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神サマ先輩
バイトの給料日まであと一週間!
そんな俺の所持金、全財産は……。
「さ、三十円……」
まいった。これは、まいった……!
立て続けに合コンに参加したのがいけなかった。だってもうすぐクリスマスだから、恋人作りたかったんだもん! 今年こそはひとりぼっちの聖夜を抜け出したかったんだもん!
……って、馬鹿なこと言ってる場合じゃない。マズいぞ。あと一週間を三十円でやり過ごすのは、不可能だ。くそっ、こんなことならカップ麺とか缶詰とか買い溜めしておけば良かった……。
ぐう。
腹の音がバックヤードに響く。
俺のバイト先はコンビニ。賞味期限切れの弁当やパンを貰える店舗もあるらしいけど、うちのコンビニは規則が厳しく、そういった、いわゆるおこぼれは貰えない。
ああ、悲しい。店内には溢れるくらいの商品が、食べ物が並んでいるのに俺の財布の中身ではそれらを手にすることも出来ないのだ……。
「お疲れ様です。あれ、安藤くん、まだ居たの?」
「あ、神崎先輩……」
シフトから上がった神崎先輩がバックヤードに顔を出した。俺より二つ学年が上の先輩だ。優しくて、頼りがいがあるめっちゃ良い人。
「財布と睨めっこしてどうしたの?」
「先輩……実は」
俺は今、金が無くて大ピンチだということをぼそぼそと説明した。先輩はしばらくの間は黙って聞いていてくれていたけど、やがて、ぴくぴく肩を揺らして笑い出す。俺はむっと口を尖らせた。
「先輩! 俺は真剣な話をしているんです!」
「……ふふっ、いや、ごめん。でも、そんな漫画みたいな状況に陥っているなんて……ふふふ、ごめん……面白くて……ククク」
とうとう先輩は床にうずくまってしまった。俺は、そんな先輩に恥を忍んで言ってみる。
「あの、先輩、お金を貸していただけませんか?」
「ふふっ、お金? いくら?」
「せ、千円……」
「うーん。僕ね、お金の貸し借りは好きじゃないんだ」
「えっ」
嘘だ……終わった……。
ショックで俯く俺の肩を、立ち上がった先輩がぽんと叩く。
「ああ、お金の貸し借りは嫌いだけれど、ご飯くらいは食べさせてあげるよ?」
「……えっ?」
「僕の手料理で良ければ」
ああ! 助かった! これで一週間生きていける!
俺は先輩の手を握った。
「神崎先輩! いや、神サマ先輩! このご恩は忘れません!」
「大袈裟だなあ……ああ、そうだ。ご飯を食べるために、君に少しやってもらわなきゃならないことがあるんだ」
「……はい?」
ふっと、先輩の纏っている空気が変わった。いつもは優しいふわふわしたオーラなのに、今の先輩はまるで悪い人のような――。
先輩は俺の顎に親指を添えて微笑む。
「ちょっとくらい、身体で払わなきゃ、ね?」
俺の背筋は恐ろしいくらい冷たく凍り付いた。
***
「ごほっ、ごほっ……先輩!」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃ、無いですっ! どうやったら、こんな……」
ゴミ屋敷になるんだよ!
あれから先輩に引きずられるように連れて来られたのは先輩のアパートだった。強引に中に押し込まれた俺は絶句する。
何故なら、アパート内は足の踏み場も無いほどに散らかりまくっていたからだ。
「はい、ゴミ袋」
そう言って先輩は俺に市が指定するゴミ袋を手渡した。そして、器用にすすすと廊下を抜けて、かろうじて座れるスペースのソファーの上に乗って言った。
「今日中にお掃除してね。そうしないと、ほら、火を使うからゴミがあると危ないし」
「……」
先輩。
俺は先輩のことを尊敬していました。優しくって頼れる先輩。けど、そのイメージががたがたと音を立てて崩れていく。
仕方ないので、俺はゴミ袋の中に不要そうなものを入れていく。
「あ、それ。まだ使える」
「使えません!」
「そっちのはまだ捨てないで」
「どう見たってこれはゴミです!」
「ゴミじゃないよー」
「駄目です!」
ためらっていたら片付かない!
