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    五  もう校庭には誰もいなかった。街頭の明かりだけで、あたりは薄暗かった。  それでもミイナは、学校の小さな鉄でできた門を開けて中へ入った。  ここは裏口で部活なんかで、どうしても遅くなった時に使ったことがある。暗闇に錆びた音が響いて違う世界に入り込むような気がした。  図書室の裏手から、校舎の間をぬけて校庭の表に出る。  校庭は思ったより明るかった。 「あ、月が照らしてるんだ」  満月の夜だった。大きな丸い金色のくりぬいたような月が空にぽっかり浮かんでいた。  それだけで背中を押された気持ちがわいてくる。 「出てきなさいよ!」  ミイナは大きな声で言った。  誰もいない校庭に向かって声が響く。  不意に背後に気配を感じて振り向いた。 「呼んだ?そんな怖い顔してどうしたの?ミイナ、可愛い顔が台無しじゃない」 「いた、やっぱりあんた、ここにいたわね」  にやついて笑っているのは、北村優馬。  おとなびた横顔は、中学生っぽくない。 「あんた、誰よ!」  かなり焦っている。自分らしくもない、声がうわずっているなんて。  ミイナは月に照らされた校庭の空気を大きく吸い込んで飲み込んだ。 「誰って、名前言わなかったっけ?」 「名前なんかじゃないわよ!何者なのかって聞いてるの」  だめだ、だめだ。こんなに感情的に話したって物事は先には進まない。落ち着かなくちゃ。 「珍しいね、ミイナがそんなに感情的になるなんて」  ものすごく嬉しそうな表情の優馬。  もう一度息を吸い込んでゆっくり吐き出した。 「あたしの事、みんなには見えてないのね。で、それがどうしてなのか知りたいと思ってここへ、優馬くんに会いに来たって訳」 「なるほど落ち着きましたね。さっすがミイナ、でもその質問にはオレ答えられないよ」 「なんで?あたしはどうしちゃったの?お願い教えて!さっき真っ黒い雲に飲み込まれそうになっちゃったの。振り払って走ってきたんだ、優馬くんならきっと知ってるだろうと思って」 「えっ?走ったの?走れたの?その足で」  優馬はミイナの足を指さした。見るとミイナの右足は暗い闇の中に膝から下が見えない。 「あ、さっきまではちゃんと普通に足の先まであったのに。どうしちゃったんだろう」  そうだ、いつもここでミクの練習を見ている時、あたしの足は無くって歩く事さえできないと思っていたっけ。  そう、それは事故に合ったからだ。事故で右足を膝から下を失くしたから。 「思い出したの?事故の事。どうして走れないって思ったかって?」  優馬はじっとミイナの顔を見つめた。いつになく真面目な顔。  あたしは確かにあの事故で、自分の右足膝から下を失ってしまったんだ。  それは知っている。  だけど、あたしの記憶はその後も続いている。ミクが学校に行って部活で走って、リレーに選ばれた事だって、若田先生に指導してもらって喜んでいることも。 「あれから先の時間も、あたしミクと一緒に過ごしてきた!なんで?どうして?」  優馬は、遠くの方を見つめて頷いた。 「そうだね、それがオレにもわからない事なんだ。ミイナに安心して欲しかったしできれば、幸せになってほしい。それだけが、願い、なんだけど」  どういう意味なんだろう。訳が分からない。 「ちょっと待って。今あたしたちがいるこの世界は、いったいどの世界なの?リアルの世界にいるの?それとも夢の中なの?」  この質問に対しては、優馬はふぅっと息を吐き出しながらゆっくりと答えた。 「その両方だよ。ミイナにはミクがいるだろ?二人はなんだか特別みたいなんだよね。ミクと繋がっているからミイナはその世界でも生きている。あ、死んじゃったみたいな言い方になっちゃったけど、そうではいないんだと思うよ。ちゃんと生きているよ、安心してね。だけど、ミイナの頭の中がごちゃごちゃし始めると黒い煙に巻かれているみたいに夢見ているみたいになっちゃうのかもしれないね。オレはミイナが自分を取り戻すための、手伝いがしたくてここにいるんだ。ゆっくりでいい。ミイナが自分を取り戻して、本当の時間を過ごすことができるように」  優馬はミイナの目の前に手を差し伸べて、笑った。優しい笑顔。 「いこう!自分に戻る為に、どんな方法があるのかわからないけど、ミイナがいるこの世界から抜け出したいって思うのをずっと待ってたよ、ずっと」  暗い雲に覆われていた月を隠していた空が澄んで、キラキラと星が瞬いている。不思議な安心感と期待が胸に入り混じってわくわくしてくる。この気持ちは、スタートラインに立っている時と同じだ。風をきって走ってゆけばいい、ゴールはまだ見えなくても走り抜ければいい。  そう確信に似た気持ちが胸の中にムクムクと湧きあがってゆくのがわかった。 「うん、連れて行って!」  ミイナは、ひんやりとした優馬の手を握り立ち上がった。 あたしの右足はちゃんと存在している。まだ、あたしは走る事ができる。 ミイナはそう確信して、立っている足に力を込めた。
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