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「席空いているか?」
「はい。奥の方に空いている席がありますので、そこにお座りください」
リセンは以前ヴェレナと初めて出会った酒場にまた足を運んでいた。お洒落な雰囲気が気に入り、人が多いところには来るなとヴェレナに言われていたが、そろそろ酒場に顔を出すくらいはいいだろうと思い、立ち寄ったのだ。
リセンは店の奥に進んでいき、空いている席に腰を下ろした。最初の頃とは違い皆がこちらに注目してくるようなことはなく、今でもそれぞれの会話に花を咲かせている。店員にしても、最初は怯えて声も震えていたが、今はそれもなくなり他の客と変わらない態度で接してくれるようになった。
(竜の力を使わないだけでこれほど違うものなんだな……)
リセンは、民の対応のあまりの変化に驚いていた。今でも相変わらず相手から近付いてくることはないが、それでも話しかければ普通に応じてもらえるし、怯えられることも随分と少なくなった。
「随分と角が取れたようね」
ふと、綺麗な赤髪の少女がテーブルの向かいに座ってきた。ヴェレナだ。
この前の無表情とは違い、今は優しい笑みを浮かべている。
「別に俺の角が取れたわけじゃないんだがな。みんなの対応が変わっただけだ」
「まあ、よかったじゃない。これで怯えられることも少なくなるんじゃない?」
ヴェレナはリセンが注文した料理を勝手につまんで食べながら投げやりに言う。
「確かにそうだな。これもあんたのおかげだ。ありがとう」
ヴェレナの目をまっすぐ見ながら頭を下げると、ヴェレナは少しだけ顔を赤らめ、居心地悪そうに目を逸らした。
「私は別に竜の力を使うことに迷っているなら使わない方がいいって言っただけよ……でも確かにこうなったのは私のおかげなんだし、何かお礼をしてもらってもおかしくないわね」
「さっきから人の食べ物に手を出しておいてよく言えるな。まあでもその通りだし、何か食いたいものがあれば奢るぞ」
「ふふん、じゃあ遠慮なく……」
それからヴェレナは数品選んで注文すると、食前の感謝の言葉を紡いでから食事を口に運んでいった。ヴェレナは女性特有の頭から発せられているかのような高い声で料理の味を称賛しながら、次々と食事を平らげていった。その姿は料理を称賛するときに発する声以外はとても気品のあるもので、言動とは裏腹に育ちはいいようだった。それからも少しも音を立てずにとても美味しそうに食べていく。最初に会った時は怒っていたし、戦場であった時も無表情であったし、とにかくヴェレナのこういった普通の顔を見るのは初めてだった。今のヴェレナは今までとは全く印象が違っていた。
「……ん、どうかした?」
思わず凝視してしまっていたのだろう。ヴェレナが手を止めて尋ねてくる。
「い、いや……。今日はあんただけなんだな。もう一人の、レア……だったか。はいないのか?」
「今日は用事があるって言ってた。なに、レアに会いたかった?」
「そういうわけじゃないんだが、いつも一緒だったから気になってな」
「……そうね。レアは魔術師学院で知り合ってからずっと一緒に行動してるの。なんかあんな性格だから遠慮しないでいいから楽なのよね」
「そ、そうなのか……」
それは単にレアが穏やかで都合がいいから一緒にいると受け取れなくもないが、別にレアがヴェレナを嫌がっている様子でもないので本当にそれなりに仲はいいのだろう。
「それよりあんたなんでレアの名前知ってるの?」
「ああ、最初にここで出会った時、去り際に名前を教えてくれたんだ。もちろんあんたがヴェレナっていう名前だってことも知っている」
「え、そうなの? だったらあんたは何で私のことをあんたって呼んでるのよ。ちゃんと名前で呼びなさいよ」
レアの方は名前で呼んでいるのに自分は名前で呼んでもらえないことを不服に思ったのか、ヴェレナは目を細めながら詰め寄ってきた。
しかし、自分はずっとこちらのことをあんたと呼んでいることには気づいているのだろうか。とも思ったが、わざわざ機嫌を悪くしそうなことを口に出さすこともないと思い、スルーする。
「てっきり、勝手に名前で呼ばない方がいいと思ってたな……。それじゃあこれからは名前で呼ばせてもらう」
「そうしてもらえると嬉しいわ」
そう言ってヴェレナはにこりと笑った。その顔に、思わず意表を突かれてぐっと息を呑んだ。
「ああ、でも今度レアに会ったらあの子にもお礼言っておいてよ」
「レアに?」
「そうよ。最初に会った時からずっとあんたのこと心配してたんだから」
「そうなのか……」
「まあ、私の場合は最初はあんたに本気で腹が立っていたしこの前も本気で呆れていたんだけどね」
つまり、二人とも他人である自分のことについて色々と考えていてくれたということだ。お人好しというか、随分と親切な人達だと思った。ヴェレナにしても、こう言っているが今こうして話しかけてくれているのだから本当にいい人なのだろう。
「……ヴェレナは初対面にもかかわらず俺に文句を言ってきたが、俺が怖くはなかったのか?」
「別に怖くはなかったわね。皆が震えながら怯えるのが不思議だったほどよ。私は慣れてるのよ。あんたよりもっと怖い人を知ってるから」
ヴェレナは手をひらひらと振る。
「俺より怖い人……?」
