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優紫が気が付くと、目の前には見知らぬ女の子が立っていた。 起き上がろうとしたのだが、身体が重くまともに動かすことができない。
「お母さーん! 目を覚ましたよー」
去っていく後ろ姿にも、見覚えはない。 今いるのは、確かに自宅の寝室だというのに。
―――・・・あれ、いつの間にか妹でもできたのかな?
そんなわけはなかったが、錯覚してしまったのは体調を崩していたからなのかもしれない。
「優、起きたのね。 お母さんのこと、分かる?」
やってきたのは、間違いなく母親である美白だ。
「分かるよ。 えっと、僕はどうなったの・・・?」
紫陽花園にいたことは憶えているが、その後の記憶がすっぽりと抜け落ちている。 話を聞けば、どうやらあの後倒れてしまい、病院へ連れていかれたらしい。
原因は風邪――――ではなく、擦り傷を負った手から入った紫陽花の毒に、やられてしまったそうだ。
―――お姉さんが言っていた“危険”って、毒があるっていうことだったんだ。
美白も紫陽花の毒のことは知っていたが、口にしない限り問題はないと思っていたようだ。 ただ医者の話では、疲労や体調不良も重なったのではないかという話だった。
―――雨の中、走り回ったもんなぁ・・・。
毒の量も少なく、特に重症化する恐れもなかったため、風邪薬だけを貰って家に帰ってきたらしい。 だが、これでは先程の女の子の説明がつかない。
「優くん、久しぶりー! 大丈夫!?」
「ちょっと、優くんは起きたばかりなんだから大きな声を出さないの」
流れるように入ってきた二人、の顔は微かに見覚えがある。 母親と同じくらいの年齢で、そして、つい最近にもどこかで会ったような気がした。
―――誰、だっけ・・・。
その横から、不安気に覗いている三人の子供たち。 その中には先程の少女もいた。 優紫が困惑を露わにしていたためか、美白が紹介する。
「ごめんね、うるさくて。 お母さんの幼馴染の二人、とその可愛い子供たちなの。 さっき急に来ちゃってね」
「何か、急に美白に会いたくなっちゃって。 それに何故だか、優くんもどうしているのかなって気になっちゃってさ。 来たら『優くんが倒れた』って言うから、びっくりしたよ」
「私も急にね。 何でだろう、やっぱり私たち三人は家族だから?」
「青依ちゃんも桃佳ちゃんも急過ぎるわよ。 倒れたから、優を静かに寝させてあげたかったのに」
優紫は三人の会話に、引っ掛かるものがあった。
―――青依・・・桃佳・・・。
―――それに、家族だって・・・?
それは、紫陽花園で出会った少女たちの名だ。 よくよく思えば、どこか面影が残っている気がする。
「あの・・・」
聞こうとしたが、咄嗟に口を噤んだ。 冷静に考えて、小学生くらいの姿で紫陽花園にいたのかを聞くなんて、どうかしている。
“夢でも見ていたのだろうか”
そう思うが、手には確かに紫陽花の感触が残っていた。
「お母さん、さっき渡した白い紫陽花って、どうなった?」
「そこにあるわよ」
美白は、窓枠のところに置かれている花瓶を指差した。 そこには、純白の紫陽花が生けられている。
「優が倒れる原因になっちゃったから、どうしようかと思ったんだけどね。 やっぱりお父さんからの言葉も嬉しかったし、優がくれたものだから飾っておくことにしたのよ」
優紫自身、紫陽花の毒で倒れたというのに悪い感情は持っていなかった。 それは一緑が美白に紫陽花を渡す光景を、心に刻み込んでいたからなのかもしれない。
「小学校からの初恋で結婚までしちゃうなんて、まるで少女漫画みたいよね」
「ずっと支えてくれたからね」
「うんうん! で、その言葉って何?」
「べ、別に何でもないわよ」
桃佳に詰め寄られ、美白はたじろいでいた。 紫陽花園での少女たちと重ねると、少し面白いと思う。
―――青依さんも桃佳さんも、今こうして笑っていられるっていうことは、乗り越えてきたっていうことだよね。
聞いた話が、現実の境遇だったのかは分からない。 だが優紫には、あれが本当にあったことだと理解できていた。
「ただいまー。 買ってきたぞー」
玄関から、一緑の声が聞こえてくる。
「おっと、愛しの旦那様のお帰りだ。 さーて、その言葉とやらを聞いてみましょうか」
「こら、桃佳ちゃん!」
優紫の様子を見ていた人たちも、二人を追いかけていった。 もっとも優紫が目覚めたとあれば、またみんなしてやってくることだろう。
それは分かっていたのだが、喧嘩とは無縁の今を感じ優紫は一度目を閉じる。 目の端には窓際で、紫陽花が優しく揺れているのが映っていた。
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