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「転校したばかりで校内迷ってました」の一言で、遅刻のお咎めからは逃れられた。
二度目の言い訳には使えない。それでも登校するたび、どこかの休み時間に第二音楽室を覗き見する。これがすっかり勝行の日課になってしまった。
金髪ピアノ少年。
学年も名前もわからない。毎日居るわけでもないし、他の教室では見かけない。謎すぎるその姿を訳もなく追い求め、演奏中に出会えれば嬉しくなる。そして堂々と一声かけることにした。
「ねえ、今日も聴いていい?」
とはいえ彼は演奏に夢中で気づかない。視界に入る位置までわざと出向き、目を合わせてから話す。
それでも返事はない。代わりに睨まれるが、すぐピアノに視線を戻してしまう。演奏はやめないので、別に聴いててもいいんだなと都合よく解釈して、時間の許す限り彼が奏でるピアノ曲を聴いていた。
病的なほど演奏に没頭するその姿は、天才奇才と呼ばれる音楽家のようだ。
彼は本気でピアノしか見ていない。
きっと勝行のことも一度は気になるけれど、ただの景色か置物だとでも思っているのだろう。話しかけても一切反応しないし、ずっとピアノの鍵盤に向き合ってその手を止めることはない。
「楽しそうに弾くね、君」
なんて感想を述べても、ただの独り言になってしまうのだ。
愛おしそうに撫でて優しい曲を奏でたり、辛そうな顔をしてドーンと重苦しい曲を弾いてみたり。楽しそうな時は全身ノリノリでアンダンテヴィバーチェの旋律を現している。その感情表現豊かな演奏は見ていて飽きない。
そしていつも、違う曲を弾いている。
どこか聞き覚えのあるフレーズでも、毎回違うアレンジ。伴奏も違うし、馴染みあるメロディが来てもその先が読めず、耳で覚えきれない。
「え、そこで変調するの? さっきと違う。面白いなあ」
奏でる音楽はむしろ、即興で創っているようだ。まさに楽譜のない、ソロコンサート。
見た目はどう見ても校則違反だらけだし、おそらく授業もサボっているのだろう。色々ツッコミどころが満載だ。
品行方正を是としてきた優等生の勝行には考えられない。真逆のタイプ。
だがそんな彼を中心とする自由気ままな音楽空間に、なぜかどうしようもなく魅かれてしまったようだ。ここにもし、ギターのフレーズをひとつ投げ入れたらどう変化するだろう……なんて考えただけで好奇心が止まらない。
(一目ぼれ……?)
彼の音楽にすっかり魅了されている自分を揶揄したら、こんな言葉を思い付いて失笑した。だとすると今の自分は、まるでストーカーではないか。そう考えたら彼に無視されても仕方ない。
ふと、始業チャイムが聞こえてきた。
「あっ……まずい」
これは遅刻確定だ。彼の紡ぐ音楽に浸りすぎて移動時間のことを忘れていた。焦る勝行は未だ演奏をやめない少年に「またね」と告げ、部屋を飛び出し階段を駆け降りた。
急ぎ足で教室へ向かう途中、次の授業の教師――担任の姿を見つける。ここで追い抜かしても遅刻が丸わかりだ。一か八かの勝負に出る。
「先生、お疲れ様です」
急いできた体を装って隣に駆け寄り、キラキラエフェクト付き会釈を投げる。
これぞ必殺・《ごまかしの御曹司スマイル》。何も知らない担任は「おお、相羽か」と笑顔で応えてくれた。
「学校には慣れたか?」
「はい、なんとか」
「職員室にでも行ってたのか」
「あー、はい。ついでに教室の配置を覚えようと思って散策を……。でも音楽室まで行ってしまうと、休み時間中に戻れませんね、失敗しました」
「音楽室は一番遠いからな。あーでもお前、そのへん行ったのか。アイツ見かけなかったか」
「……え?」
担任からいきなりそんなことを尋ねられ、勝行は戸惑った。それはもしや、あのピアノ少年のことだろうか。
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