シナプスが僕を作る?

1/5
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
 「シナプスが人格を作る」と言う本を読み、自分について論じたいと思います。  「自分」とは誰か。「自分」とは何者か。正に「答えの無い答え」を、誰もが一度は考えた事が有るだろう。そんな「答えの無い答え」を、僕は探し続けている。「誰」と言うより、「存在」について考え、悩んでいる。人格とも言えるだろう。自分と言う存在が、果たしていつから存在していたのか。独立した人格であるのか。その事について、悩み考えている。  精神病ではないと言われ、性格の問題だと国立病院で告げられた時から、この問題に悩み始めた。  初めて心療内科に受診をし始めてから、転々と病院を変え、診察を受ける度に病名は変わっていた。そして最終的には、「性格の問題だ」と言われ、その答えこそが余計に僕を悩ませ苦しめているのだろう。  何かの病名であれば、枠に括られている為一つの安心感が生まれる。その病気について、詳しく知る事が出来、病気を知ると言う事は、自分自身を知る事が出来ると言う事でも有るからだ。だが「性格の問題」となると、今までの異様な行動や、不可解な体験の説明が付かなくなる上、納得もいかない事が出て来てしまう。幻聴や幻覚、妄想等も「性格の問題」のせいなのだろうか?多少の精神障害も無くはないにせよ、どうしても一つ説明の付かない事が有る。それが「存在」の問題だ。本来ならば「人格」と言うべきなのかもしれないが、まだはっきりとは分かっていない為、敢えて「存在」と言う言葉を使う。  国立病院に通院をしている一時期、自分の中に数名の存在が居た。それは独立した存在で有りながら、一つの記憶を共有すると言う、また不思議な関係性だ。解離性人格性障害であれば、別人格で過ごしていた時の記憶は覚えていないと言われている。解離では有るが、解離性人格性障害では無い事は、自分でもはっきりと言えるだろう。重要なのは確かに存在をしていた、と言う事だ。  頭の中で会話をし、時には数人で集まり会議を開く。まるで自問自答の様にも思えたが、それでも確かに居たのだ。そして状況や場合により、それぞれ適任者がその場に出て応じる。(体を動かす主体となると言う事)それは消えたり新しく生まれたりを繰り返していた。一つの存在が消えると、誰かが新しい存在を生み出すのだ。何度もこうしたサイクルをしていたが、問題が生じた。 それは今まで伝達が出来ていた記憶が、伝達出来なくなる時が出て来たのだ。所謂一定期間の記憶が飛び、別の存在が動いていた時の記憶が、次の存在へとバトンタッチをした時、覚えていないと言う事だ。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!