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この世界にはまだ魔法が活きている。しかしそれは、全盛期のものと比べて、はるかに力が衰えてしまっていた。魔法使いや魔女はすでに存在しない。残っているのは、祈りや呪い、ジンクスといった類のものだけであった。それらもまた、いつ失われてもおかしくはない状態だった。
私たちの小学校にはかつて、はっきりとしたジンクスがあった。
――「寂秋(サバキ)小学校の学校行事の日は必ず天候が晴れる」
このジンクスを人々は信じていた。発展した天気予報がいくら雨の予報を伝えたとしても、人々は疑いなく晴れを確信し、そして一滴の雨にも見舞われることなくその日一日を過ごすのだった。なので、寂秋町の人々の中で、小学校の行事予定を知らないものはいなかった。――四年前までは。
十月十日。寂秋小学校の運動会予備日。天気予報では晴れだった。しかし……。
「また今年も中止かあ……。ほんと、ついてないね、私たち」ラン――ラン・スミエ(住江嵐)――は愚痴をこぼした。
四年前――ランたちが入学した年――、町の住人が信じ続けていたジンクスが突然破られたのだ。一年生の春の遠足の日に早めの台風が襲撃したのである。町の人々は驚愕した。農業の仕事の予定が狂った。
それ以来、次から次へとジンクスを裏切る出来事が多発した。町の人々はなんらかの災厄の始まりではないかと畏れたりもしたが、特に大きな災害もなく、四十二ヶ月が過ぎた。ジンクスが破られたといっても行事予定のある日は全て雨だというわけでなく、時々晴れたりもするので、ジンクスがなくなったのだと解釈する者もいた。
「俺はこうなると思ってたよ」ライ――ライ・ムラサメ(村雨瀬)――が答えた。
「昨日はあんなに楽しみにしてたくせに」
「天気予報が晴れって言ってたからだよ。結局、俺たちの運命はこんなものだったんだな」ライは大きなため息をついた。
「んな、大袈裟な」ランはそう返しながら、ライの言葉に抱いた違和感を咀嚼していた。まるで、今日、雨になることをどこか確信しているような、そんな口調だった。
「(もしかして、ライはなにか知っている?)」そこでランの思考を妨げるように授業開始のチャイムが鳴った。
「ねえ、探しに行かない?ジンクスの謎を」放課後、ランはライに声をかけた。
「ジンクスの謎?」
「そう。もともとどうして寂秋町のジンクスが生まれたのか、調べてみようよ。そしたら、今の状況がどうして生まれたのかわかるはずだよ!」
ライはため息をついたが、反対はしなかった。
二人は図書室で調べ物をした後、寂秋神社に向かった。寂秋神社は寂秋小学校の裏山にあり、子供好きの神様が祀られているといわれる。
「寂秋神社が建てられたのは約四百年前みたいだね。戦国時代の真っ最中かな。誰が建てたのか、どうして建てたのかの情報は全くなし。祀られているのは吉祥天っていう八福神の一人らしいんだけど、そっちの方面で調べると、吉祥天が子供好きだって記述は見当たらないんだよねえ。吉祥天はヒンドゥ教の神ラクシュミの仏教版みたいで、ヴィシュヌの妃みたいだよ。ただ、仏教では吉祥天の母は鬼子母神っていう神様で、子供と安産の守り神となっているから、その辺りがルーツなのかも」ランは図書室で調べたことを説明した。
「よくそんなに……、調べたね。でも、その情報、ジンクスに、関係が、あるの?」ライは少し息切れしながら神社前の険しい階段をランの後に続いて登っていく。
「実はね、ジンクスの原因はこの寂秋神社にあるみたいだよ。一説には、その子供好きの神――めんどくさいから吉祥天って呼ぶね――が、子供たちが悲しむ姿が見たくなくて、子供たちの願いを叶えてあげようと祈ったのが始まりらしいよ。(よくそんな運動不足で運動会を楽しみしてたね)それで、学校行事の日に子供たちが雨が降らないことを願ったから、それがジンクスとして今も残ったみたいだよ。(大丈夫?)」
「(大丈夫、たぶん)子供たちの、願い事を、叶えてあげたい、のなら、将来の、夢とかも、叶えてあげたら、いいのに」
「どうにも、『子供たちが悲しむ姿を見たくない』だけだから、子供たちがある程度成長してからの叶うような願い事には興味がないみたい。(あと少しだよ。頑張れ)将来の夢が実現できなかったと言って、悲しむのは将来の自分であって、子供の頃の自分じゃないしね」
