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飽くまで仮説として話そう。まず産まれて一つの人格が生まれる。その時は、人格的に男女と言う区別がなかったとする。だが幼少期に過度のストレスが続き、二つに二分されてしまう。男と言う人格と、女と言う人格だ。それは脳の収束ゾーンに、「男」と「女」のそれぞれのゾーンを作ったと言う事だ。だがそれは、ワーキングメモリーへと辿り着くまでの間に起きた物だ。その為、ワーキングメモリーへと入る情報は、「男」の収束ゾーンからも、「女」の収束ゾーンからも送信され受信される。つまりは二分されていたとしても、総合的な収束ゾーンには、どちらの情報も入る為、どちらも記憶と情報を共有する事が出来ると言う事だ。
幼児期の僕は、家の中と外とでは、全く異なっていた。二面性を持った子供だ。外、学校等では明るく、元気な子供だが、家の中では泣いてばかりいて、暗く沈んでいる事も多々あった。それは中学生まで同じだ。両親の毎夜の喧嘩が、過度のストレスとなり、二分されたと考える。所謂古典的なACだ。ここで先程の仮説を持って来る。ストレスにより、別れた「男」と「女」の存在。多分基本人格は女だろう。その根拠ではないが、時折「自分は誰なのか?」と言う質問を自分に問い掛け、頭の中を真っ白にして考えてみると、所謂解離症状に襲われた。(これは小中学生の時。家では男、外では女だったのだろうが、はっきりと別れていた訳ではない)
この二分により、一つのワーキングメモリーの中に、二人の存在が居るとすれば、僕の「存在」の説明が付く。だが途中何らかの出来事により、僕の存在が完全に眠ってしまい、もう一人の存在だけとなった。その為、途中間が抜けてから目を覚ました事が原因で、自身の中の年齢と、実際の年齢の不一致を感じるのだろう。その何らかの出来事は、残念ながら分からない。中学生までは確かに居たと言うのは、父親の教えと言う物を、はっきりと記憶しているからだ。多分それ以降、となるだろう。
もう一つ、触れて置きたい事は、原因は不明だが、(考えるとまた長くなるので)男と女、どちらも「憎しみ」と言う感情が強い事だ。だがそれは、「女」の感情の方が強く、逆に言えば「女」の感情に「男」が影響をされていると言う感じだ。
始めに戻ろう。僕とは「誰」か、と言う疑問だ。仮説を基盤に考えると、僕と言う人物の中から枝分かれした、もう一人の僕と言う事になるだろう。性格も、感受性も、全く異なるもう一人の僕だ。だが確立した人格と言う訳ではない。一つの体を共有している、不確かな同居人と言った所だろうか。だがこれは、飽くまで仮説を基盤とした話だ。
結局ここまで書いていて、書いている途中自分でも何書いてんのか、何書こうとしてたのか分かんなくなって来ちゃったし、あーもういいやーって感じになって来た。書いてて段々意味不になって来たし、で、結局何が言いたいの?って言われたら、サーセンw分かりませんって感じなので、ここで〆たいと思います。
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