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<3>
その翌日の午後やって来たのは、どう贔屓目に見ても芸能人にしか見えない「超絶イケメン」の、高校の制服を着た少年だった。
律儀にインターホンを鳴らしてやって来たその少年は、礼儀正しく挨拶をした後、信じられない言葉を口にした。
「俺は今度高校三年生になる、大熊 輝(きらり)といいます。・・スミマセン、ウチの親父が何度も勝手にお邪魔して」
僕は、「大熊」の名が出た瞬間その場に呆然と立ち尽くしてしまった。
思わず、
「・・嘘でしょ、あんなむっさいおっさんの息子がこれって・・・・」
と、かなり大きめに呟いてしまった。
すると輝君は怒り出すどころかからからと笑いだした。
「あっはははは・・・。やっぱ、そう思います?俺の同級生達も、「お前って、養子なの?」とか「お前の親父のDNA、お前のどこに入ってんだよ」とかかなり辛辣な事ガンガン言って来るんで」
僕はそこで漸く合点がいった。
「ああ!大熊さんが言ってた「家庭教師」って・・もしかして、君の?」
その僕の言葉に、輝君は大きな溜息と共に頭をガシガシ掻きむしった。
「・・・あ~・・やっぱり。親父、ちゃんと言ってなかったんだ・・・」
苦い顔で呟く輝君を、
「少し、歩こうか。付き合ってくれる?」
そう言って、荒川沿いの土手に誘った。
僕の家は北千住に近い千住にある。
だから幼い頃から、何かにつけて荒川の土手をよく歩いた。
引き籠っている間も、筋力の衰えを気にして2~3日に一回は深夜のジョギングをこの土手で行って来た。
今日も快晴、散歩にはもってこいだ。
僕たちは歩きながら、互いの情報交換をした。
「きらり君は今何年生?」
「高2っす・・貴方は?」
「ああ・・僕は、南 孝生。これでも、25歳だよ」
「・・うっそ、まじで・・・」
呆気にとられる輝君に、照れ笑いで返す。
「ハハッ、僕は女顔の上童顔で・・・。よくお酒を買う時に「身分証明を!」って、結構強めに言われちゃうんだ」
「・・でしょうね。俺もさっきまで、貴方が男か女かで随分迷いましたよ」
「昨日も、君のお父さんが風呂上がりの僕を女と間違えてたしね。ほら、髪も長いしさ」
と、急に輝君が目を見開きつつ口元を押さえた。
「・・えっ、風呂って・・・。まさか親父と、そういう事・・・・・」
言い方が悪かったのか、輝君にあらぬ勘違いをさせてしまい、慌てて訂正する。
「違う違う、僕があんまり引き籠ってばかりいるから、君のお父さんが碌に湯舟にも浸かってないんじゃないかって、気を回して沸かしてくれたんだ」
それには逆に、輝君が口笛を鳴らして感心していた。
「・・へぇ、珍しく気が利くジャン」
・・・・彼のその言葉と態度に、思わず笑ってしまった。
(外見こそ全く似てないけれど、この明るさ、人懐こさはそっくりだ)
「君の制服・・慶葉高校のでしょ。エスカレーターの名門進学校に通ってるんだから、家庭教師なんて要らないでしょ?」
そう問いかけると、輝君は微妙な苦笑いを見せた。
「実は俺、モデルとバンドとやってて。モデルだけだったらどうにかなったんですけどね、夏にフェスにハマってバンド夢中でやり倒してたら、卒業までの単位足りなくなりそうになっちゃって・・・」
「・・・ああ、担任の先生から釘を刺されちゃった訳だ」
「・・まあ、そんな所っす」
屈託なく笑うその笑顔は、やはり何処か大熊さんに似ていた。
僕は足を止め、核心に切り込んでみる。
「僕の”事件”の話、お父さんから聞いたでしょ?僕はオメガ、それでもいい?」
流石に輝君の顔を覗き込めはしなかった。
そんな僕に、輝君の返してきた言葉は意外過ぎる言葉だった。
「あ、そんなの位全然平気っすよ。俺、子供の頃から親父に連れられてフツーに芸能界のドロドロ見て来たし。やんちゃな大人に、夜中に二丁目とか何度も連れ回されたりとかして来たんで。・・あ、俺の携帯見ます?二丁目のゲイやオメガの知り合いの連絡先、二十件位入ってますよ。それにそもそも俺、そういう偏見全くないんで」
