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優紫は子供とはいえ、小学校三年生。 人間が簡単に出たり消えたりするのは“テレビの中でだけ”ということは分かっている。 だが実際に、青の身体は背景が透けて見えているのだ。
―――・・・幽霊っていうことは、ないよね。
それに今、実際に透けた腕を掴んでいる。 足だけが透けているわけでもない。 そんな優紫の考えをよそに、白の少女は袖を捲り上げる。 そこには先程見た足とは比べならない程の、多くの傷があった。
「私は殴られても蹴られても、それでも家族は大切だと思っている。 タバコの火で、火傷を負わされたこともある。 それでも時折見せる、お父さんの優しい仕草や寂しそうな目に吸い込まれそうになるの。
青ちゃんだって、今の家族は本当によくしてくれていたはずよ?」
「馬鹿じゃないの? そんなの騙されているだけ! 我慢して我慢して、その先に何があるっていうの?」
「それは・・・」
「今の家で優しくしてくれる? それはそうかもしれない。 だけど二人は、いい人だけど私の本当の両親じゃない。 私の心に焼き付くのは、幼い私を残酷に捨て去ったあの二人なの!」
青の少女の剣幕に押された白の少女が顔を俯かせたのを見て、桃の少女が助け船を入れる。
「夫婦だって、元は他人だった二人がくっついているものなの。 別に血が繋がっていなくてもいいじゃない」
だがその言葉は、青の少女にかんしゃくを起こさせた。
「仲のいい両親と、のほほんと生きている桃にだけは言われたくないッ!!」
―バシッ。
乾いた音と、弾ける飛沫。 優紫には一瞬、何が起きたのか分からなかった。 振り切られた桃の少女の手と、頬を押さえる青の少女の手。 どうやら桃の少女が、青の少女の頬を叩いたらしい。
「ッ、何す・・・」
「のほほんと生きている!? そんなわけないでしょ! 私たちがどんな思いをしていると思っているの!?」
桃の少女の目からは涙が流れ、流れる雨水で混じり合う。 それを見た白の少女が、青の少女をいさめるように言った。
「青ちゃん! それは言い過ぎよ! 私たち三人は、互いの痛みを分かっているはずでしょ?」
「あー! もう、うるさいうるさい! もう私には構わないで!」
青の少女は白の少女と優紫を、思い切り突き飛ばして逃げ出した。 白の少女は尻餅をついてしまい、すぐに追うことができない。 桃の少女は、腕を組み怒り心頭といった様子だ。
「巻き込んじゃってごめんね、優くん」
「大丈夫。 僕、追いかけるよ」
そう言うと、返事も待たずに駆け出した。 といっても、傘を差している優紫には風の抵抗がかかり進みが遅い。 みるみるうちに小さくなる青の少女の背中を、歯を食い縛りながら追いかける。
―――傘を差したままじゃ無理だ。
傘を閉じる頃には、紫陽花園の出口を抜けていた。 緑道公園はいくつかのエリアに分かれた作りとなっており、どうやら青の少女は芝のエリアに向かって逃げているようだった。
―――長靴を履いてこればよかったな。
踏み固められた芝は、濡れると滑りやすかった。 こけないよう気を付けながら追いかけていると、幅3メートル程の小川に差しかかる。
辺りを見渡せば遠くに橋がかかっているが、既に見失いそうな現状そこまで行く余裕はなかった。
―――ここを、渡ったの・・・?
青の少女は小川の向こう、見える影は小さい。 優紫は覚悟を決めると、靴のまま小川に足を踏み出した。 だが予想通りというべきか、雨で勢いを増した流れは優紫の足の動きを奪い取る。
「嘘ッ・・・!?」
大きな飛沫と共に川へと倒れ込んでしまい、その拍子に持っていた傘を失ってしまった。 幸いだったことは、多少増水していたとはいえ、小川がかなり浅い作りになっていたということだろう。
―――・・・痛い、けど、今は追わなきゃ。
傘は後で探せばいい。 そう考え、優紫は再度青の少女の後を追い始めた。 次に差しかかったのは、木が立ち並ぶ小さな林といった場所。
散歩道として整備されたそこは、林の中に入れないよう簡素な柵が付いているが、どうやら青の少女はそこを越えたようだった。 道などない。
だがここまで来て、諦めるという選択肢は優紫にはなかった。 ――――本来、引っ込み思案でおどおどとした性格だというのに。
―――お姉さん、どこへ行っちゃったの?