俺はポイポイとゴミ袋の中にゴミを投げ捨てる。幸いなことに、ここは学生向けのアパート。だから狭い。なので、ゴミはあるっちゃあるけど、地獄絵図みたいなことにはなっていない。
「……あの、先輩。質問しても良いですか?」
「良いよ」
「どうして、こんなに散らかっちゃうんですか?」
「ああ、僕、ちょっと前までは、ほとんど研究室に籠ってたんだ。だから、この部屋に帰って来るのはシャワーと寝るためだけ。だから、散らかってても不便が無いから、いつの間にかこうなっちゃったんだよね」
「なるほど……」
どうやら掃除が出来ない人というわけでは無いらしい。少し安心した。
それから三時間、俺はひたすら掃除を続けた。先輩がちょこちょこ口を挟んでくるからなかなか進まなかったけど、なんとか部屋は綺麗になった。玄関に積んだゴミ袋の数は十一個。次の木曜日がゴミの日だから、その日に出せば良いだろう。
「お疲れ様」
ソファーからぴょんと降りた先輩が、疲れ果ててしゃがみ込む俺の頭をぽんぽんと撫でる。
「それじゃ、ご飯を作ろうかな」
「や、やった! 俺もうぺこぺこですよ!」
「じゃあ、今日はね……肉を焼こう。ああ、ご飯を先に炊かないとね」
「あ、あの先輩。米とか肉の賞味期限は大丈夫ですか……?」
「肉は二日前に貰ったやつで、米はちょっと前に実家から送られてきたやつだし大丈夫だよ。野菜は無いけど良いよね?」
言いながら先輩は米を洗って炊飯器にセットした。それから、フライパンに油を垂らして火をつけ、その中に薄くカットされた肉を並べていく。じゅわっと香ばしいにおいが室内に充満した。
座っていてと言われたので、俺は部屋のローテーブルの前で胡坐をかいた。途端に酷い眠気に襲われる。きっと疲れが出たんだ……俺はテーブルに頬杖をついて、重い瞼を閉じた。
***
「安藤くん。ご飯できたよ」
「は、ふえっ!?」
「腕退けてね」
慌てて姿勢を正すと、先輩がトレイの上の茶碗と皿をテーブルの上に並べた。皿の上には山盛りの肉! 思わず見とれていると、先輩はふふっと笑った。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます!」
美味い!
タレが絶妙に絡んだ肉は、あっと言う間に口の中で溶けてしまう。白米もつやつやしていて絶品だ。俺は無言でがつがつとそれらを口に入れた。そんな俺に先輩は苦笑して言う。
「おかわりは無いからね?」
「はい! 大丈夫です! 神崎先輩……いや、神サマ先輩! 料理、すっごい上手いっすね!」
「大袈裟だなあ」
「あの、これから一週間、よろしくお願いしますっ!」
そう俺が言えば、先輩は少し首を傾げて笑った。
「ねぇ……一週間後って何の日か覚えてる?」
「一週間後って……あ」
クリスマスだ!
俺が金を使ってしまった原因の、魔の聖夜!
ショックを受ける俺のことを見て、先輩はますます笑う。
「聖なる夜を僕なんかと過ごすのかー。でも、ま、仕方ないよね」
「……はい。あ、いえ! 別に嫌ではないですから! 先輩は神サマ先輩ですからっ!」
「神サマ、かぁ……」
先輩は手を伸ばして、すっと俺の頬を指でなぞった。冷たい先輩の指の感覚に、思わずぞくりとする。
固まる俺に、先輩はいつもより低い声で言った。
「……神サマじゃなくって、悪い悪魔かもしれないよ?」
「あ、悪魔……?」
「そう、悪魔」
先輩の顔が近付く。反射的に俺は目を閉じた。何か、される。そう分かっていたのに、俺は目を閉じてしまった。
「っ……」
くちびるに、柔らかいものが当たった。
柔らかくて、良いにおいで、香ばしい……あれ?
「あ……」
「ふふっ。キスされたと思った?」
俺のくちびるに当たったのは、先輩のくちびるじゃなくって先輩が箸で持った肉だった。俺はあっけに取られてぼんやりと口を開けたまま固まる。そんな俺の口に、先輩はぽいっと肉を放り込む。
「そんなすぐに取って食ったりしないから」
「は、はい」
「ねぇ、一週間で、どれだけ君を餌付け出来るかな?」
「餌付けって……」
「ふふふ」
いたずらに先輩は笑う。
そんな先輩に、俺は肉を食べることを忘れて見入ってしまっていた。
妙に心臓がどきどきする。
何でだ……?
こんなのまるで、恋してるみたいな……。
「クリスマス、楽しもうね」
いつもより鋭い先輩の瞳に思わずどきりとした。
俺は黙って何度も頷く。
食事を再開した先輩を見ながら、俺もいつかこんな風に食われてしまうのだろうか。
どんな一週間になるのだろう。
先輩は神サマじゃなくって……本当は、俺の心を奪ってしまう悪魔かもしれない。
悪魔の甘い食事で、俺の身体はどう変わってしまうのだろう。少し冷めた肉を口に運びながら、俺はそんなことをぼんやりと思った。
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