余りにあっけらかんと、携帯の画面をちらつかせながらそう話すので、流石に僕も呆れてしまった。
そんな僕に、逆に輝君は顔を覗き込みつつ意地悪な質問をして来た。
「・・それとも南さん、俺みたいのが好みっスか?」
「えっ・・・い、いや、その・・・・」
急に振られた意地の悪い問いに、思わず顔を真っ赤にしつつ・・返答に窮し、しどろもどろでどうにかそれだけを絞り出すと、思わず羞恥に顔を伏せてしまった。
どうもその時耳まで真っ赤だったようで・・・。
「あ、耳まで真っ赤」
そう・・更に近づいてきた整った綺麗なマスクが、耳元で小さく告げた。
・・・軽く僕の耳元の髪を触る仕草付きで。
触られた瞬間、思わず
「ひゃあっ・・」
と小さく絶叫してしまった。
それを聞いた輝君は、思わず吹き出しながら腹を抱えてゲラゲラと笑いだした。
「あ・・あ~っははははっ!かっわいい~~!!何なんすかその反応!今時、少女漫画のヒロインでもそんなピュアじゃありませんて!」
年下の少年に酷くからかわれて、挙句に笑われて、僕はついに涙目で怒鳴ってしまった。
「おっ・・大人を馬鹿にして!・・・ッ」
でもその後、その涙は堰を切ったように溢れ出して・・・。
「酷い・・・ひっ・・・ぐすっ」
顔を両手で覆い、しゃがみ込んで泣き出してしまった。
すると、輝君が急におろおろしだした。
「えっ・・・そんな、泣いちゃいます・・?」
そりゃ、そうだろう。
僕は感情を殺し続けて、あれ以来まともに感情を表に出してこなかった。
だから、今まで押し込めていたものが一気に溢れ出してしまったのだ。
周囲の人々が次第にこちらをチラ見しだす中、輝君が必死に、よれよれのハンカチを差し出しつつ謝罪して来た。
「なんか、スンマセン!癇に障る事言ったみたいで・・」
僕は泣きながら、そのハンカチをひったくる様に受け取り、涙を必死に拭いながら
「そうだよ!・・ぐすっ・・大人をあんまり・・からかうんじゃない・・・ううっ」
そう返した。
「あ~もう、ゴメン!!」
輝君は頭を掻きつつそう言うと、僕を思いきり抱き締めて謝罪して来た。
「だからもう勘弁して・・・俺、女にも泣かれた事無いからさ、どうしていいかわかんない。マジで」
余りに凹む年下の少年に、今度はだんだん笑いがこみあげて来た。
「・・フフッ、じゃあ許す。その代わり、このハンカチを洗って返したいから、君の住所と連絡先、それと放課後の空いてる時間教えて」
輝君が、急に顔をがばっと上げて僕の顔を覗き込んできた。
「えっ・・それって」
「うん、大学入学までは僕が見てあげるよ。君のお父さんにもそう伝えておいて」
「マジ・・・やった!」
輝君の顔が急にぱあっと明るくなる。
輝君は再び僕をぎゅうっと強く抱きしめると、その腕を解きつつ頭を深々下げた。
「よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしく」
・・しかし。
輝君の学力は結構やばいレベルだった。
しかも彼は来訪時、「自室が汚いから」とかいう適当な理由で、リビングで床にベタ座りの状態でコーラとポテチを食べながら、50インチのテレビで太鼓の達人をしつつ僕を出迎えてくれた。
・・・その時点で、彼に全くやる気が無い事を思い知った。
「えっ・・・これ、本当に出来ないの?」
「・・うっす」
「「うっす」じゃなくて・・・本当に?」
「俺、一気に暗記して勝負張るタイプなんで」
「・・いや、タイプって・・・。駄目だよ、そんなの」
参考までに、テストの答案を何枚か見せて貰ったのだが・・・・。
ゲーム機片手のその、しれっとした悪びれる事の無いセリフ。
思わず頭を抱えてしまう。
取りあえず、現国に至っては中二レベル。
漢字はまっさら。
社会や化学なんかも穴だらけ。
唯一まともな数学も、所々数式なんかの呑み込みの妖しい箇所がちょいちょい。
英語に至っては、小学生以下と云っても差し障り無いんじゃないかというレベルだった。
「はぁ~・・・こりゃ、本気でかかんないとやばいね・・・」
「サーセン。俺誘惑とかに弱くって、つい」
「・・・・・・・」