二人はやっと神社の鳥居の前に立った。寂秋神社の外見は、どこにでもありそうなちっぽけな神社であった。境内はそこまで広くない。
「神主さんか誰かいないのかな?」ランは呟いた。
「いなさそうだね。特になにか説明とか書いてるものもなさそうだし……」
「ん〜、なんか、収穫なさそうだね……。このまま帰るのもなんだし、参拝でもしていく?」
「そうしようか」
二人は神社に参拝した。ランが両手をおろし、最後の一度の深いお辞儀を終えると、ライがまだ祈っている最中だった。
ランはライが拝礼を終えるのを静かに待った。ランには、ライがなにかを必死に祈っているのが手に取るように伝わってきたのだ。ランは少し下がった位置で目を閉じて、音としては伝わってこない、ライの必死の祈りに耳を傾けようとした。ライは一礼をし拝礼を終了するのに二分ほどかかった。
「あの大木はなんだろう?」参道の端を二人で歩いていると、ライが際立って大きな神木に気づいた。
「あれは梛かな? 風の止む凪と同じ名前の読み方だから、船乗りに信仰されてその葉を災厄避けにされることがあるみたいだよ」
「へえ……」
二人はその針葉樹に近づいた。たまに風で落ちてくる葉は、まるで広葉樹のような葉形だ。ランはその場でしゃがみこみ、楕円状披針形の葉を拾ってみた。
「え!」その時突然、ライが驚愕した声を上げた。ランは驚いて飛び上がる。
ごめん、先帰る! そう言ってライはランには目もくれず走り去っていった。一人残されたランのロング・ヘアを風が揺らした。怯え。ライの消え去った残像を呆然と眺め、ランはしばらく動かなかった。
ランは高さが二十メートルもある木を見遣った。その太い幹にはは白い紙を縄で結ばれている。
ライが見ていたのはこの注意書きかな? ランは注意書きに目を通した。
『危険なので、この木に登らないでください。寂秋神社神主――』
「え!なんんでこんなところにカイの名前が!?」
ランの手から離れた針葉は、強風に煽られ、境内の外へと飛ばされていった。
ランは駄菓子屋『嵐』に帰ってきた。
「お帰り、ラン! 今日は遅かったな」『嵐』の店主、有明廻(カイ・アリアケ)がランに声をかけてきた。
「ただいま、カイ!」ランは叔父に笑顔を返す。
カイは両親が亡くなったランの引き取り主だった。ランにとって母の弟のカイは唯一の肉親だ。
「放課後、友達と遊んでたのかい?」カイは商品の整理をしながら訊いた。
「ううん。ライとジンクスについて調べてた」
「ジンクス? どんなジンクスだい?」
「学校の。『寂秋小学校の学校行事の日には必ず晴れる』ってやつ」
「ああ。あの、最近効力が弱まってるって言われてるやつか」カイは顔を上げた。
「そういえば、カイって、寂秋神社の神主だったんだね。知らなかったよ」ランはさりげない(つもりの)口調で気になっていた話題を振ってみた。
「ああ。そうだよ。休業日にランがいない間に掃除とかやってるよ」
「へえ。そうだったんだ。ジンクスって、寂秋神社の神さまが子供たちのために生み出したって図書の本にあったんだけど、あれってホントなの?」
カイはレジの方に移動しながら答える。「いや。違うよ」
「え、違うの!?」ランはカイについて行く。
「ああ。ラン、呪いって知ってるかい?」カイはレジの机に身を乗り出して訊ねた。
「え、知ってるけど……?」
「説明してご覧」
「えっと……、他人に悪いことが起きるようにすること?」
「まあ、少しだけ合ってるかな。じゃあ、祈りとどう違う?」
「祈りって、全然違うくない? 自分に幸せが降りてくるのを願うことじゃないの?」
「じゃあ、他人の幸福を願うのは祈りではない?」
「ん……、それも祈りかな」
「じゃあ、自分に不幸が来ることを願うことは、呪いじゃない?」
「そんな人いる? ……でも、それも呪いだね」
「自他問わず、幸運を願うのが祈りで、不幸を願うのが呪いってことだよね」
「あ、うん……、そう言われればそうだね」
「もう、十歳だし、そろそろ話してあげてもいいだろうね。実は、この世界にはまだ魔法が生きているんだよ。全盛期と比べれば遙かに弱いけどね。――」
こうしてカイは語り始めた。
魔女・魔法使いが滅んだ後、残った魔法は、呪い・祈りの形で世界に留まり続けた。寺院で、あるいは魔法書という形で。祈りと呪いは受け取り手の良し悪しによって別れるだけであり、本質は同じ、魔法の非常に弱まったものなのだ。
