第四章

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第四章

     ひとりごと  わたしの名前はミク、未来と書いてミクと読む。  双子の妹として生まれた。明るい世界を見た記憶はしっかり残っている。でもそれは一瞬の出来事でその時、とても短い瞬間だったけど神様にお願いをした記憶も残っていて、ずっとずっと後になってから思い出した事だった。 「お姉ちゃんの事を見ていたい、感じていたい少しの間でいいから」  そんな言葉だったか、願いだったか覚えていないけれど、強く願って全身に力を入れて小さくなった。あかちゃんでも、すごい意思の力があったのかもね。  そんな始まりから、きっと時が過ぎた頃だろうか、うっすらとぼんやりした世界で目を覚ました。  冷たいガラスの向こう側で、綺麗に整頓された部屋は可愛い小物がたくさんあって、わたしはその一つ一つに触れる事ができない事に悲しみを抱いた。  覗き込むと同じ顔をした女の子が笑ってこちらを見て、わたしの名前を呼んだ。  それがミイナだって事は、何も考えなくも理解できたし向こうの女の子も同じように感じている事さえはっきりしていた。  わたしは自分の周りを向こう側と一緒にしたいと願った。そして、それはいとも簡単に振り向けば叶う出来事だった。見る事ができることはイメージできることは簡単に可能になりそんな世界をどんなに楽しいと思った事だろう。それだけで、わたしは幸せを感じていたはずだった。  話を聞く事は、とても楽しい事だった。  この部屋の外の事をたくさんおしゃべりするミイナは可愛かったし気が強そうにも感じて、どこか遠慮してしまう自分が、悲しかったのを覚えている。仕方のない事、それ以外に自分を納得させる言葉はなかった。  わがまま一杯のミイナに、わたしは少しだけ焼きもちを焼いてこう言った。 「ピンクのリボンが付けたいな。ミイナゆずってくれる?」  何でもない事のように、ミイナは頷いた。幼い表情はわたしと一緒。 「ピンクのドレスが着たいから、ミイナは水色のドレスでもいい?」  それでも、ミイナは笑って水色のドレスを着て見せた。わたしはこっち側でピンクのドレスを着ることができたから、嬉しさは倍増した。少しのわがままは心地よくて、心をフワフワの綿の上にのせた。  そうやって、わたしの世界は少しずつ拡がっていく。  わたしの世界が狭いと知ったのは、ミイナが田舎のおばあちゃんの家に遊びに行った時の事。  ミイナはおばあちゃんの家の鏡台の前に座ってほほを膨らませて、黙ってこっち側を見つめていた。  わたしから見える世界は古い和室の畳の部屋で、ミイナの家の様子とは違って不思議な感じがした。畳の部屋の向こう側に廊下のようなものがあって、その向こう側には草の生い茂る広い庭が見えていた。  少しお兄さんの感じのする男の子が周りにわたしと同じ年位の子どもたちを従えて、声をかけていた。 「川に行こうぜ、魚の取り方教えてやるよ」  ミイナにそう男の子は声をかけたけれど、目の前のミイナは知らんぷりだった。  行きたいな、川に、あの子たちと遊びたいな。  わたしも声をかけた、「いけばいいのに、楽しそうだよ」  ミイナにはいつもみたいに聞こえてはいないようだった。  こっちをじっと睨みつけていて、何かに腹を立てていて下唇をギュッと噛みしめて座っている。  そのまま、うっすらと涙が流れてほほを伝う。 「ごめんね、少ししたら川に遊びに行くから先行って遊んどいてね」  庭に来ていた子どもたちは、おばあちゃんの声が聞こえると消えて行った。 「いつまでもすねてないで、川に行っておいでよ。もうママは帰っちゃったんだからさ。すぐにまた来るって言ってたじゃないの」  「うそだ!夏休みの間、ママはあたしをおばあちゃんちに置いておけばいいって思ってるんだ。あたしなんか、そばにいると邪魔なんだよきっと」  目の前のミイナの瞳から涙が後から後からあふれ出して止まらなくなる。  どうしてそんな事で泣いているんだろう。向こう側の世界はたくさん色が付いていて楽しそうだしたくさんの人がミイナの事見てくれて優しくしてくれるのに。  「やれやれ」  おばあちゃんの姿はあたしの見える場所から消えてしまう。  ミイナは小さな声で呟いた。 「おばあちゃんの家でたくさんママと一緒にいられると思って、ずっとずっと楽しみにしてきたのに。特別な夏休みになると思ったのに」  どれだけ長い間ミイナはそのまま、泣いていた事だろう。  