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しばらく歩くと、白や薄黄色で塗装された少しお洒落な酒場が目に入った。色合いが鮮やかなため、どことなく好印象を受ける店だった。そういえば昼食をとるために外に出たのだと思い出し、リセンは店の扉を開けた。
酒場の中は外見の期待を裏切ることなくお洒落な空間だった。椅子やテーブルは明るい茶色の木材でつくられており、灯りも程よい雰囲気だった。そのせいか他の酒場と比べ比較的女性客も多いようだ。リセンは今日の食事はこの店で済ませようと思い、手近な店員に声をかけた。
「一人だけど、席空いているか?」
「すみません。ただいま混んでおりまして、少々お待ちいただくことに……」
しかし丁寧に頭を下げた女性の店員は、頭をあげてリセンの顔を見た途端、驚愕の表情を浮かべた。
「あっ……すみません! いますぐ席をご用意いたしますので……!」
女性は冷や汗をかきつつ、どうしていいのかわからないといったかんじで店内を見渡した。今すぐ席を用意しないと殺されるとでも思ったのだろうか。そんなことは一言も言っていないのだが、そう思わせるほどその女性は焦っていた。
リセンは思わずため息をついた。
「いや、別に空いていないなら他をあたるんだが……」
しかしリセンがそう言った直後、店内でこちらの存在に気づいたひとつの集団が、女性と同じように焦りと怯えの混ざったような表情で席を立つと、そそくさと酒場を出ていってしまった。そのおかげでリセンは席に座ることができたのだが、他の客もリセンの存在に気づいたらしく、それまではうるさかった店内も今ではしんと静まり返ってしまっている。
(こんな雰囲気の中で飯を食べても美味しくないだろ……)
心の中でそう毒づくが、その原因が自分なので文句のつけようもなかった。
多方向から浴びせられる怯えの視線にしばらく耐えていると、注文した料理が運ばれてきた。運んできた女性は手が震えており、そのせいで皿がカチャカチャと音を立てていた。
「……どうも」
「い、いえっ! ごゆっくりお召し上がりください!」
安心させるために言ったお礼にも、逆に女性はビクリと驚き、風のように立ち去って行ってしまった。
リセンは思わずため息をついた。やけに広いテーブルに並べられた料理を口にしながら、リセンの気分は一気に沈んでいった。
そんな時だった。何者かがズカズカと足音を鳴らしながら近づいてきて、リセンの座るテーブルにドンッと両手を突いた。
驚いてその人物を見てみると、その人物はリセンよりやや幼い少女だった。艶のある綺麗な赤髪を腰上あたりまで伸ばし、形の良い眉毛と鼻。ふっくらとした唇。そんな美少女がこちらをとびきりの笑顔で、睨んでいた。
「偉大な英雄様が、ひとりで祝杯でも挙げているのかしら?」
「……は?」
「もしそうじゃないのなら、この席にお邪魔しても大丈夫よね?」
「あ、ああ。別に構わないが……」
珍しく他人から話しかけられたことに戸惑いつつ言ったその言葉を聞き終えた途端、少女は店の入り口の方を見て何者かに手を振った。
「ほら、ここ座っていいって言ってるわよ!」
「え? で、でも……」
返ってきた返事はこれまた若い女性のものだった。赤髪の少女に比べ気が弱そうな声で、性格もそうなのか赤髪の手招きに戸惑っているようだった。
「いいからほら、早く座る!」
最終的に、その気弱そうな声の少女は赤髪の少女に強引に引っ張られて店の中まで入ってきた。その少女は予想通りというか、気の弱そうな見た目の少女だった。背も低く、鮮やかな水色の髪で目元まで隠してしまっていた。しかしそれでもおどおどとしているのが伝わってくる。赤髪の少女がわりと強気な性格なのに比べ、こちらは極端に弱気な性格のようだった。
「あ、あのすみません。お邪魔します」
水色髪の気弱そうな少女はぺこりと頭を下げてから、テーブルの端に座った。
「いいのよこんなやつに謝らなくても。どうせこの席だって前の客から無理やりとったんだから」
赤髪の少女は手をひらひらさせながらこちらへジト目を向けてくる。何故こうも怒っているのかわからないが、いきなり失礼な人だった。
「ちょ、ちょっとヴェレナちゃん失礼だよ……」
「なによ、ほんとのことじゃない。結果的にさっきまで食べていた人たちを脅して出ていかせて、こいつは一人で席にふんぞり返ってるんだから」
ヴェレナと呼ばれた赤髪の少女は、リセンの料理をぐいっとこちらに押し寄せながら水色髪の少女の隣に座った。先ほどから怒っていたのは、どうやらリセンが前に座っていた客を脅して席をとったのだと勘違いしているためのようだった。そう考えると、リセンに強気にあたってくるのも少し納得だった。
だがだとすれば話は簡単だった。この少女が抱いた誤解を解けばいいだけの話だからだ。今まで様々な噂をされたリセンだが、やはり誤解をされているままというのはどうも釈然としないのだ。
「俺が並んでいたりするとこうなってしまうんだ。俺は別に脅して席をとろうなんて思っていたわけじゃない」
「なに、言い訳? あんたがどう思ってようと、一般人からしたらあんたが外で待ってるってだけで脅しになるってことくらい、もう理解していると思うんだけど」
しかし少女の誤解は解消されず、さらに反論されてしまう。
「そ、それは……」
そしてリセンは戸惑った。それは少女の反論がただの怒りからくる感情論ではなく、的を射ていたからだ。
こちらからすれば勝手に周りの者が怯えているのだから、それをとやかく言われても理不尽極まりないことなのだが、確かにそれをわかっていながらこのような場所に来たのは配慮不足だった。それに怯えさせて不快な思いをさせているのは事実で、それを否定することはできなかったのだ。