また、魔女・魔法使いの子孫の中にはは、かつての強大な魔法は使えないにしても、微かな力が残り、呪い・祈りが使うことができるものがいた。魔法の衰退から何百年も経っていることから、その能力が自分に備わっていることに気がついていないものも多くいるのだそうだ。
寂秋小学校のジンクスも、その呪い・祈りの名残だった。
かつての寂秋神社の巫女は、そうした呪いの力を持つ存在だった。というよりも、呪われた存在だったとも言える。呪い・祈りには表裏がある。それは、一つの祈り(あるいは呪い)を行うと、必ず付随してくる効果があるということだ。まるで薬の副作用のように。
その巫女は、先祖代々から続く「力」と「呪い」を受け継いでいたそうだ。それは、「他人に祈り・呪いをかけることができる呪い」とその力だった。条件付きであったが、彼女は他人に呪いをかけることができた。
そして、「他人に祈り・呪いをかけることができる呪い」にも裏があった。それは、「人と話しているとき人の感情がわかってしまう呪い」だ。
ある日、自身の能力に気づいた巫女は、それ以来、参拝に訪れた参拝客の心情を読み、それを叶えてあげようと祈り・呪いをかけていたのだった。自身の力に限界があるとは知らずに。
彼女は来る日も来る日も参拝者の悩み事・願い事を叶えていった。そして祈願成就の噂を聞きつけ、さらに多くの人が参拝しにくるようになる。彼女の呪いを使う機会はさらに増えていくことに。そして彼女が参拝客たちにかけていく呪いに潜む「裏」も同時に発動し、その災厄を取り払おうと異様なまでの人々が押し寄せてくることになった。祈り・呪いの裏を取り除こうと、祈り・呪いをかけると、さらにその裏が作動して、被呪者を悩ませていく。その矛盾に彼女は大きく悩んでいくことになる。
やがて、彼女に愛する人ができる。彼女はその男性にたいして求愛を始め、その想いが伝わり結婚に至った。そして、二人の間に子供が誕生した。
彼女の息子が誕生したとき、彼女はとても喜んだという。妊娠している間は、能力の使用を抑えていたため、ずっと抱いていた苦悩から解放されて感情が回復していたのだろう。そのときの彼女は誰もが見惚れるほど美しい笑顔だったそうだ。
しかし、その笑顔も巫女として能力の使用を再開したときから失われることとなる。彼女が出産後初めて魔力を使用したとき、彼女は言いようもない喪失感を覚えた。自身が持つ力が明らかに減少している、そのことをはっきりと感じられたのだ。
それでも彼女は祈りを続けた。人々の幸せを願って。魔力が削られるのも構わず。以前のように苦悩の日々を送る中でも彼女は祈りを止めることはなかった。そして彼女の残された力に底が見え始めてきた。
「――その後、育った彼女の息子が、神社でお願いをした。『今度の運動会、晴れますように!』ってな。彼女は息子の願いを叶えようと祈りを使用、遂に彼女の力が尽きたんだ。力が尽きる、それはすなわち、生命力が尽きることを意味する。彼女はそこで最期を迎える結果となってしまったんだ」
「それが……、ジンクス?」
「ああ。彼女は最後の最後で、もっとも強力な呪いを放ったんだ。それも、かなりの条件付きにすることで、裏の呪いもかなり制限して……な」
「その、呪いは……?」
「『寂秋町の子供達の多くが強く晴れを願った日、天に雨雲が発生しない呪い』だ」
「そうだったんだ。じゃあ、今、ジンクスが消えているのは、子供たちが晴れを願わなくなったせい?」
「いや、呪いの魔力が薄れた可能性もなくはないし、他の可能性もある」
「そう……」ランは落胆した。カイならば知っていると勘ではあるが信じていたからだ。
カイはランに慰めの言葉をかけ、立ち上がってた。店の店頭に貼られている万引き防止のポスタが剥がれかけていたのだ。ランは、カイがポスタを貼り直す様子を眺めていて神社での出来事を思い出した。
「あ、それと、ライと寂秋神社で呪いについて調べてたとき、梛の神木の貼り紙を見て急に走り出したんだけど、カイは心当たりない?」
「貼り紙って、どんなやつだっけ?」
「『危険なので、この木に登らないでください。寂秋神社神主 有明廻』ってやつ」
「ふうん。そういや、『ライ』ってフルネイムは何だったっけ?」
「村雨瀬。『村の雨』に『瀬を早み』の『瀬』」
「村雨瀬……」カイは手を顎につけて考えた。「ああ。あの子か」
「え、カイ、ライのこと知ってるの!?」
「ああ。彼がまだ幼稚園児だったときにうちにきたよ。」
「え、この『嵐』に?」
「ああ。まさか、ランがいつも話していたライ君が男子だとは思わなかったなあ。実はね、あのとき瀬君と一緒に来てね、どこで話を聞いたのか、僕に頭を下げて頼みこんできたんだ。――」