疲れたように、顔をあげてこちらを見た。  怒る事にも少しあきて、わたしの声に耳を傾けるんじゃないかなと思って、心からの願いを込めた。 「寂しくなんかないよ、ミイナにはわたしがいるじゃない!」  ミイナはわたしのその言葉に顔をあげて見つめた。  その時わたしは向こう側に行きたいと強く強く思った。 「行けるよ、そっちに。ミイナが望めば」  わたしはさっきの男の子の顔が頭に浮かんでいた。川ってどんなところだろう、一緒に遊ぶってどんな気持ちだろう。たくさんの仲間の中に入って遊んでみたい、笑ってみたい。 鏡の表面冷たい感覚、向こう側でミイナが手をあわせると、強い力がわたしの身体を持ち上げて押しつぶそうとした。苦しい、つぶれる、そう思った瞬間、あたしはミイナのいる世界に転がり落ちた。 転がった身体に痛みを感じて、それが心地よかった。  そのそばに同じ顔をしたミイナが驚いた表情で見つめていたけれど、さっきまでの暗い表情がぱあっと明るい色に変わっているのがわかった。  わたしは色のついた奥の深い世界に飛び出したのだ。 その何もかもが新鮮で面白くてたまらない。二人で川に遊びに走って、人気者になって笑いあってふざけ合って、夏休みが過ぎて行った。  一つ年上の大人びた男の子は、ガンちゃんと呼ばれていてその辺の子どもたちのリーダーでわたしたちにはとても優しくしてくれた。  ただミイナはどこかやるせない気持ちがあったのかもしれなくて、ガンちゃんにわがままを言っては困らせていてわたしは、その様子を黙ってみているだけだった。 田舎にいたガンちゃんは、それから少しして近くに越してきた。  名前も変わって近所では田舎の遊びを教えては周りの子どもたちに、慕われるようになった。  わたしはせがんでミイナに遊びに連れて行ってもらう。せがんでお願いして、神社の境内の水面から飛び出した。  わたしには特別な男の子だったガンちゃんだけど、ミイナにはその他大勢だったのかもしれない。  それでも、走るのが遅くていつも一番後ろからついて行くのだったけど、楽しかったし面白かった。  身体の重みを感じる事は生きてる証のような気がして、嬉しかった。  ミイナは皆の走る輪の中で、「遅い遅い」そう言いながら、楽しそうだったから、わたしはそれでよかった。  そんな事よりも、色のたくさんある世界は笑いと期待とフワフワした楽しさをいっぱい感じられる特別な世界だったから。  たまにミイナのふりしてパパの前に立ったことさえあった。面白い事にパパはちっとも気がつかない。ママには、それがわかっちゃうような気がして、怖くて前に立ったことは無い。  それでもパパもママも本当にいて、色のついた世界は身体中が空中を歩いているように楽しくてフワフワして何にも代えがたい世界だ。  ミイナは心の中にたくさんの気持ちを抱えていて、寂しさややるせなさや、それでいてママやパパが困ったりしないようにいい子でいたい気持ち。  沢山の気持ちを抱えて生きているって疲れるなって、そう思ったりもした。  それでもミイナの寂しさからいつでもあたしは楽しい世界でミイナの側にいられたのは、とびきり嬉しい事だったんだ。幸せな事だった。  朝、鏡の向こうでミイナがわたしの名前を口にした。ママが顔を出した時だった。  途端に表情が曇って、鏡の中のあたしと繋がった目線を外すママ。  わたしの名前を聞きたくないように見える。なぜ?どうして?  わたしの名前を付けてくれたのは、ママとパパじゃないの?わたしはもう、存在してはいけないの? ミイナは笑う。ミクの名を口にしてはいけないと言われていても、キョトンとした表情を作って笑っている。  わたしの表情は笑顔にならない、笑おうとしても引きつってミイナみたいな屈託のない笑いは作れない。  鏡の向こう側、ママの姿を追う毎日。パパの姿を探す毎日。  ああ、ミイナはいいな、ママやパパに抱きしめられて頭をいい子いい子されるんだ。  わたしには温もりがない。ミイナの何倍も何倍も喜べるのに。  名前さえ呼んでもらえない。  幼い頃のことも、田舎で遊んだ子どもたちや近所の友だち。  学校生活に部活動。憧れの先生、女友だちと遊ぶ街中。  ミイナと同じことがこちらの世界に拡がった。ミイナの話を聞きながら描く世界はどんどん膨らんで大きくなっていった。  毎日、二人はいろんなことを話しては笑い、怒り、励まし合い、一番近しい間柄に思えた。  なんでも、きっちり決めて実行するミイナは、わたしのことを優柔不断に思っているようだった。  