「そう、私の父さんよ。父さんも魔術師だったんだけどね、弟子たちならともかく自分の子供である私にも容赦なく怒鳴るのよ。しかもただ怒鳴るだけじゃなくて魔術まで浴びせてくるんだから。そりゃあもう怖かったわよ」
ヴェレナはその父に叱られた時のことを思い出したのか、体を一度ブルっと震わせた。その姿に、自然と笑みが漏れる。あのヴェレナが怖がるのだから相当な人物なのだろう。
「なるほどな、ヴェレナのその性格は父親からきてるのか」
「どういうことよ……。まあでもそうかもね。自分でも時々、私口悪いなって思っちゃう時があるわ」
最初はじろりとこちらを睨んだヴェレナだったが、すぐにまた笑みを浮かべた。
「だが弟子がいたってとこは、そこそこ腕の立つ魔術師だったのか?」
しかし、ふとそこでヴェレナの顔が暗くなった。それまで浮かべていた笑みをすっと消し、真剣な顔になって下を向く。
「……私の父さんはね、今の前の代の魔術師協会の会長だった人よ」
「前の代の魔術師協会の会長……もしかしてアーベルって人か?」
「うん……」
魔術師協会元会長アーベル。その人物は誰もが知る賢人である。魔術師の中でも最も秀でた人物に与えられる、賢者という称号をもっており、魔術の腕はもちろん、策士や参謀など、多種にわたって活躍していた人物だ。王都にある大図書館もアーベルがつくったと言われている。また剣術にも秀でており、王都で開かれる剣術大会でも優秀な成績を残した偉人だ。そんな人物ならば弟子がいたところで不思議ではない。
しかしその人物は……。
「だがアーベルって人は、確か……」
「そう、ある日突然姿を消したのよ。魔術師協会の人たちにも、家族である私たちにも何も言わずにね……」
魔術師アーベルは誰もが驚く活躍をしたが、突然姿を消してしまったのだ。それからアーベルの姿を見た者は誰一人としておらず、今でもどこにいるのかさえ分かっていない。
「わ、悪い……」
「気にしないで。もうだいぶ昔の話だから」
ヴェレナは再び笑顔を浮かべると、なんでもなかったように食事の続きを再開した。
なんとなく気まずくなったリセンは身を引かせながら時間をかけて飲料を飲んでいった。
「……そういえばあんた、国王様に呼ばれたって聞いたけど、文句でも言われたの?」
「え? ああ、まあ。なんで急に竜の力を使わなくなったんだって問い詰められただけだったけどな。っていうかよく知ってるなそんなこと」
「まあね。私の情報網なめない方がいいわよ」
自慢げに胸を張るヴェレナ。なんとなく安堵して、ほっと密かに息を吐き出す。
「それで? あんたはなんて言ったの?」
「訳あって力が使えなくなった、とだけ」
「あはは、そりゃあ国王様もお怒りになるわね」
ヴェレナは足をバタバタと揺らしながら笑う。
一方のリセンは国王様を怒らせたことまで筒抜けなのか、とヴェレナの情報収集力を恐ろしいほどまでに実感していた。そしてふと、ヴェレナならばリセンの持つ竜の力について詳しいことを知っているのではないかと思い至る。以前は竜の力を使うことに必死で考えたこともなかったが、最近になってこの力は何故自分に宿り、どういった原理で力を与えてくれているのだろう、と疑問に思っていたのだ。
「……なあ、ヴェレナは竜の力について何か詳しいことは知っていないのか? 俺詳しいことは何もしらないんだ」
「竜の力について? 残念だけど私も詳しくはしらないわね」
「そうか……」
それほど竜の力は特殊なものなのだろう。リセン自身も自分以外では聞いたこともないし、ましてや竜の力について説明されている書物を目にしたこともない。
「あー、でも南区にある大図書館になら竜の力に関する書物があるかもしれないわね」
「大図書館か……」
王都南区にあるアーベルが造った書物庫、大図書館。そこには様々な書物が蔵されており、魔術のことはもちろん、古代の建造物や風景、人物など様々な分類の書物が保管されている。普段の調べものもたいていはこの大図書館で調べものが完了してしまうような場所だ。
「そうだな。確かに大図書館なら竜の力に関する書物もあるかもしれない……」
「そうでしょ。そうと決まれば今から調べに行くわよ!」
そう力強く宣言して立ち上がったヴェレナ。
「……と言いたいところだけど、私これから用事あるんだった」
すぐにぺたりと椅子に座りなおしてしまう。
「別にヴェレナも一緒に調べる必要はないんじゃないか……?」
「そんなこと言って、大図書館の構造も知らないくせに。それに私も竜の力に興味あるもの。私これでも魔術師だから、未知のものは知りたいって思うのよ」
「そうなのか……。まあそれならお世話になろうか」
「それじゃあ、そうね……明日の日暮れ前、またここに来て」
「わかった」
それから約束通りリセンが二人分の金を払うと、揃って店を出た。そしてヴェレナは用事へ、リセンは宿へ向かった。
(今日のヴェレナは機嫌がよかったな……)
宿への帰り道、人で溢れる大通りを歩きながらリセンはぼんやりと考えていた。
酒場で最初に会った時も戦場であった時もおそらくヴェレナの機嫌が悪かったのは自分のせいだったのだろうが、やはりこうして普通に話せることに越したことはない。それだけでも竜の力を封印した甲斐があったというものだ。
珍しく浮かれた気分になり、リセンは自然と笑みを漏らしていたのだった。
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