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「あー、疲れたぁ。 青は逃げ足だけは速いんだから」
言いながら、ドサっとその場に座り込んだ。 休憩所の椅子が濡れることを気にしているのかもしれないが、優紫は慌てて声をかける。
「あっ、そこに座ったら汚れちゃうよ!」
地面は風にさらされ砂まみれなのだ。 既に桃色のスカートは、黒く汚れてしまっていた。 だが桃の少女はチラりと見ただけで、手をひらひらとさせどこ吹く風。
「大丈夫、大丈夫。 また濡れたら汚れは落ちるから」
優紫自身服を泥だらけにしたことがあるが、母親が汚れを落とすのに酷く苦労していた記憶がある。 もう一度雨に濡れた程度で綺麗になるとは思えないが、本人がそう言っているため強くは出れない。
「親切なのね、ありがとう。 優くんは優しそうな性格が滲み出ているもんね」
「気が弱い、っていうだけかと・・・」
「ううん。 そんなことないよ。 それで、気の強い青とはずっと一緒にいたの?」
桃は“気の強い”を、多少強調しながら言った。
「青のお姉さん、この天井に隠れていたんだ。 それで、話してた」
「えぇー!? いつの間に見失ったのかと思ったけど、ここにいたの!?」
追いかけている途中に見失ったのだから、桃の少女はかなりおっとりしているのかもしれない。
「傘を開いたら、驚かせて落ちちゃってね」
「ぷっ。 私だけを走らせて休んでいたんだから、そういうことになるのよね。 ちなみに、二人でどんなことを話していたの?」
「あ、えっと、色々と・・・」
言い淀むと、桃の少女は何かを閃いたかのように手の平をポンと叩いた。
「分かった! 青のことを、改心させてくれていたんでしょ?」
「ううん。 青のお姉さんの気持ちも分かるけど、桃のお姉さんの考えも理解してほしいって言っただけだよ」
「まぁ、頑固だからねぇ。 でも、このままだと少しマズいことになるかも・・・」
「マズいこと・・・?」
「あ、何でもない。 こっちのことだから。 それより、青にそれを言ってくれて嬉しいよ」
「何だか僕が悩んでいるのが、ちっぽけな感じに思えてきて。 桃のお姉さんや白のお姉さんの話も、聞いちゃったから」
「ちっぽけっていうことはないよ。 例えどんな理由でも、両親が喧嘩していたら嫌だもん。 私のところは、二人は仲よしだからさ」
「お母さんの義理のお姉さん、だっけ」
「うん、そう。 私からしたら叔母さんになるんだけど、私がママの傍に付いていると何もしてこないの。 だから、極力ママの傍にいるつもり。
といっても、私が学校に行っている間は傍にいれないから、心配だけど」
「叔母さんは、どんなことを・・・?」
「えっと、まず一番気持ち悪いのが、ウチの家の合い鍵を山のように持っていること。 勝手に家に入って家具の配置を変えたり、勝手に食材を使って料理を作ったりとかあるよ」
桃の少女の話に、優紫は驚きの声を上げた。
「え、えぇ!? 何それ、怖い!」
「その度に合いカギを取り上げているから、もうウチには十本くらいあってね。 ・・・お父さんも、叔母さんとずっと二人で育ってきたから、あまり強く言えなくて」
「・・・そうなんだ」
優紫は幸いなことかどうかは分からないが、完全に両親二人だけの問題で誰かが関与することはない。 叔母さんとも仲よくしているわけではないが、当たり障りのない関係を築いていると言えた。
「まぁ、それでもウチはまだマシよ。 白の話はどこまで聞いたの?」
「青のお姉さんから、少し・・・。 というか、ほとんど聞いたかも」
「自分では話していないのね。 全く、人のことはすぐ喋っちゃうのに。 ただあの子は秘密を作るのが苦手だから、聞けば普通に言うと思うけど・・・」
「アザは、偶然見えただけだったから。 それで青のお姉さんに聞いたんだ」
「なるほど。 あれは本当に酷いから。 日に日に増える痣を見ていたら、本当に胸が痛くなる」
言いながら、桃の少女は胸を押さえてみせた。 優紫も話を聞くだけで、目頭が熱くなる。
「それでも我慢ができているのは、白に心の支えとなる特別な人がいるからなのかもしれないね」
「それは、お母さんのこと・・・?」
「ううん、違うの。 私たちよりちょっと年上で中学生だから、学校も違くてさ。 白ったら名前も教えてくれないし、会わせてもくれないの。 だからどんな人なのかは、分からないんだけど・・・。
その人のこと、白は大好きなんだって」
「へぇ・・・!」
優紫は遅れているのか、初恋というものを知らない。 ただ、両親が大好きという気持ちは分かっていた。
「毎日たくさん褒めて、傷を癒してくれるって笑っていた。 塞ぎ込みがちだった白を変えてくれたのは、その人。 きっと私と青だけだったら、今の白を支えてあげられなかったと思う」
「頼れる人がいるから、白のお姉さんも頑張れているんだね」
――――その時だった。 明らかに慌てた様子で、二人を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。
「桃ちゃーん! 優くーん! 大変なのー! ちょっとこっちへ来て―!」
「もしかして・・・ッ! 大変! 悪いんだけど、優くんも来てくれる?」
桃の少女は何かを悟ったかのように、すぐさま優紫の手を取る。 二人で急いで向かうと、信じられない光景が優紫を待ち受けていた。
「青ちゃん! お願いだから、嘘でもいいから心の底から認めて!」
白の少女が、青の少女を取り押さえているのはいい。 ただ異様なのことに、青の少女の姿が幽霊のように透けていたのだ。
「優くん、悪いんだけど取り押さえるの手伝ってくれる?」
「う、うん、分かった!」
透けているのに触ることができるのか。 そのような疑問を感じたが、優紫の手は青の腕を押さえ付けることができた。
「青、だから言ったじゃない。 早くしないと本当に消えちゃうわよ」
桃の少女の言葉に、青の少女は逃げようとする力を強める。
「馬鹿じゃないの! 嘘でもいいから心の底からって、無理に決まっているじゃない! 無理無理、絶対に無理!」
喚く青の少女を尻目に、優紫は桃の少女に尋ねかけた。
「ちょ、ちょっと待って、よく分からないんだけど。 どうして、青のお姉さんの身体・・・。 ううん、服もヘアピンも、どうして全て透けているの?」
「“家族” ・・・それは私たちにとって、何よりも大切な言葉なの。 それを否定した時、自身の存在も否定することになる。 いずれこんな日が来るって、思ってはいた。
青はずっと家族を否定していたから。 このままだと消滅して、青の存在はなかったことになる」
「ッ、存在がなかったことになる・・!?」
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