そんな気持ちがわかり始めた頃から、面映ゆい感情が心のどこかで芽生えているのも本当の事で、だけどそれはわかりきった事だと思っていたし、仕方のない事で、一生変わる事などないのも事実だったんだ、あの事件までは。  誕生日は、二人とも一緒の日なのは当然の事だけど、一つだけ違う事がある。 「どうする?ちゃんと意見言って!」  ミイナの言葉に、迷うわたしは寂しい気持ちがマーブル模様になる。  そうして、ミイナはケーキを買いに自転車で出かけて行った、それからたいして時間が経たないうちに、わたしの世界にやって来たのは、懐かしい顔した男の子だったんだ。  幼い頃のガンちゃん、白い歯を見せて笑う。 「優馬くん?」  そう聞くわたしの顔を見て、何の不思議もなく 「ミイナは?ミイナはここにいるの?」  優馬くんはこの世界のわたしを信じて聞いた、何の違和感も無く。  自分の世界に人が訪れることができるのを初めて知ったわたしは、嬉しくなった。  ミイナが事故に合った事は、わかっていた。  そして、優馬くんがその原因になっているって事も。 「学校に行ってるよ、部活ができなくなって悲しそうだった。わたしが走るのを羨ましそうにいつも見ているの。足がなくなっちゃったでしょう?だから走れないんだもの、しかたないよね」  優馬くんは、昔のやんちゃな男の子からカッコいいお兄さんになっていて、話しているとドキドキして胸が苦しくなる。 「そうか、学校行ってみるよ。オレのせいで走れなくなったんだ。どうしたらいいのかな」  悩む優馬くんを励ます。 「見守ってあげるしか、今はできないよ、そうでしょ?ミイナがミイナらしく自分を取り戻すまで」  うなずく優馬くん、見上げる真っ直ぐな瞳。  優馬くんはミイナの事が好き? 「だな」  そうして、優馬くんは学校の校庭に行く。そこにミイナがいる事は、わかっていた。この世界にミイナがやってきていた。わたしの気持ちが呼んだのかもしれなかったけど、それでいいと思っていた。  優馬くんは色のついたミイナのいる世界にも鏡の中のこっちの世界にも存在していないみたいに感じた。  だけど、優馬くんは温もりを置いて行った。感じることができたんだ。ミイナと手をつないだ時と同じようにあったかくて柔らかくて幸せになっちゃうような温もり。  そうして、わたしは考えた。 ママもパパもこっちの世界に来れば、わたしはミイナみたいに抱きしめられてあったかくて幸せな気持ちになれるんじゃないかなって。  優馬くんはミイナがどこの世界にいるのかよくわかっていないようだった。こちら側にあった世界はだまし絵みたいに作る事ができる事もわたしは知っている。  わたしの世界があるように、もしかしたら優馬くんには優馬くんの世界があるのかもしれない。そんなことを感じながら、二人の様子を見ていた。  優馬くんが去った後から、悲しい気持ちがあふれ出てきた。  優馬くんに思われて、たくさんの人の愛情をその身に受け自分の為だけに生きているミイナ。  わたしの持っていない物すべて、持っている。  一つだっていい。わたしに譲ってくれないかな。  沢山は望まない、せめてせめて、ママに愛されたい。 「ミク、そこにいるの?ミク」  ママの声が聞こえてきた。  ママがわたしを呼んでいる?もう、忘れ去られていたと思っていたママの呼ぶ声。  ママに呼ばれたことのないわたしの名前。ミイナが口にする度、嫌悪感を抱いているように見えた名前。  ママにはミイナしか見えないんだと思っていたけど、わたしのことが見えるの?  ママにお話ししたい、今日ね、こんなことがあったの、好きな人ができたんだよ。  今日はね、初めてのデートなんだよ、どんな服着て行こうか。  学校でね、たくさんの友だちができてね、渋谷でパフェ食べに行くんだ。  仲良しグループがね、解散の危機だよ、どうしようママ。  部活がね、とってもきついんだけどね、大好きな先生にコーチしてもらったから、頑張れるよ。  一緒に夕ご飯作りたいな、今晩なに食べたい?  そんな、他愛もない会話、いつでもどこでも交わされている会話。  たくさんたくさん、したいんだよママ。  力を込めて目をつぶって祈ったら、パチンと何かが割れた。 耳に風の音が聞こえてきた。雑踏のざわめきが新鮮に聞こえる。廊下をゆっくり歩いてくる足音。  名前を呼んだママが。
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