おねだりもほどほどに

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おねだりもほどほどに

『司? 聞こえてる?』 「ん……聞こえてる……」  バクバクと心臓がうるさくて、正直手も足も変な緊張に震えている。  鞄の中で眠ってたイヤホンを引っ張り出してきたお陰で、颯真の声は嫌でも耳にダイレクトに響いた。 『……大丈夫?』 「っ……分かんないよっ、そんなのっ」  きゅっと唇を噛む。  だけど、しょうがない。 「だっ……て……シたいんでしょ、颯真」 『ん。ごめんね?』 「いいよ、謝んなくてっ」  ハンズフリーに切り替えて、布団の中に潜り込んだ。  母親が下の階にいる。2階にはほとんど上がってこないし、たぶん部屋の扉を勝手に開けるようなことはしないだろうけど、念には念をいれて鍵はかけておいた。  罪悪感なのか、初めてのことに対する興奮なのかは分からないけれど、とにかく息が上がっている。  はふはふと短くて忙しない呼吸を繰り返していたら、ふっと優しく笑う吐息に耳を擽られて肩が跳ねた。 『司、大丈夫だから。落ち着いて』 「んなっ、こと……!」  言われても、ととにかく小さな声でオロオロ呟く。  ──外出自粛。人生で初めての経験だった。  父親はリモートワークの波に乗れないまま、少ないマスクを大事に使って週に1度だけ出勤していて、今日はたまたまその日だった。  姉は最近婚約者と同棲を始めて家を出ていて元から不在だ。  母親は買い物に行く回数を減らしながら、自宅でいつも通りに過ごしている。  ──こんな、状況で。  まさか電話越しにセックスしたいだなんてそんなこと。言われるなんて思ってなかった。  そりゃ勿論、オレだってまだまだ若いオトコノコな訳だから、性欲だってあるし、颯真の声聞いたらちょっとそういうことしたいなって、思ったりはする。それは認める。  だけどこんな、家族が寝静まってからならともかく、真っ昼間から布団被ってこんなこと。覚えたての中学生じゃないんだから、と。思ってヤダヤダ言ってたのに、結局は颯真のおねだりに負けてしまった。 (颯真はいいよ、颯真は! 一人暮らしなんだから!)  夜にしようよと食い下がったけど、夕方からバイトだと言う。オレの方は休業補償されることが決まって早々にオーナーが営業自粛を決めたけれど、颯真のバイト先はコンビニで、営業時間を短縮して営業を続けている。  マスクはないのかとかお客さんに怒鳴られて、色々大変らしいことは聞いているから、叶えられるお願いなら叶えてやりたいとは言ったけれど。 (だからってこんなこと……!!)  半ば本気で泣き出しそうになりながらも、熱心に食い下がられて渋々環境を整えたわけだ。 『準備出来た?』 「分かんないけど……とりあえず」 『ん。じゃあ、まずは指、舐めて』 「指……?」 『そ。オレの指だと思って』 「ん……」  ドキドキする。だって、自分の指だ。 『目ぇ閉じて。オレの指だよ』  まるで暗示にかけるみたいに、優しくて優しくて低い声が耳に響く。こく、と息を飲んで目を閉じたら自分の人差し指を口に含んだ。  ちゅぷ、と音が鳴る。 『いい子だね。……ちゃんと舐めてね。それがオレの手だから。司のこと可愛がる、オレの手だよ』 「ん、ふ……っ」  耳から()けそうだ。  いつもよりも近い声。低くて優しくて、いつもよりも色っぽい。  ぞくっと一筋、背中を駆けていったのは、快感だったのかもしれない。  ちゅくちゅくと音が鳴る。自分の指なのに自分のじゃないみたいで、熱心に舐める舌が奇妙なまでに気持ちいいのが不思議だ。 「ふ、……っ、は、ぁ」 『気持ちいい声、出てきたね』 「ちがっ」 『違くないよ。