「ライ。聞いたよ、ライの『呪い』」放課後になってから、ランはライと対峙した。だんだんとクラスメイトが帰っていく。
ライはランドセルを机の上に置いてぶっきらぼうに答えた。「有明廻からか」
「そうだよ。ライの呪いは『緊張しているとき必ず成功する呪い』だよね。小学校に上がる前、駄菓子屋『嵐』のある噂を聞きつけたライのお母さんが、ライを連れて『嵐』に訪れた。そう、『呪術を用いて願い事を叶えてくれる駄菓子屋がある。そこの店主は寂秋神社の神主だから、信用できる』ってね。(私は昨日までその噂を知らなかったけど。)そして、ライのお母さんの頼みに根負けした店主のカイ、有明廻の呪いを受けたんだね」
「ああ。その通りだ」
「でも、呪いには裏がある。もちろん、有明廻は説明したし、ライのお母さんも承諾した。だから今、ライはその身に受けた呪いの裏の面に苦しんでるんだよね。『気分がいいとき気候が崩れる呪い』っていう呪いをね。だから、寂秋町に長く続いていた弱まったジンクスが、ライが入学したときから四年間、覆されたんだ。ライの呪いの方が新しく強いからね」
「……みんなには申し訳ないと思っているよ。気分が向上すると雨が降ってしまうなら、ずっと期待しなければいいんだって。そう思っても、どうしても楽しみにしてしまうんだ。雨が関係ないものならば素直に楽しめるんだけど、雨が影響するものだと、みんなに迷惑がかかってしまう。いくら希望を捨てても、心を鎮めてるから雨が降らないと思うと、心が踊ってしまうし、そろそろ呪いが薄まってきたんじゃないかって勝手に解釈してしまうこともある。どうしたらいいんだって。思ってしまうんだ」
「辛かったんだね。呪いのことなんて、誰にも話せないもんね。なかなか信じてくれないだろうし、嘘つき呼ばわりされて、バカにされるかもしれない。そう思うと、悩みが増えて葛藤が深くなる。四年間、お疲れ様。もう、大丈夫だよ」
ライの目に、涙が溜まっていくのがランにはわかった。そっとライを抱き寄せ、頭を撫でた。教室には二人しかいない。
「大丈夫、大丈夫」ランは繰り返しライの頭を優しく撫で続ける。耳元でライの泣き声が聞こえてきた。
ライが気がすむまで泣いたあと、ランは告げた。「実はね、私も呪いを持っているの」
「え……?」呆然とするライ。
「例の寂秋町のジンクスを生んだ、かつての寂秋神社の巫女。ライに呪いをかけた駄菓子屋『嵐』の店主、有明廻。私は、彼らと同じ呪いを持っているの」
――『人と話しているとき人の感情がわかってしまう呪い』。そして、その裏は『自分が幸せだと感じているとき他人に祈り・呪いをかけることができる呪い』
ランはライに寂秋町のジンクスの真実を話した。「そう考えると私のこの呪いって、かなり合理的だよね。他人に呪いをかけるとき、幸せでならなければならない。でも、裏の呪いのせいで、人の感情がわかってしまう。人の感情がわかるって、大抵幸せになれないものね。だから、たぶん、その巫女は条件のおかげで途中から呪いをかけることができなかったんじゃないかなあ。かけたつもりになってただけかも。力が減るように感じたのも、ただ自分が衰弱してただけで。でも、最期の最期はちゃんと呪いをかけられた。自分の子供のために祈ることができるのは幸せなことだから。だから最期に最も強力な呪いを放ったんだよ。きっと」
「そういうことだったんだ」ライは全てを聞いて納得した。
「ライ。だから、私はライの力になれるんだよ」
ライはランが成そうとしていることを察したようだ。
「でも、俺はランにその巫女と同じ道を歩んで欲しくない。ずっと幸せでいてほしい」
「大丈夫よ、ライ。私は彼女の二の舞にはならない。かといって、カイのような孤独を幸福と感じるような卑屈な人物にもならない。私が呪いを使うのは一度だけ」
ランはライに近づく。首を傾げるライ。
「巫女が最期に放った呪いを、彼女よりも幸せな私がもう一度かけるの」
ランはライの首に手を回す。戸惑い気の抜けた声を上げるライ。
「裏なんて知らない。カイの呪いよりも強力なジンクスを作るの」
ランとライの顔面が急接近する。ライの顔が真っ赤になる。
「だって、私は、私たちは、とても幸せなんだから」
ランは満面の笑みを浮かべて目を閉じた。ライはそれに応じた。
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