救い

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救い

「いッ!」  寝返りを打った瞬間、傷の部分が服と(こす)れて思わず顔をしかめてしまう。恐る恐るその傷の部分を見てみると、雑にまかれた包帯にまた血が(にじ)んできていた。  リセンは様々な人たちから暴力を振るわれるようになった最初の頃は神官に頼んで傷を癒してもらっていたが、たとえ傷が癒えたとしてもまたすぐに新たな傷ができてしまうため、資金も勿体ないので今では治癒魔法も受けないようになっていた。  だがそうなればなおさらこれ以上傷をつくることができなくなり、今もこうして三度の飯も我慢して宿に閉じこもっているのだった。  しかし、じきにこの宿にもいられなくなるだろうとリセンは考えていた。この宿の店主の口が堅いため、今は外の暴力を振るう者たちにリセンがここにいるということがバレていないが、それももうすぐ限界がくるだろう。なんせ、今の都には異常なほどリセンに対して憎しみや怒りの感情を抱き殺気立っている者が大勢いるのだ。 「……はぁ」  前途多難(ぜんとたなん)なこの状況に思わずため息が漏れる。  かつては竜の化身と呼ばれた男が、今では都の住人におびえて宿に隠れているのだ。随分と無様になったものだと思った。今のこの状況をヴェレナに見られようものなら、おそらく容赦なく笑われることだろう。  そんなことを考えていると、部屋の扉がノックされる。それはノックというより叩かれたと表現する方があっているような、乱暴な叩き方だった。リセンは思わず身構えながら扉を開いた。  しかし扉の前に立っていたのはヴェレナだった。 (そっちだったか……)  てっきり外の連中がリセンの宿を特定し殴りに来たものだと思っていたリセンは安堵(あんど)して息を吐いた。殴られるくらいならヴェレナに笑われる方が何倍もマシである。 「何しに来たんだ?」  リセンは部屋の中へ導くように扉の前からすっと体を移動させてそう言った。しかしヴェレナはその場から一歩も動こうとしない。  不思議に思いヴェレナを見てみると、何か様子がおかしかった。服装はいつもの魔術師のローブだが、いつもは自信にあふれて胸を張った姿勢でいるのに、今は背中を丸め(うつむ)いている。 「……おい、何かあったのか?」  リセンはそのヴェレナの異常さに思わず尋ねた。しかしヴェレナはその質問に答えず、代わりにぽつりと呟く。 「……その傷、どうしたの?」 「傷……? ああ、最近何かとそこらの男達に暴力を振るわれてな。放っておいたらこうなったんだ」  リセンはもう一度醜(みにく)い傷のできた一部分を眺めてみる。皮膚がえぐられ、そこに赤い溝が口を開けており思わず目を背けたくなるような光景だった。しかし何故か無性に気になり、いつの間にかしばらく傷の部分を眺めてしまっていた。すぐにはっとしてヴェレナの方に向き直る。 「いやそんなことはどうでもいい。それよりお前だヴェレナ。本当に何があったんだ?」 「…………」  しかしヴェレナは反応しなかった。相変わらず俯いて下を向いており、今どんな表情をしているのかさえわからなかった。  徐々に不安が(つの)っていき、思わずヴェレナの両肩を強く掴んでいた。そして我に返りすぐに手をどかそうとして、気づいた。ヴェレナの華奢(きゃしゃ)な両肩が、小刻みに震えていることに。  そしてその瞬間、俯いたヴェレナの両目から一滴の透明な水が零れ落ちた。そしてその雫が地面に到達したころには、今度は大量の雫が次々と零れ始めていた。 「お前……泣いているのか……?」  戸惑ってそう答えた直後、いきなりヴェレナが胸に飛び込んでくる。その勢いに負けて思わず後ろの壁に強く背中を打ち付ける。 「……なんであんたが、こんなことされてるの……」 「え……?」 「何で今まで国のために尽くしてきたあんたがこんなことされてんのよ……!」  ヴェレナは強く拳を握り、とても悔しそうに言い放つ。