「ていうかそれぐらい理解していてもらわないと困るわよ。無意識に危害を加えているのが一番最悪だから。まあ理解しているならこんなところに来るなって話だけど」
相変わらず隣でおどおどしている水色髪の少女を気にも留めず、ヴェレナという少女はリセンへの文句を吐き出し続けた。それでも怒りは収まらず、挙句の果て料理を食べ終えて食後のデザートの時間にまで口を閉ざすことはなかった。しかしその間、リセンはどの話にも思い当たる部分がないわけではなかったため、ずっと反論を挟めずににあいまいな相づちを打つしかできないでいた。
「そもそもそんなに色んな人を怖がらせてなにか楽しいわけ? もしかして世の中のみんなを自分の思うままに動かして自分中心の世界にしようとか考えてんの?」
しかしずっと大人しく少女の怒りを受け止めていたリセンだったが、その言葉だけは許容できなかった。思わず顔を強張らせ、反論してしまう。
「それはおかしいだろ。俺だって他の人と普通に会話できたらそうしたいし、姿を見られただけで怯えられるのは俺からしても不愉快だ。俺だって好きで怖がられているわけじゃない。だがどうしても怖がられるから困ってるんだ!」
しかしそんなリセンを意に介した様子もなく、少女は腕を組みながら皮肉を吐く。
「なによ急に大声出して。私にはそんな脅しは通用しないわよ。ほら、そうやってすぐに人を脅して物事を解決しようとしてるところが嫌いなのよ」
「い、いや。そんなつもりで言ったわけじゃない。どうしてそうなるんだ……!」
思わず心の中で舌打ちをする。この少女はどうしてこうもこちらを悪者にしたいようだった。しかしリセンが何か他の人を脅かすようなことをしたわけではないのだ。ただこの国のために、誰よりも武勲をあげようと必死になって頑張っただけなのだ。どうしてこの少女にはそのことが理解してもらえないのだろうか。
いや、この少女だけではないのかもしれない。今までリセンに怯えた目を向けてきた者の全員が、この少女のようにリセンに怒りを覚え、さらにただの殺人鬼としか思ってないのではないか。
そう思うと途端に悔しさがこみあげてきた。
「俺はただ、国のためになりたかっただけだ。そのために幼いころから人一倍頑張って、竜の力だって手に入れて、戦争でも人をいっぱい殺した。そのせいで怖いと言われるのだから仕方ないじゃないか。俺にはどうすることもできないんだ」
リセンは拳をぐっと握りしめて吐露した。ただの誤解から始まった言い合いが、まさかここまで深刻になるとは思ってもいなかった。それともこの誤解こそ、周りの人々の抱く感情の表しなのだろうか。
しかしそんなリセンを見て、少女は大きなため息をついた。その行動に、再び腹立たしさが込み上げてくる。
「あんたなにもわかってないのね。だったらその力、使わなければいいだけの話でしょ。竜の力か何か知らないけど、そのせいで迷惑しているなら使う必要もないと思うけど?」
急に、少女は怒りの感情を捨てたかのように穏やかになった。言葉にも、今までのように怒気がこもっておらず、それこそ普段の会話のようなものだった。だからこそだろうか。そんな雰囲気で放たれた言葉は、リセンに衝撃を与えた。
竜の力を使わなければいい。
それはリセンが今まで一度たりとも考えたことのない発想だった。確かに、この力は使おうと思わない限り発動されない。それゆえ力を使わずに生活するというのは可能だ。だが長年にわたって力を使ってきたリセンにとって、力のない生活というのは想像できなかった。
「そんなこと、できるわけないだろ……」
「どうして? そんな力がなくても生きている人はいっぱいいるじゃない。私もそうだしね。それともその力を使わなければいけない理由が他にあるわけ?」
また、言葉が浮かばなかった。しかしよく考えてみればたしかにこの少女の言う通りだとも思った。特別な力を使わずに生きている人はたくさんいるし、その人らが特に不自由しているとも思えない。むしろ力のせいで人々から怯えられる、今のリセンの方がよっぽど不自由な状態だ。
「この力を、使わない……」
「そう。何をそんなにこだわってるのか知らないけど、それで多少は怯えられることも少なくなるんじゃない? そうなったら私もいちいち腹を立てずに済むわ」
リセンは自分の両手を見る。今は綺麗に洗われ血などついていない。だが戦の時は、手だけでなく全身に血がついていた。それはあの力を使い、たくさんの人を殺めたからだ。それが普通だと思っていた。だが力を使わなければ、戦の時でもこの綺麗な掌のままでいられるのだろうか。そしてそれを見て自分は喜ぶことができるのだろうか。
「それじゃ、私たちは行くから……」
赤髪の少女はそう言い残すと、悩むリセンをおいて席を立った。
一緒にいた水色髪の少女は赤髪の少女の後を追おうとするが、一瞬迷った挙句、リセンの方へ向き直った。
「あ、あの……。私の名前はレアです。そしてあの人はヴェレナって名前です。口は悪いですけどいい人なので、できれば理解してあげてくれたらうれしいです……」
結局最後まで体を小さくしていた水色髪の少女、レアは最後にその言葉だけを残すと、自らも店を出ていった。
そんな二人の名前を記憶に刻みながら、リセンは力のことについてずっと考えていた。そしてリセンは頭の中で激しく葛藤しながらも、力を使わないという選択肢の先について少しずつ考え始めたのだった。
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