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リセンの参戦により一気に勢いを得た我が国スクレーブ軍は、勢いそのまま敵軍に容赦なく押し寄せていった。先ほどまでは追い詰められていた味方の軍だったが、今では逆に押し返していた。
自分の仕事を終えたリセンは味方がどんどん自分を追い越して前に走っていくのを見ながら、こうするしかなかったんだ、と心の中で繰り返していた。
後ろから前に流れていく足音のなかで、ふと、ひとつの足音がリセンの隣で停止した。そちらを見てみると、そこには馬にまたがった少女が二人、見下ろす形でこちらをみていた。その二人は、先日リセンが酒場で出会った、赤髪の少女ヴェレナと水色髪の少女レアだった。おそらくその二人は魔術師なのだろう。今は魔術師が着る、赤と紫の色で構成された魔術師のローブを身に着けていた。
そしてそのヴェレナの顔を見た途端、まるで危険にさらされている時のようにリセンの心臓がとくんと大きく鳴った。
「やっぱり力を使ったんだ……」
ヴェレナは怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ無表情のままそう言った。リセンはなぜかその顔がとても恐ろしく感じた。そして無意識のうちに、まるで悪いことをした子供のように柄にもなく口をせわしなく動かしていた。
「俺も最初は力を使わないようにしてたんだ。だが次々と倒されていく兵士たちを見て、いてもたってもいられなくなったんだ。俺が力を使わないと戦争に負けるとわかったら、竜の力を使わないわけにはいかないだろう」
「そう……」
その素っ気ない反応に、リセンは驚いた。てっきり力を使ったことに対して怒られると思ったからだ。
「……怒らないのか?」
「……どうして? それはあんたの問題でしょ。確かに怖がられたくないなら力を使うなとは言ったけど、それを最終的に決めるのは私じゃなくてあんただから。それに仲間を死なせないように戦うことは悪いことじゃないでしょ。私だって、こうやって戦場に立っているんだし」
ヴェレナは何の感情も顔に出さずそう言った。そしてあたりに転がる死体に目を移す。自然と、リセンもヴェレナの目線の先を追った。そこには味方と敵の兵士たちの死体が乱雑に転がされていた。
「……この戦争で、何人の人が死んだんだろうね。これだけの人が死んで、まだ戦争は終わらないんだね」
ヴェレナは言う。話しかけている相手はリセンなのだが、その言葉は疑問ではなく、ただの確認のようなものだった。
「……仕方ないだろ。それが戦争なんだから」
「人って死ぬとき、どんな感情なんだろ。私は考えただけでも怖いよ。だからこの人たちも、怖かったんだろうね」
「……当たり前だ。あれだけ多くの兵士が相手で、一方的にやられて怖くないわけない」
死ぬ、というのは未知の出来事だ。死ぬときはどれほど痛いのか、死んだらその後どうなるのか。元の体には戻れないのか。それがわからないから、不安で恐ろしい。それは誰もが抱える、当たり前の恐怖だ。
そしてそれは命を賭して戦う兵士でも同じこと。敵の軍の一方的な虐殺に敗れた兵士たちは皆、それぞれ強大な不安と恐怖を抱いて命を失ったのだろう。
「でもそれはたぶん、敵の人も同じよね」
もう一度、リセンの心臓がどくんと大きく鳴った。
改めて死体の数々を見ると、味方の兵に劣らず敵軍の兵士の死体もかなりの数が転がっている。そしてその兵士たちの顔は皆、恐怖に歪められていた。
そしてそんな顔をつくりだしたのは、紛れもなくリセンだった。圧倒的な力で、為す術もなく、逃げることすら許されず殺される。敵の兵士はそうやって死んでいったのだ。おそらくそれは他とは比べ物にならないほど恐ろしいものだったに違いない。
リセンは思わず地面に手を突いた。
ここでようやくリセンは悟った。味方であるスクレーブの人でさえリセンを怖がる理由を。
リセンは今まで、自分の力が強大すぎるがゆえに恐れられているのだと思っていた。それももちろんあるだろう。しかし本当は、自分のような人を殺すことに何の躊躇いもない人間が強大な力を持っているからこそ恐ろしいのだ。