たくさんの涙を流しながら、まるで壁でリセンを押しつぶそうとしているかのように力を手に加えながら。 「おかしいじゃない! あんたはずっとこの国のためにがんばって戦って、そのせいで今までずっと苦しい思いをしてきたのよ! なのにその苦しみからやっと解放されたのに、なんでまた傷つけられなきゃいけないのよ! なんであんたはそんなに平気そうにしてるのよ!」  激しく身をよじりながら、ヴェレナは大声で叫んだ。まるでリセンがこれまでされてきたことを、ヴェレナ自身ももされたのではないかと思わせるほど、苦しそうに叫んだ。  そんなヴェレナを見て悟る。ヴェレナは決して、リセンを笑うためにここに来たわけではなかった。ただリセンの体を心配して、リセンの苦しみをまるで自分のことのように考えて、それでもなお不安になってここへ駆けつけたのだ。  そして自分の分ではない他人の分の悲しみまで背負い、涙を流すことのできないリセンに変わってこうして泣いてくれているのだと。  しかしリセンはそんなヴェレナに甘えることなどできなかった。これは今までのリセンの行動が招いた結果なのだ。たとえリセンにその気がなかったとしても多くの人を傷つけてしまったこと。そして自分が楽になるために国の兵たちを裏切り、戦力を大きく削ってしまったこと。それらの責任を果たさなければならないのだ。 「……俺だって平気じゃない。傷は痛むし外に行くのが怖いくらいだ。だけどこれは結局、俺が今までやってきたことの報いだろ。だから俺が弱音を吐くことなんてできないんだ」 「そんなの関係ないわ! なんで人が自由に生きるためにそんなボロボロにならなきゃいけないの? そんなの絶対に間違ってるわよ! あんたはもう十分苦しい思いをしたんだからもういいじゃない!」  だがその責任でさえも、ヴェレナは否定する。そんものはおかしいと。もう十分に果たしたのだと言ってくれるのだ。  リセンは以前から、何故ヴェレナがこうも他人のことを考え言葉をかけれるのか不思議に思っていた。その答えにはまだたどり着けていないが、思えばヴェレナは最初から他の人とどこか違っており、特殊だった。何しろ誰もが怯えるリセンに、堂々と自分の意見を言ってのけたほどだ。それもリセンが言い返せないほど正確なことを。  おそらくヴェレナは誰よりも感情に素直なのだ。だからこそ人の悲しみを考えると、どうしても自分のことのように受け取ってしまい、そしてその悲しみに傷ついてしまう。  しかしだからこそヴェレナは優しいのだ。たくさんの人の悲しみや苦しみを受け、それがどれだけ辛いものかを分かっているからこそ他人には絶対にそんな思いをさせない。  リセンはそんなヴェレナが流す涙を見て、心が軽くなっていくのを感じた。今まで国のために努力し、その結果国に恐れられてきたリセンが、初めてこの国の人からその功績を認めてもらえたのだ。リセンは今まで、竜の力があるのだから国のために戦い功績をあげるのは当たり前だと言われてきた。誰にもない唯一無二の力があるからこそ、リセンは戦場で活躍できているのだと。  しかしヴェレナは違った。ヴェレナはそんな力のことなど関係なく、ただリセンの努力を評価してくれたのだ。幼いころから積み上げてきたその国への忠義心を誰よりも純粋に認めてくれ、そしてその努力が他の人に認めてもらえないことに誰よりも悲しんでくれているのだ。もうリセンが責任を感じることはないと言ってくれているのだ。 ――ああ、俺はずっと、誰かに認めてもらいたかったのか……。竜の力があるから当たり前だと言われず、ただ一人の人間として褒めてもらいたかったんだ……。  リセンは不意に目頭が熱くなるのを感じた。そして今目の前で自分のために悲しみ、自分のために泣いてくれているこの少女をとても愛おしく思った。リセンは少し戸惑いながらもその細い背中に手をまわし、そっと抱きしめたのだった。
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