第五章 1

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第五章 1

 第五章    一   その女の子は瞳がキラキラ輝いて見えた。   田舎者の優馬の目の前に、スッと立ってにっこり笑った。   遊びに連れて行ってあげてと頼まれていった家には、透き通った肌をした女の子がいた。   それがミイナに会った最初だった。  優馬が仲間をつれて待っているとミイナの母がバッグを持って手を振って家を出て行く。そして、縁側のある庭で待っていると奥の和室で泣きながら三面鏡の前に座っているミイナを見つけた。 「川に遊びに行こうぜ、魚釣りもできるぜ」  そう声をかけたけれど、その女の子には聞こえていないようだった。  しばらくそのまま、待っていると周りの子どもたちが優馬をつついてくる。 「あ、おばあちゃん、これ、みせてあげて!」  優馬はさっきお菓子についているモンスターカードと交換した石を取り出した。  それは、光に反射して紫色やピンクやオレンジ色に輝く石だった。優馬は最近家で悲しい顔してばかりの母にあげたくて友だちとその石を交換した。  こんな珍しくてきれいな石を見たら、どこで拾ったの?って言って川に遊びに来るよね。  優馬はそう思って、ミイナのおばあちゃんに渡した。  おばあちゃんは 「まあ、珍しいね、こんなきれいな石がどこにあったんだい?まるで宝石みたいだね。ミイナみてごらんよ」  そう言って、ミイナが座っている三面鏡の鏡の前に置いた。  期待して待っている優馬だけど、ミイナは鏡の向こう側をにらみつけたまま動こうとも石をみようともしなかった。  そうして、諦めて優馬は仲間を連れて川に遊びに行った。  それからしばらくして、もうすぐ夕日も落ちようという頃だろうか、ミイナはもう一人の女の子を連れてやって来た。  記憶の中で何故かセピア色に思い出すもう一人の女の子はミク、と言った。  優馬はその少し前まで一年を病院で過ごしていた。  病院から見る外の世界は、毎日当たり前に過ごしていた場所とは思えないほど輝いて見えた。  原因不明の手足のしびれは、たまにふっと記憶さえも遠ざけた。  毎日朝から暗くなるまで遊んでいた優馬にとって、病院の生活の退屈と不安が小さな胸をかき乱した。  自分はいつになったら、この白い大きな保健室みたいな建物から出ることができるのだろう。  父も母も、いつしか見舞いにも来なくなってゆく。看護師さんは優しいのに優馬は我儘を言っては困らせる毎日が続いた。来る日も来る日も、退屈な時間ばかりが過ぎていく。  泣きたくなる毎日は、終わりのない未来に続いていた。  小学校は一クラスしかないので、全員がお見舞いに来てくれたが優馬の気持ちは暗く沈んだまま晴れることは無かった。クラスで一番元気のいい、中心的な立ち位置リーダーだった。  何をどうしたという訳でもないのだけれど、季節が何回か変わる頃優馬の症状は改善してゆく。  優馬が退院すると決まった時、迎えに来たのは母だけだった。父の話をすることは少なくなっていた事を子ども心に感じてはいた。  そしてそれが、なぜなのかわからないまま優馬は生まれ育った家から引っ越すことになっていた。  長い期間、療養で入院していたので進級できない事もその時知った。  引っ越しをして、周りの子どもたちより一つお兄さんなのは不思議な感覚だった。それでも、外で遊びまわれることが幸せでたまらない。  手足のしびれはすっかりなくなっていて、その時は何の支障もなかった。  両親が離婚することになると知った時の驚き、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に住むことになっても母は優しく笑ってくれた。新しい場所もすぐに慣れたし近所の子どもたちもすぐに友だちになれた。寂しさは珍しさでどこかに飛んで行ってしまった。  田舎と違ってたくさんの人が暮らす街は、少しだけ偉くなった気分もしていた。 そして、驚いたことに近所に住んでいたのだ、あの女の子が。田舎で遊んだ時より少し大きくなって、瞳がキラキラして気が強そうだった。ミイナの家に母は挨拶に行った。。 近所で遊ぶ仲間の中にミイナもいた。そして田舎で遊んだようにどこか影の薄いもう一人の女の子ミクも。  中学に入ると周りと一つ年上の自分は、本当の自分を出し切れていないような生活に少し戸惑いを感じる。  それでもサッカー部は何も言わなくても実力さえあれば、認められているようでのびのびプレーができた。自分の居場所を見つけたと思った。  身体を動かす事が大好きだった。走り回る事、ボールを追いかけて汗をかいて一日が終わってゆく。  三年になったばかりの頃、優馬は手足のしびれと頭痛に悩まされ始める。  試合中に倒れた事をきっかけに、大きな病院で検査を受ける。  そして、頭の中に爆弾が仕掛けられていることを知った。  悩み呪い、荒れた。  