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書物を漁り始めて一時間ほど経ったころ、突然隣でも同じ作業をしていたヴェレナが「あっ!」と声をあげた。思わずリセンは手にしていた書物を閉じ、そちらに近寄った。
「みつけたのか?」
「そうみたい……」
見れば左の棚のちょうど半分あたりのところの書物が抜かれているので、ヴェレナは一時間でもう左の棚の半分まで見終わったようだった。魔術師は書物を早く読む能力でもあるのだろうかと感心してしまう。
改めてヴェレナが広げている書物を後ろから覗いてみると、竜人というタイトルが目についた。
「竜人……?」
「どうやらあんたみたいに竜の力を宿している人間のことを竜人って呼んでるみたいね」
「へえ」
「立って見るのもなんだし、座りましょ」
ヴェレナは近くのベンチに座ると、あんたも座りなさい、と目で訴えてきた。リセンが指示通り隣に座ると、ヴェレナはこちらに見えやすいよう、半分ほど書物をこちらに突き出してきた。そして書物の独特な文字を読み慣れているようにすらすらと声に出して読み始めた。
「竜とは古の時代に存在したといわれる神にも等しい生物で、その時代では力の象徴とされ、また各々が国を守護する守護竜として崇められていた……」
竜は度々人々の争いに巻き込まれたが、竜の力は強力で、人間の敵うものではなかった。しかしある時一人の勇敢な男が竜を倒し、その男は竜に力を認められ特別な力を授かった。その力を得た男の皮膚はまるで竜の鱗のように硬くなり、爪や牙は鋭くなり、背中には翼が生え、目も美しい宝石のような色に変化した。その男はまるで竜のように不死身だった。しかしその男も老いには勝てず、最後は竜の姿となり戦場を駆け巡ると、自らの姿が人間のものでなくなったことに悩み、自害した。しかしそれからも竜の魂はこの世に残り続け、認めた者に竜の力を授けている……。
「……つまりあんたはその古の竜に力を認められたってこと?」
一区切り読み終えたヴェレナが書物から顔を上げ、こちらを見ながら驚いたように尋ねてくる。
「わからない……だが俺には翼が生えてないし、目も人間のものだ。それにそもそも、力を認められるような何かをした覚えがない」
書物に書かれている竜人は、確かに竜そのものの姿のようだ。しかしリセンの場合はどちらかと言えばその力を少し借りている、といった感じに近い。それも完全に力を認められていないからなのだろうか。事実、リセンは幼いころに力を手にしたため、自分の力で戦場で武勲をあげたこともなければ、一騎当千の働きをしていたわけでもない。
「確かにそうね」
ヴェレナも、その違いが気になるようだった。書物をじっと眺めながら思考を巡らせている。
しかしすぐに何かを閃いたようで、勢いよくこちらを向いた。
「……もしかしたら、その竜の力にも段階があるのかも」
「段階?」
「そう、この書物の竜人も最初は一応人の形をしていて、最後の戦いで完全に竜の姿になったんでしょ。だったら竜の力は少なくともその形を変えることが可能ってことじゃない。だからあんたのその姿も何かの拍子に変わるかもしれないってことよ」
つまり、書物の竜人のようにリセンにも翼が生え、目も変化し、最後には竜の姿になる可能性があるということだ。
「だとしたら尚更困るな。だがどちらにしろもう力は使わないんだ。段階があってもなくても関係ない」
「まあそうね」
そしてヴェレナはさらにもう一ページめくるが、次のページはすでに他のことについて書かれているらしく、そっと書物を閉じた。
「竜人について書かれているのはそのくらいね。肝心なことはあまりわからなかったわね」
「竜人の本来の能力と、そもそも何故竜人が現れたのかがわかっただけでも十分だ。なにより竜の力が呪いの類でなくてよかった。力のせいで強制的に人を殺さなければならない、なんてことになるのは勘弁だからな」
せっかく竜の力を封印し、今は平和に生きれているのだ。以前のように殺伐とした生活に戻されるわけにはいかない。
「それにしても、古の竜の魂は何故俺の力を認めたんだろうな」
先ほども言ったが、古の竜に力を認めてもらうようなことをした覚えは一切ないのだ。竜の力を手にしている今ならまだしも、幼いころの自分は同年代よりも少し剣術が優れている程度で他に取り柄などは何もなかったはずだ。
