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戦場で多くの者を手にかけ、しかしその翌日には悠々と都市の中を歩いているこの違和感は、何度経験しても慣れることはできないでいた。賑わう人々たちを見ていると昨日のことが嘘のようだが、場所を少し変えれば、今でも戦後の様々な後処理が行われているのだろう。
人々から竜の化身と呼ばれる、リセンという名の青年はそんなことを思いながら王都を歩いていた。昨日の戦いで飛び散った返り血を綺麗に洗い流し、服も戦闘用のものから着替え、今は黒のコートを着ていた。
この黒のコートはリセンのお気に入りで、戦の時も着ようかと思ったのだが、リセンの持つ特殊な力でも硬いのは皮膚だけでその上に纏う服までは守ってくれないため断念せざるをえなかった。
しかし黒のコートから出る白い手や首には一切の傷がなく、昨日の戦いでも無傷であったことを証明していた。どれほど剣技に長けた者でも、無傷で一騎当千の活躍をするのは不可能に等しいことだ。
そんな常軌を逸した能力をもつリセンでも、やはり腹は減る。普段は宿に閉じこもるリセンだが、食事の時だけは外の空気を吸わねばならなかった。
リセンは左右に視線を巡らしつつ、手ごろな酒場を求めて歩いていく。王都だけあって、都市内は相当な賑わいを見せていた。道のわきにはさまざまな露店が開かれており、道を通る者も時折立ち止まっては露店に出されている品を見たり、話しに花を咲かせたりしていた。
しかし行き交う者誰一人としてリセンに声をかけてくる者はいなかった。それどころか、リセンが近づくと露店の品を見ていた者も、話をしていた者もそれを中断し、あからさまに避けるようにして遠のいていく。
リセンが外に出る時はいつもこうだった。
リセンの顔はその常人離れした能力と共に国中に知れ渡っているため、リセンと接するほぼ全員がこのように怯えてしまうのだ。しかし顔を見ただけで怯えられると、こちらとしてもいい気はしなかった。
ふと、リセンの姿を見て怯えて逃げる者たちの中の一人が、リセンから離れる途中で露店で菓子を買った小さな女の子に当たり、女の子はその勢いで地面に倒れてしまった。しかしその当人は女の子が倒れたことに気づいた様子もなく、慌てて逃げていってしまう。
「い、いたいよぅ……」
その女の子は倒れた時に膝を擦りむき、さらに購入した菓子もダメにしてしまい、今にも泣きだしそうになってしまっていた。親が近くにいるのだろうが、その親がどこにいるかもわからない。
そうしている間にも女の子の膝からは血が垂れ始め、女の子は目に涙を浮かべている。
そんな様子を見てリセンはしばらく葛藤したが、もともとぶつかった人はリセンに怯えて逃げる途中で女の子を倒してしまったのだから、自分にも多少なりとも責任があるのではないかと思いリセンはその女の子の元へ向かった。
「……大丈夫か?」
リセンは女の子を起こしてやり、服の汚れを払ってやる。しかし親でもない大人が駆け寄ったところで子供が安心するわけもなく、逆に女の子は泣きだしてしまう。
そんな女の子にリセンは戸惑ったが、すぐにお菓子を買ってやれば少しは泣き止むのではないかと思いつく。
「おじさん、この子が買った菓子をもうひとつくれないか」
「あ、あいよ……」
露店の店主はリセンにやや怯えながらも、すぐに菓子をつくってくれた。リセンはその分の金を払うと、なるべく優しい声をだすよう心掛けて子供に菓子を差し出した。
「ほら。これやるから泣き止め」
「おにいちゃん、くれるの……?」
女の子はしゃくりあげながらも、泣くのをやめてこちらに尋ねてくる。子供はリセンの噂など知らないので、こういった普通の会話ができるのだ。
そして女の子はゆっくりと手を伸ばし、リセンが差し出した菓子を受け取ろうとした。その時だった。
「デリア、なにしてるの?」
おそらく女の子の母親だと思われる人物が近づいてきた。そして子供の膝から血が出ているのを見た途端、血相を変えて走り寄ってきた。しかし子供の隣にいるのがリセンだと知ると、今度は一気に怯えた表情になった。
「あ……私はどうなっても構いませんので、どうかその子だけは見逃してください!」
そんな突拍子もないことを言ってきた。
「いや、見逃すも何も……」
リセンが戸惑っている間に、女の子は親の存在に気づき、母親へ駆け寄って行った。母親は子供を抱きかかえると、こちらに一度会釈をしてそそくさと逃げて行ってしまった。
そんな様子を見ていた他の人らもリセンが本当は子供に菓子を買ってあげただけだということを教えることもなく、怯えて遠くからこちらを見ているだけだった。
あの親はいったい自分が子供に何をしようとしていたと思ったんだろうかとリセンは疑問に思ったが、何にせよこれでまたおかしな誤解が増えてしまったことは間違いなさそうだった。
(なんでこんなことになっているんだろうな……)
幼いころは英雄になるのが夢だった。このご時世、男なら一度は抱く夢だ。だからこそリセンは人一倍努力していた。しかしある日気づいてしまった。自分には、他の人にはない特別な力があると。
人々がリセンのことを竜の化身というのも間違いではなかった。リセンは体内に竜が宿っているような感覚を覚えているからだ。自分の中に竜がおり、その竜の力を体を介して外に放つ。イメージとしてはこんな感じで、自分でもその呼び名に納得していた。
その力に気づいたリセンは、すぐに他を圧倒していった。さらに成長するに連れその竜の力も強まっていき、今ではどれほど多くの兵に囲まれても死ねない体となった。
最初のころは味方も喜んでくれたし、その功績を称えてもくれた。しかしリセンがその力を解放するに連れ、人々はリセンと関わりを絶っていった。おそらく怖かったのだろう。その圧倒的な力が、いつ自分に向けられるかわからない。だから近づかない。そうしてリセンは孤独となり、今ではこのありさまだ。
(俺はただ、みんなが憧れる英雄になりたかっただけなのにな……)
リセンは女の子に渡しそびれた右手の菓子をもてあましながら、ぼんやりと道の先へ進んでいった。
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