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<7>
その後輝が目を覚ましたのは、夜もかなり更けた22時過ぎだった。
その頃には、すっかり熱も下がっていた。
(そうだ、南さん・・)
流石に電気もついておらず、暗闇の中でどうにか身体を起こそうとすると、右手がほのかに暖かい。
暗がりの中、じっと目を凝らしてベッドサイドを覗くと、ベッドに前のめりにもたれ掛かってすやすや眠る南がいた。
その手はしっかりと、輝の手を握りしめていた。
その時輝は南に対して、苦しい様な・・切ない様な・・愛おしい様な・・そんなどうしようもない気持ちに駆られていた。
(・・・俺、この人マジで好きになったみたいだ)
それも、今まで感じた事が無いくらい南が欲しくて欲しくて堪らないのだ。
(もう男がどうのとか、どうでもいい。この人を抱きたい、めちゃくちゃにしたい)
けれども今だけは、この安らかな寝顔を壊したくはない。
そっと指を一本一本離し、起こさぬ様に立ちあがると、トイレの後に階下に降りた。
キッチンの冷蔵庫を開け、500mlのペットボトルのスポーツドリンクを取り出していると、そこに帰宅したばかりの父が顔を出した。
輝はキッチンの陰から小さく
「お帰り」
父に向かって言った。
大熊は輝の姿を確認すると、
「もう熱は下がったのか?起きても大丈夫なのか」
そう問いかけて来た。
「ああ、もう大丈夫。・・今朝はゴメン」
冷蔵庫の扉を閉めると、輝は父にぺこんと頭を下げた。
大熊は軽く笑うと、
「もういい。・・それより、南君は?」
そう息子に尋ねた。
その名が出た瞬間、一気飲みしていたペットボトルから口を離し、飲み切った空ボトルを分別ごみのペールに放り込んだ。
そして冷蔵庫からもう一本スポーツドリンクを取り出すと、乱暴に戸を閉めつつ
「なあ・・・親父。南さんの事、好きなのか」
そう問いかけた。
しかしその表情は真剣そのもの、普段の輝がほぼ見せる事の無い表情だった。
大熊は、軽く頭をぼりぼり掻きつつ
「ああ、彼は本当によくやってくれてるしな。感謝しかない、と思ってる」
と、月並みにそう答えた。
途端輝の瞳が険しくなった。
「そんな事聞いてんじゃねえよ。・・昨日、見たんだ。頬にキスしてる所」
「ああ、知ってた」
「なっ・・・・!」
父のあっけらかんとした表情とは裏腹に、想像以上の答えが返って来て輝は動揺した。
しかしなおも、表情の変化も無いまま父は淡々と語る。
「お前ごときの気配位、すぐに分かる。何っつったって、ゴシップ記者相手にタレント守んのも社長の仕事の内だからな」
「じゃあ、見せつけてた・・とでも言うのかよ」
「そうだ」
「・・・・!」
父の言葉にいちいち度肝を抜かれてしまい、返す言葉が出て来ない。
それでもなお、父の口は留まる事は無い。
「お前が彼にあらぬ感情を抱かぬ様に、釘を刺すために、わざと見せつける様に頬に口づけた」
「・・・・自分の物、とでも言いたいのか」
「ああ、彼には俺が先に目を付けた。お前は若いんだから、相手は選り取り見取りだろうが。今更アラフィフ親父の恋路の邪魔すんな」
「男だぜ、あの人は」
「知ってるよ、裸も見てるしな。細くて小柄な、綺麗な体だった」
「・・・誰彼構わず発情するオメガだぞ」
「逆に男の俺を選ぶのに、彼には”性別”と云う障害が無い。むしろ有難い事じゃないか。それに、オメガなら男であっても子供は産める。問題ない」
大熊は大きな溜息をつくと、息子の目をじっと見つめた。
「お前こそ最初は彼をオメガだと、どこか敬遠してただろうが。だったら丁度良いだろ?彼は俺が大切にするからお前はとっとと諦めて、その辺のお姉チャンの尻でも追っかけ回してろ」
「・・・・・・」
「所詮、お前のは一時的な気の迷いだ。俺は彼と、もう一度幸せな家庭を築きたい。だから決して、邪魔だけはすんな」
輝の手の中に握り込まれたペットボトルが、ミシリと音を立ててひしゃげた。
「・・・俺は譲る気は無え。アンタの年齢なんて知った事か。正々堂々勝負だ、親父!」
大熊は息子に向かって不敵な笑顔を見せた。
「所詮お前みたいなガキ、相手にされねえよ」
輝は父を思い切り睨みつける。
「それはどうかな、ジジイの萎えたイチモツより、俺の若い身体の方がいいに決まってる。・・何より俺はアルファだ」
「そりゃ・・どうかな、彼はそんなこと気にするタイプじゃねえよ。そもそも女遊びも経験も俺の方が上だ」
「・・・・・・・」
「おまけに金も家も仕事も、”ステータス”と名が付く物は一通り持ってる。今の所、お前に負ける気は一ミリもしねえな」
(クッソ、えげつねえマウンティングしやがって!)
