸まで巻くな!その長い髪を切っちまえ!!」
・・・確かに、引き籠っていた間ずっと髪を切っていなかった為に、髪が肩の先まで有る。
さっき、風呂で髪を洗っていたら、自分でも
「知らない女がいる・・・誰だ?」
と思わず、鏡に映った自分を睨みつけてしまった。
(眼鏡かけてなかったし、何より僕は女顔だしな・・)
さっきの大熊さんの一言に反論も出来ず、半ばやけくそ気味にトーストにかぶりつくと、大熊さんがまた「がはは」と豪快に笑った。
「ちゃんとよく噛んで食べろよ、足りなきゃ又焼いてやる」
(何が目的で、僕にこんなに世話を焼くんだ?)
・・僕はその疑問を素直に大熊さんにぶつけた。
すると、大熊さんは神妙な面持ちで僕の向かいの椅子に座り、手を合わせて拝むようにして、
「実は、君に家庭教師を頼みたい」
と、僕に願い出た。
流石にその答えは予想していなかった。
思わず、
「・・・は?誰が、何の」
と、聞き返してしまった。
(まさか、こんな年になって・・司法試験とか、言わないよな・・)
「大学受験の、だ」
またもや想定外の答えだった為、思わず大きな溜息と共に、
「そんなの、予備校とか家庭教師のト〇イとか有るでしょ」
とつっけんどんに答えてしまった。
大熊もうんうん頷きつつ、
「それでも良いんだが・・・。俺は君に頼みたい。ほら、俺んところの顧問弁護士の磯貝さん・・知ってるか?あのじーさんから、君の事を紹介されてな」
僕は”磯貝”の名が出た瞬間、ふいに身体を強張らせてしまった。
大熊さんはそれを察知したのか、僕に気遣う様に話を逸らせた。
「ほら、君は弁護士資格、一発で取れるほど頭良いんだろ?」
僕は、(意地の悪い話だが)逸れた話を元に戻してこの大男の出方を窺う事にした。
「・・磯貝法律事務所は、僕がクビになった事務所だから。当然知っていますよ。だったら、貴方も聞いたんでしょう?僕が引き籠った理由」
「・・・・・・ああ」
しばらく俯いてから、小さく頷いた。
その大熊さんの顔が微妙に曇っていた。
その時又も、タイムリーに携帯の呼び出し音が鳴った。
(ダースベーダーとか・・ベタ過ぎ)
「む、残念。今日はこの辺で。また来るわ、返事はその時頼む」
大熊さんはそう言いながら立ちあがり、朝食をモリモリ食べる僕の頭をひと撫でして去って行った。
「ベランダの布団、取り込み忘れるなよ」
帰り際にそう付け足して。
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