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   二  優馬がミイナと来た大きな病院は、ミイナが生まれた場所だと言った。  嵐が起こりイバラに行く手をふさがれて、それでもたどり着いたのは新生児室に違いなく、閉ざされたガラスの向こうの部屋にミイナのママが立っていた。悲しい表情のママの横顔はミイナにとても良く似ていて優馬の胸がヒリヒリした。  ミクが冷たい表情でミイナがママに近づいていくのを見つめる。優馬にはミクがどこかセピア色がかった色が薄くなってゆくかのような、はっきりとはわからないが存在する世界が違っているような気さえした。  ママは時間が止まったままで、動こうとしない。  少しずつ優馬の中に仮説が生まれていた。この世界、今いるここは誰かの作った誰かの世界の中なんじゃないだろうか。この残酷で救われない世界。  ミイナを追ってやって来たこの世界にママは連れてこられた。  ああ、ミクの世界の中では彼女の意志のままに動くに違いない。  そう優馬は思った。  ミクの心を溶かさなくては、ミイナもママも助け出す事はできないんだ。  ミクは病院で過ごした子どもの頃の優馬と同じ気持ちなんじゃないかな。  サッカー部の仲間たちを羨んだ自分と同じなんじゃないのかな。  妬ましくて羨ましくて、それでいてどうしようもない。誰のせいでもない。  自分だけではどうしようもない、そしてどうしたらそれが解消されるのかもわからない。  冷たい視線を、二人に注ぐミクに優馬は声をかけた。 「ミク、生きてる人は本当の場所に、本来いるべきところに返してあげようよ。代わりにぼくが一緒にいてあげるからさ」  つぶやくように言う。  ミクの表情に色がついて、瞳に灯りがともる。ミクの身体が震えたように思えた。 「本当に?優馬くん一緒にいてくれるの?」  オレのいる場所は、ここでもいいのかもしれない。  ふと優馬はそう考えていた。  あの事故で命があるのかないのかわからないけど、仮に生きていたとしても、ハラハラしながら生きていくのはもう疲れたし。  このタイミングで死んでゆくのも悪くはないかもな、ミイナとママを幸せなもといた世界に返す事ができるのなら。  そう思った途端に何かが確実に変わって世界の色が、わからないけれど光を帯びた感覚を肌に感じる。  ミイナのママが色を帯びてこちらにやってくる、と同時にミイナの叫び声が部屋中に響いた。  普通じゃないミイナの表情が不安を駆り立てる。  ママの横をすり抜けて優馬がミイナのところに駆け寄ると、恐怖に震えて気を失いかけている。  その時、優馬の目にその新生児のベッドの中が映った。  そこに眠っていたベビーは、赤ちゃんは土気色をした、すでにもうこの世界からさよならしている事が明白な胎児。  ミイナが叫び続けている。優馬が強く強く抱きしめて背中をさする。 「この赤ちゃんが、このあかちゃんが」  声を震わせて涙を流すミイナ。  入り口に立ったミクのそばに近づいたママが振り向いた。 「そうね、わたしが名前を呼んだわ。ミクって」  優馬は理解した。双子の妹はこの世に生を受けてすぐに天国へ旅立ったのかもしれない。その名前を呼んだ瞬間からミクの魂はその胎児に宿った、そしてこの世を去った。ミイナを残して。  名前に命が宿る、そういう事なのかな。  母親が名前を呼んだその時から、その子の命が始まるのかもしれない。そして、ミクはその名前を呼ばれた瞬間から命が終わった。  ああ、なんて悲しい。  震えるミイナを抱きしめながら優馬は泣いていた。 「優馬くん、ミイナを連れて帰ってね。わたしはこの自分の生んだ娘と一緒にここに残るわ」  そうママは言うとミクを抱きしめた。  ミクの身体に色が付いてゆく。しぼんだ風船に空気が入ってゆくかのように、頬がばら色にふんわりとなめらかに一回り大きくなったように思えた。  優馬に抱きしめられて、息を大きく吸い込んでミイナはしっかりと前を向く。 「お願いミク!ママをもといた世界に返して!あたしはミクの事大好きだったよ。たとえそれがあたしが寂しい気持ちが作り出したものだとしても。愛してた、大切な妹だった。二人は最強だったよ!ミク!お願い」  柔らかくなったミクの表情に笑みが見えたと思った。  ママを力一杯抱きしめて、ミイナの言葉を噛みしめているように。  不意に、ミクは優馬の目を見て言う。 「それじゃあ、わたしに大切な物をちょうだい。優馬くんが持っている物。それでみんな元の世界に帰ればいい。そんなにわたしに時間がない事はわかっていたんだ。だから、それでいいよ」  そう言うと、再びママを抱きしめて目をつぶった。 「バイバイ、大好きなママ、大好きなおねえちゃんミイナ、初恋だったかな優馬くん。みんなの記憶から消えちゃっても、きっとどこかで思い出す事があるよね。忘れては欲しくないけど、それで大好きな人たちが幸せになるのなら、いいかもね」  すっと部屋の入口に立つとミクは、ほほ笑んだ。 「ミイナ!わたしたちって最強?だよね!」  きつい表情がうそのように、屈託なく柔らかく、そして幸せそうに笑う。  笑顔がミイナとそっくりだ、優馬はミクを見て感じていた。
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