それに竜の力は自分の能力以上のものだ。自分でも、竜の力を扱える自信がない。
だが古の竜は自分を選んだ。だとすればその根拠は何なのだろうか。幼い時の自分が、何か古の竜に好まれるようなことをしたのだろうか。
「そんなに気になるの? 古の竜のことなんて人間じゃないんだから、私やあんたがどれほど考えても理解できるようなものじゃないと思うけど」
「そうなんだが……なんというか、釈然としないだろ。自分が何もしていないのに強大な力を与えられるなんて。それに、今まで様々な人を殺して国を救ったつもりになっていたが、そもそもその力は古の竜のもであって俺のものじゃない。俺がそれだけの力をもっているのならまだしも、俺自身にそれほどの力が無いのに竜の力を使えているのは俺だけ特別扱いされているようで納得できないんだ」
リセンは思わず拳を握りしめる。
それはリセンが竜の力を封印した理由のひとつでもあった。そもそも竜の力は、気づけばリセンの手元にあった、他人の力だ。幼いころ、自分は英雄になりたかったためその力を使ったが、今考えてみれば、もしそれで周囲から褒め称えられたとしてもそれは自分が称えられているのではなく、竜の力、すなわち古の竜が称えられているということではないか。
つまりリセン自身は何の力も持っていないのだ。結局、古の竜の威を借る狐にすぎないのだ。
「……なんでそうなるのよ。あんたって本当にバカよね」
しかしヴェレナはそんなリセンの悩みを一蹴した。
「本当にあんたはこれまで何もしてこなかったわけ? あんた前に言ってたわよね、国のためになりたかったから幼いころ人一倍頑張ってたって」
「ああ。だがそれも人より多く稽古を積んできた、ただそれだけのことだ。こんな力に見合ったほどの稽古なんてしていない」
「それはあんたの見解でしょ。あんたはそう思ってるかもしれないけど、古の竜は違うように捉えたって可能性もあるじゃない。だいたい、子供なんて普通毎日日が暮れるまで遊んで暮らしているものよ。その時から剣の稽古をしているだけでも異常なのよ」
そしてヴェレナは腰に手を当てると、片手でこちらを指さして容赦なく怒鳴りつけてくる。
「まったく、あんたのそれで力がないなんて言ってたら、そんな力さえもってない私はどうなるのよ。あんたは古の竜に認められたんだからもっと自信もちなさいよ! もう力なんて使わなくなったんだから、いつまでもそんなことで悩まないでよ、鬱陶しい!」
怒りを一気に放出したヴェレナは、ふんっと顔を背けた。
だがその言葉に、リセンはいくらか救われた気持ちになった。ヴェレナは、口調こそ辛辣であったが、つまりもっと自分の力を信じろと言ってくれているのだ。それに確かにリセンはもう、竜の力は使わないと誓ったのだ。だからヴェレナの言う通り、そのことで悩んでいても仕方ない。今ははそんな力がなくとも生きていけるのだから。
「……ありがとな、ヴェレナ」
ふと、感謝の言葉が口から出ていた。今こうやって平和に暮らしているのも、全てヴェレナのおかげなのだ。他人である自分に様々な助言を与え、そして今もこうして面倒を見てくれているのだ。本当に頭が上がらない思いだった。
「気にしないで。私も竜の力について色々と知ることができたし。それより早く帰りましょ。早くしないと外が真っ暗になるわ」
「そうだな……」
改めて館内を見渡すと、残っているのは自分たちと隣の棚で書物を読んでいる黒いローブを着た魔術師らしき男だけだった。
二人は書物を棚に返すと、急いで外に出た。
外はすでに日が暮れ、かなり暗くなっていた。しかし王都ではまだ様々な見えが営業しており、道も街灯が照らしているため真っ暗になることはなかった。これがもう少しすると一気に店が閉まり始め、光を失っていくのだ。
少しひんやりとした空気の中に足を踏み入れ、二人は並んで歩きだす。竜の力をまだ使っていた頃には、他の誰かと並んで夜の王都を歩くなど想像もできなかっただろう。だが今、こうしていつもとかわらず賑やかな王都を、ヴェレナと共に歩けている。
こんな日常を二度と手放すことのないようにしようとリセンは誓った。そして明日からも、こんな日が続けばいいと願ったのだった。
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