自分が生きていることを感じられる術を取り上げられたのだ。  子どもの頃に、あの退屈な死んでいるような日々がもう一度やって来るんだ。そして、自分はこの世を去ってゆくのだろうか。  どうして生まれてきたのかな、これからどうしたらいいのかな。  毎日毎日、頭痛が起きるたび何度死んでしまおうかと思った。  サッカーができる友だちたち、仲間たち、うらやんで悔しくて妬ましかった。  サッカー部の仲間と一緒にいるのが辛くなって、転校することにした。その学校にはミイナがいて、同級生になった。声をかける気はなかったので、ミイナは意識してはいなかっただろう。  その頃の優馬にとっては、幼い頃の懐かしい記憶と楽しかった思い出が唯一心温めた記憶だったから。  放課後、辛い気持ちが膨れ上がるのがわかっているのに、それでもグランドのサッカー部の練習を眺める事はやめられなかった。  走り回ってボールを追いかけた日々が、振り払っても脳裏に浮かんでは消えた。  走りたい、ボールを蹴って仲間と共に。  誕生日が来るとバイクの免許を取り、祖父にねだってバイクを買ってもらうと乗り回す日々が続く。  何か起きてもそれはそれでよかった。爆弾がいつ爆発するのかびくびくしながら生きてくのは辛かったし、逃げ出してしまいたかったからだ。自暴自棄になっていたのかもしれない。  その日も優馬はバイクに乗っていた。  自転車で立ち漕ぎをして突っ走っている女の子がいた。 風になびくその髪、まっすぐ見つめる真剣な眼差し。色の白い透き通った横顔。 その脇を通り過ぎる時、目に入った横顔が脳裏に焼き付いた。  ミイナ、ずっと話さえしていなかったけど、校庭の陸上部の練習しているミイナを見てきた。  まっすぐ前を見て真剣に走るその表情は、まっさらなキャンパスみたいで見ていると吸い込まれてしまいそうになる。  サッカー部の練習を見る優馬の目は、いつの間にか知らないうちにミイナの走る姿を見つめていた事に気づいてはいなかった。  そうだ、自分はいつもミイナを見ていた。と、そう思って顔を少し横向けたほんの何秒か。  追い抜いたはずのトラックがこちらの車線に寄れて膨らんできた。  あ、と思う間もなくバイクの車輪が横滑りをして音を立てて中心がぶれる。  そのまま地面を滑りバイクごとトラックの前方に回転してゆく。身体ごと流されてゆく。急ブレーキの音とトラックの荷台に積まれていた物が崩れてゆく音が遠くで聞こえる。  何をしている?待て、ミイナが自転車で走っていなかった?  頭の中を、たくさんの言葉と映像が駆け巡る。身体の感覚はない。優馬は立ち上ろうとしたが、どこかがきしむ音がしている。力が入らない。  ミイナがいた。トラックの脇にミイナの自転車が見えている。  交差点の真ん中でバイクは止まり、身体の感覚の無い優馬はそれでも起き上がるとフラフラと傾いでいるトラックの後ろに歩いて行った。頭から生ぬるい物が流れてくる。  荷台に積まれた機材が崩れ落ちて道路に散乱している。トラックは歩道の信号機に激突して止まっている。 そこにミイナがいる。  身体は大丈夫だ。だけど右足に積荷が覆いかぶさって、どうなっているのか判別できない。  目の前が歪んでクラクラする。耳にたくさんの音が飛び込んでくるけれど、しだいに遠ざかって聞こえなくなって目の前が暗闇に変わってゆく。ミイナは、ミイナはどうなった?  自分の頭の中でそう問い続ける。  それから気がつくと優馬は、ミイナの家の前に立っていた。  ここが現実の世界じゃない事は、なんとなく理解できた。感覚が薄い。  ミイナの部屋にはミクがいた。  何事もなかったかのように、笑顔になって優馬を見つめた。  「学校に行ってるよ、部活ができなくなって悲しそうだった。わたしが走るのを羨ましそうにいつも見ているの。足がなくなっちゃったでしょう?だから走れないんだもの、しかたないよね」  そう言った。  そうか、ミイナは足がなくなっちゃう、そして走れなくなる。それは、オレのせいだ。  どうしていいのか、わからなかった。ただ、ミイナの為に何かしなくてはいけないと思った。 「そうか、学校行ってみるよ。オレのせいで走れなくなったんだ。どうしたらいいのかな」  素直に本心が口から出て、ミクは優馬を励ます。 「見守ってあげるしか、今はできないよ、そうでしょ?とりあえず話を聞いてあげなくちゃいけないんじゃないのかな?だって、ミイナは現実がわかってないんだもの。わたしには本音を言わないし言えないみたいだしね」  そうなのかもしれない、ミイナが今どんな気持ちでいて、どうしたらそれを乗り越えられるのか。それを支えるのは自分の役目なのかもしれない。  いや待て、この世界はどこか間違っている気がしている。  それがわかれば、何かが変わって来るような気もする。  優馬はミイナの元へ、学校へ向かう事にした。
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