これには・・・もはや無言にならざるを得ない。
「・・ちょっと、下の事務所でコーヒー貰って来るね」
リビングの大型テレビで、今も尚夢中で太鼓の達人を攻略する輝君を尻目に、僕は授業内容を頭の中で整頓・精査するべく階下に降りた。
大熊さんの家は、杉並区下高井戸にある。
家と云っても、事務所兼自宅の一棟建ての、こじんまりした細長い鉄筋のビルである。
25坪ほどの土地に建てられた6階建てのその自宅兼事務所は、2~4階までが大熊さんの経営する子役専門のタレント事務所になっており、1階は倉庫と駐車場になっている。
二階は養成も行っている、キッズタレントのスクール。
三階はレッスンルーム。
四階は株式会社スターリングエンターテインメントのオフィス。
業界でも比較的小さな事務所ではあるものの、スターリングには売れっ子タレントが結構在籍している。
特に、子役ながら人を食う演技で有名な大楠 蓮君なんか最たるものだ。
彼は去年、バラエティのレギュラー10本、映画二本、ドラマ三本で大活躍していた。
他にも確か、コマーシャルなんかも数本あった筈だ。
その上彼は帰国子女でハーフ、見た目もとても綺麗な容姿をしており、それでいて年齢は未だ13歳ほどだった筈だ。
彼については、最早パーフェクトとしか言いようが無い。
それに比べて・・・・。
「おお、南くん!どうだいうちの息子は?」
事務所に行くと、接客中にもかかわらず満面の笑顔で大楠さんが出迎えてくれた。
のだが・・・もう苦笑いしか出来ない。
(どうも何も・・・本当にやばいですよとは言い辛いし・・)
「・・ははっ、まあ頑張ります」
そう答えるにとどまった。
すると大熊さんの向かいのソファに腰掛けていた初老の紳士が、「がはは」と豪快に笑った。
「そりゃ、君みたいな秀才でも”あれ”は手を焼くと思うよ。何せ、やる気がこれっぽっちも無い上、人の話を全く聞かんじゃろう?」
「・・・ええ、まあ」
僕が思わずそう答えると、紳士は立ち上がって手を差し出してきた。
「南 孝生君、よくあの辛い状態から抜け出す事が出来たね。このオファーをする様に大熊君に君を紹介したのは私だ。・・覚えているかね?」
その顔をもう一度じっと見ると・・・。
思わず、涙が零れ出た。
「磯貝、さん・・・・」
僕は差し出された手に縋り付くように、握手した。
「今日は君がここに来るというから、わざわざ顔を見に来たんだ。・・良かったよ、元気そうで」
握手しながらぼろぼろ涙を流す僕を抱き寄せ、磯貝さんは笑った。
「あの両親じゃ、君の辛さに寄り添ってはくれなかっただろう。よく頑張ったね。それに、君のお母さんと最後に私の事務所に来た時、私が君に言った事。・・ちゃんと守っていたそうだね」
「・・えっ、それを何で・・・」
泣きながら顔を上げると、磯貝が大熊を指さした。
「彼が教えてくれた。君が寝る間を惜しんでひたすら、過去の事件の判例に向き合って夢中で勉強を続けていた事」
僕が大熊さんを見ると、大熊さんはピースサインを僕に送って来た。
磯貝さんは、僕の頭を撫でつつ静かに語る。
「被害者である君が加害者の彼等にされた仕打ちを、この世界中の誰かが今も何処かで経験している。それは君がされた以上にもっと酷い事かもしれないし、残酷な事かもしれない。でも、そんな辛い思いをした君なら、真の意味で彼等の側に立ってやれるんだ。
だから、弁護士を辞めてはいけない。傷が癒えるまでは判例を勉強して、「いつか、その時」に備えなさい。
いいね、もう一度言う。君は弁護士を辞めるべきではない。君のような人こそが、真に必要とされる人材なのだ」
「・・・ハイ」
そう小さく答えると、またも涙が溢れ出た。
「ああそうだ、これを伝えておかなくてはな。
もし、ここの坊主の件が片付いたらウチに来なさい。君のお母さんは一方的に破棄してしまったが、私は君を不採用にした覚えは無い。君のデスクはそのままだ。・・待ってるよ」
僕は何も話す事が出来ずに、ただただ泣いた。
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