大熊は薄笑いを浮かべつつ、輝に更なる一言を浴びせかけた。
「・・まあ、これでお前が大学合格出来なかったら、もう見向きもされねえだろうがな。せいぜいこの一年、物欲と色欲相手に戦ってみるがいいさ」
・・・どうやら、その言葉は輝の忍耐を吹っ飛ばすには充分だったようだ。
夜中にもかかわらず、ありったけの大声で父に怒鳴り返した。
「ああ!やってやるさ!!経済学部余裕で入学してやるよ!!!この一年の俺を見てろッ!!!!」
「大声出すな若造・・・夜中だっつーの」
大熊が呆れ気味に溜息をついた時、下の階の騒ぎに気付いた南が目を擦りつつ階段を下りて来た。
「・・どうしたんだい輝君、そんな大声出して。ああ、大熊さん。お帰りなさい、今日は・・・うわあ!」
あと数段の所で南は足を滑らせたらしく、その後豪快に階段を滑り降りて来た。
流石に大熊親子も喧嘩どころでは無くなった様で、慌てて南に飛びついた。
「大丈夫か?怪我は?」
「起きれる?手ェ貸すから」
「ゴメンね、どうも寝惚けてたみたいで・・・痛たた」
南は二人に肩を貸して貰い、どうにか起き上がった。
その時親子の視線が南の肩越しにガチ合ったのだが・・・気まずさに互いに視線を逸らしてしまった。
「ごめんなさい大熊さん、今日は時間が無くて何も食事が用意出来てないんです。もし良かったら、今から簡単な物を作りますから・・」
「ああ、それなら久し振りにコンビニ飯食おーぜ。なあ良いだろ、親父」
輝が父に視線を送ると、父も頷き
「たまにはコンビニおでんも良いな。今日位は楽して済ませましょうか」
南にそう振ると、南は照れ臭そうに笑った。
「・・そうですね。ああ僕、コンビニの”サクサクチキン”ずっと食べてないから、久し振りに食べたいな」
「へえ以外だな」
「脂っこい物は苦手なんじゃなかったの?」
「それとこれとは別。たまに凄~くケンタやマックのポテト食べたくなるのと一緒」
「なるわ~」
「納得、あとてりやきバーガーとフィレオフィッシュめっちゃ食べたくなる時あるよな」
「うん、あるある」
「ナゲットもな。あのやたら甘いソースがなぜか病みつきなんだよなぁ」
「解るわぁ~」
そこではたと、南が何かに気付いた。
「・・・あれ、きらり君熱は?」
「ああ、なんか治っちゃったみたい」
「・・・そういうもんなの?」
「そういうもんだろ、何せ今更の「知恵熱」だもんなぁ~」
「うるせえし!」
その後三人は、コンビニで夕食を買い込んでにぎやかに食事を済ませると、早々にベッドに横になった。
「えぇ~~、今日も昼ご飯無いの~~~~?!」
「ハイ・・・すみません」
「ああ~ん、昨日もお昼我慢したのに。今日もなんて聞いてない!!」
翌日南が、お昼のお弁当を用意していないと告げた時の、三木本のごね方は凄まじい物であった。
そうこうしている間に、今日も午前終わりで学校から早々帰宅した輝が事務所に姿を現した。
「いよう、昼めし要らね?沢山買って来たんだけど、一緒にどう?」
輝の手には、大量のマックの袋が握られていた。
(ああ・・昨日僕が好きだって言ったから・・優しいな、輝君)
しかし。
それに真っ先に飛びついたのは、南では無く三木本だった。
「やだ、優しいじゃない!マジ感謝!!」
輝にすれば、三木本は「じゃない」方な為。
「うるせえよ、お前は自分の弁当あるだろうが。そっちを食え」
勝手に袋を奪い取ろうとした三木本の手を輝は素早く叩き落とし、南の前に差し出した。
「昨日の礼。欲しいの取ってよ、俺残ったの食うから」
満面の笑顔で差し出された袋の横から覗く、三木本の怨霊じみた恨みがましい表情・・・。
射る様なその視線をスルーして、袋を受け取る事は南には出来なかった・・。
(だって、呪われそうだったんだもん)
「・・沢山あるなら、三木本さんにも分けてあげようよ」
南は精一杯の勇気を振り絞って、輝にそう告げた。
食後南は、輝の部屋で勉強を始める前に、輝に一生懸命謝罪した。
「ゴメンね、きらり君の気持ちは嬉しかったんだけど!三木本さん、今日も僕のお弁当のおかず当てにしてたみたいで・・・」
せっかく二人きりで南の好物を食べるつもりだった輝は、未だ憮然としていた。
だが、南の謝罪を聞いて更に機嫌を悪くした様で・・。
「はぁ?!何で加代子がアンタの昼飯がめてんだよ!」
「・・それがね・・・・」
いきさつを語ると、輝は鞄を投げてブチ切れて
「あの女、一発ぶん殴る」
と息巻きだしたので、南が慌てて
「最初に迂闊に食べさせたのは、僕だから!ゴメン!」
輝にしがみつきつつどうにか必死に宥め、その場を収めた。
但し、輝は部屋に着くと部屋の鍵を閉め、
「さっきの事、水に流すから・・・キスさせて」
急にそう言って迫って来た。
南にすれば、どういう理屈でそう言う事になっているのかが理解出来ない。
「ちょ、待って・・何の冗談・・・?」
顔を背けようとしたのだが、壁ドンで逃げ道を塞がれた挙句、半ば無理やりキスされてしまった。
「んんぅ・・・ま、待っ・・・」
必死に抵抗を試みるのだが、輝の長い舌が絡みついて思う様にいかない。
数分ひたすら、壁に押し付けられたままディープキスされ・・。
唇が離れたのと同時に身体の力が抜け、その場に崩れ落ちてしまった。
流石に南が輝を本気で𠮟ろうとしたのだが、輝はそれより先に謝罪の言葉を口にした。
「ゴメン、つい・・・・」
耳まで真っ赤にして幾分項垂れる輝に、流石に厳しい事など言える筈は無い。
そのまま何も言わずに、力の抜けた腰でどうにか必死に立ち上がり、
「・・・それじゃ、勉強しよう」
その場は、輝にそう告げた。
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