人々は、それを少なからず感じているのだろう。ましてリセンの殺戮の一部始終を見ている兵士たちならなおさらだ。これでは殺人鬼と何も変わらない。いや、まだ殺人鬼の方がよかったのかもしれない。リセンはその行為を正当化し、その罪から逃れようとしていたのだから。
確かにここは戦争だ。人が死んでしまっても仕方のないことだ。だがだからといって人の命を奪うことに何の感情も抱かないのは間違っている。人が当たり前に抱く恐怖に、力があるゆえに本当の恐怖を抱いたことのないリセンは気づけなかったのだ。
「……なあ、俺はどうするべきなんだ? この力を使わないと国は敗北する。かといってこのまま竜の力を使える自信もない。俺は、どうすればいい?」
このようなことを聞かれても相手が困るだけだと知りつつ、それでも聞けずにはいられなかった。これからどうすればいいのか。自分ではそんなことを決めれそうにない。決めてそれを実行する勇気もない。
「さっきも言ったけど、それを決めるのはあんたでしょ。他の誰でもなくあんた自身の問題なんだから。だけどひとつ教えてあげる……。そもそもね、あんたが力を使わなければ、今ここで戦は起きてなかった」
「え……?」
リセンは思わず顔をあげる。その顔は様々な感情が入り交じり、そして疲労しきった表情だった。しかしヴェレナはそんなリセンを前にしても、顔に感情を浮かべなかった。淡々と、冷静に言葉を紡いでいく。
「今、どうしてこの国が戦争をしているか知ってる? それは五年前の戦争で、小国であるこの国が大国ナトゥーアに勝利したためよ。そのことで数々の国が連盟を脱退し、今ではこの国は孤立している。小国同士の、均衡がとれていたからこそ成り立っていた連盟の中で突然大国に勝利する国が現れたら当然、その力を恐れるわよね。そして他の国は他の協定を結び、この国に対抗し始めた。そして今、この国はそんな協定に参加する国ゼンギューブと戦っている……」
つまり、この戦は五年前の大国ナトゥーアとの戦いで勝利したからこそ起きている戦争なのだ。そして何故小国であるスクレーブがナトゥーアに勝利できたのか。それは言うまでもなく、リセンの竜の力があったからだ。一人で何百もの兵と戦い無傷でいられる竜の力があれば、いかに大国といえど簡単に勝利することは難しい。
「こう言ったらまるで自分を正当化しているみたいだけど、あんたと私たちじゃ、力の差がありすぎるのよ。あんたの力はあまりにも強い。だからこそ影響力も大きいのよ。あんたが力を発揮すれば、この国はただの小国という認知を超えてしまう」
「俺のせいなのか……? この戦争が起きたのは……」
「すべてあなたの責任とは言わない。それにさっきも言ったけど、戦うこと自体は悪いことじゃない。でもこれでわかったでしょ。もしその時の戦に勝ったとしても、そこで新しく次の戦いの火種が生まれてしまう。人を殺すということは、最終的に憎悪を生むことでしかないのよ。それでもそのすべてを背負ってなおあんたがこの国のために戦う勇気があるのなら、誰も止められない。だけど自分でもどうしていいのか迷っているのなら、その力をあんたが使うには危険すぎる」
ヴェレナは口を閉じると、すぐにリセンから顔を背けてしまった。そしてうちひしがれるリセンを置いて、先に行ってしまう。
もしその時の戦いで勝ったとしても、そこで新しく次の戦いの火種が生まれてしまう……。もしそうなのだとすれば、この戦いでも、新たに次の戦いの火種が生まれたのだろうか。地面に膝をつき、絶望しながらリセンは考える。
だとすればこの力をどうすればいい。今まさにリセンの前を通っていくこの兵たちは、守っても死に、守らなくても死んでいく、選択の余地のない死を定められた者たちなのだろうか。だったらこれまでの自分の頑張りは、むしろ兵たちを死へと誘っていただけなのだろうか。
もしそうなのだとしたら、こんな力を迷いなく使える自信はリセンにはなかった。結局、リセンは竜の力をただ使うだけで、その覚悟を持ってはいなかったのだ。
「我らの勝利だ!」
突然、周りの兵士たちが歓声を放ち始める。どうやら戦に勝利したようだった。
しかし喜び抱擁をかわす兵士たちの中で、リセンは一人地面に膝をつきながら、ずっと険しい顔を浮かべていた。
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