林の中へ入った途端に視界が悪くなり、青の少女の姿を完全に見失ってしまう。 それでも、探すために一人走り続けた。 積る落ち葉に滑り、何度転んだのかも分からない。
足や手の平には、多くの擦り傷が刻まれていた。 青の少女とは、今日出会ったばかりである。 にもかかわらず諦めなかったのは、親近感を感じてしまったことからだろう。
「見つけた!」
青の少女は、大きな木にもたれかかりうずくまっていた。 それを見て、何故青の少女を見失ってしまったのか理由が分かる。 もうヒラヒラと揺れていたスカートは、ほとんど透けていて見えない。
身体も、まるでカメレオンのように林に同化してしまっていた。 声に反応した少女は、優紫にゆっくりと顔を向ける。
「何をやってんの・・・? 全身泥まみれじゃない」
「青のお姉さんを追いかけてきたんだ」
「何よ、私は謝る気もないし説得に応じるつもりもないわよ」
内容は先程と変わらなかったが、明らかにその口調は弱まっていた。
「僕の事情は、三人よりも軽いと思うんだ。 暴力とか、捨てられたりとかはないから。 でも、喧嘩が始まるといつも胸が苦しくて息をするのも辛い。
身近ないさかいに何も感じない人なんて、いないと思う。 だから桃のお姉さんも、凄く苦しい思いをしているんじゃないかな」
「・・・そんなの、分かっているわよ」
「責めているわけじゃないよ。 僕には、そんな資格ないと思うし」
「・・・そんなこと、ない・・・。 貴方もきっと、苦しい思いをしているって分かってる」
「お姉さん・・・」
二人はびしょ濡れだ。 もし涙を流していたとしても、お互いに気付くことはないだろう。
「でも、駄目なの。 私の頭は分かっていても、心は理解してくれない。 桃を傷付けてしまった。 いつか白のことや、貴方のことも傷付けてしまうと思う。
だからこんな私なんて、一人静かに消え去ってしまえばいいの」
まるで消え入りそうな声だった。 優紫は隣まで移動し、少女の肩に手を乗せる。
「・・・じゃあ、僕も一緒に消えないといけないね。 両親が喧嘩していても、見ているだけで何もできない、無力でちっぽけな僕なんか必要ないから」
「そんなことない。 最初はグズでうじうじしていて、見ているだけでイライラしたけど、今は自分の意見を言うようになったし、カッコ良くなったよ。
こんなおばさんに言われても、って思うかもしれないけど」
青の少女が言った“おばさん”という単語に少し引っかかったが、特に触れないことにした。
「ねぇ、白のお姉さんと桃のお姉さんのこと、今はどう思ってる?」
優紫は尋ねながらも、ある程度返ってくる答えを予想していた。
「そりゃあ、もちろん大切に思ってる。 二人はかけがえのない存在よ」
「桃のお姉さんは言っていたよね。 血が繋がってなくてもいいって。 お姉さんたち三人の信頼は、凄く伝わってくる。 もう家族みたいなものじゃないかな」
「私たち三人が・・・家族・・・?」
「うん。 ・・・嫌かな?」
「嫌・・・じゃないッ。 どうしよう。 私、桃に酷いことを言っちゃった」
「謝れば許してくれるよ。 話し合えば必ず理解し合える、仲直りすれば絆は深まるって言っていたんだから」
「・・・うん。 私、桃に謝ってみる。 まだ完全に納得できてはいないけど」
青の少女は立ち上がり、二人は林を抜けるために歩き出す。 気付けば木漏れ日が、ちらちらと揺れていた。
「雨、上がっていたんだね。 全然気付かなかったな」
優紫はそれ以外にも、変化があることに気付く。 先程までそのまま消えてしまいそうだった青の姿が、今は元に戻っていたのだ。
―――お姉さん、家族のことを大切だと認めてくれたんだ。
それは心の変化だ。 青の少女に聞いても認めないかもしれないが、それはハッキリと形となって表れていた。
―――・・・僕も帰ったら、自分の意見をぶつけてみよう。
同時に、優紫の心も変化していた。 引っ込み思案で事なかれ主義だった優紫は、この短い期間で確かに成長したと言えるだろう。 彼女たちに触れたことで、決意できたのだ。
そして林を歩きながら、優紫は思う。
―――白のお姉さんとも、話がしたいな。
林を抜けると、目の前に白の少女と桃の少女が現れた。 桃の少女も、今は怒ってはおらず二人を探していたようだ。 4人が対面すると、白の少女が早々に声を上げる。
「そんなところにいたの!?」
「あ、うん、ちょっとね」
「この傘、優くんのものでしょ? 小川に放り投げられていたけど・・・」
「あ! すっかり忘れてた! 転んで落としちゃったんだ、ありがとう」
大切なものを忘れるくらい、夢中になっていたらしい。 傘を受け取ると、白の少女は青の少女の全身を見渡しながら小声で言う。
「どうやら青ちゃんのことを、上手くやってくれたみたいだね」
「上手く、かは分からないけど・・・。 桃のお姉さんも、落ち着いたみたいだね」
「まぁ、引きずるようなタイプじゃないから」
青の少女と桃の少女は、距離を取り向き合っている。 一言も発しはしないが、険悪な雰囲気は伝わってこなかった。
「お姉さん、ちょっと話がしたいんだ。 今は二人きりにさせてあげたいから」
「・・・うん、いいよ」
そう言うと白の少女は、先程の休憩所へと歩き始めた。 優紫はそれを見届け、振り返る。
「青のお姉さんの言葉は、きっと心まで届くよ」
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