いいじゃない。聞かせてよ、気持ちいい声、いっぱい。オレも凄く気持ちいいから、司の声』  はぁ、と耳に届いた吐息は確かにいつも聞いているのと同じ、満足そうな溜め息だ。 『……指、1本だけ?』 「……ん……」 『増やして』 「ん……」  言われるままに指を増やしたら、水音が大きくなった気がしてドキドキが増す。  こんな程度じゃ1階にいる母親には音は伝わらないと分かっているのに、スリルが凄い。 『凄くえっちな音だね』 「やっ……」 『オレのを舐めてる時みたいな音』 「っ」  低い低い、色っぽい声。  ドキドキする。  颯真のを、舐めてる時みたいな音?  ──そっと、スウェットの中に手を入れる。たぶん、気持ちよさより興奮のせいで熱を持った自分自身にそっと指を滑らせてみた。 「ふ、ぅっ、……ん」 『こら、ダメだよ』 「ふぇっ?」 『まだ、触っちゃダメ。オレだって我慢してるんだから』 「な、んで……」 『声で分かるよ。司、すぐ気持ちよくなっちゃうもんね』 「ちがっ」 『もうちょっと我慢してよ。一緒に気持ちよくなりたいから』  小さな子供みたいなおねだりの仕方なのに、やけに色っぽくて困る。  どうしよっかな、と呟いてみたら、イヤホンの向こうで颯真が笑う。 『……じゃあ分かった。指、もう1本増やして』 「ん、ふ……っ」 『どう? いつもオレの咥えてるのと、同じくらいある?』 「っ……っ、ァ」 『司?』 「……──たり、ない……」 『そう……今日はそれで我慢してね。……たくさん舐めて準備して。ちゃんと挿入()れられるように』 「ぁ……いれ、るの……?」 『挿入れるよ? 当たり前じゃん』 「じゅ、ん、び……して、ない……」  はぁ、と零れた吐息は自分でも分かるくらいに媚びた音をしている。 『っ……ホント、無自覚に誘ってくれるね』  くそっ、……ホントに挿入()れたい。  雄の声に、刺されて跳ねた体。  トロリと下着が濡れた。 「ぁっ……ぁ、そ、ぉま……」 『ん? 何? ……もしかして、イッちゃったの?』  えっちだね、ホントに。  からかっているはずの音は、だけど余裕のない音にも聞こえる。  自分の息が煩くて、意識して口を閉じてイヤホンに集中する。  クチクチと音がするのはたぶん──颯真が、自分自身を擦る音だ。 「ず、るい……触っちゃダメって、言った」 『ずるくないよ。司だって勝手にイッちゃったじゃん……っ』 「や、だって……」 『だってじゃないよ。オシオキ。司は触っちゃダメ』 「そんな……っ」 『オレの、舐めて』 「っ……」 『っ、早く』 「~~いじわる……っ!!」  唾液まみれの自分の指を、また咥えた。  意地悪の仕返しのつもりで、ゆっくりゆっくり舌を這わせて、ゆっくり吸ってみる。 『っ……早くって、言ってるのに……ッ』  もどかしそうな声。いつも聞けないその声に腰が震えた。 「……オレも……触っていい?」 『……どうしよっかな』 「……じゃあ舐めてあげない」  分かっている。お互いにおふざけだと。  そっと耳許で笑った声が、いいよ、と囁く。 「んぁっ……っふ、くっ」 『いいの? 司。声、我慢しなくて』 「だ、めっ……、っは、ァ」 『でも、いいね、凄く。我慢してる声、やらしくて……すっげぇクる』  荒い息が耳に直接注ぎ込まれて、颯真が気持ちいいのか自分が気持ちいいのか境目が曖昧だ。  さっきまで舐めていた指を、そっと動かす。 『つかさ……』 「んっ……?」 『後ろ、触ってもいいよ?』 「やっ……んでっ」 『分かるよ。声も、息も……布団が擦れる音も……全部、聞こえてる』  聞かせて。後ろにいれる音。  優しく妖しくねだる声に、導かれるみたいに手が動いた。  濡れそぼった指を、躊躇いがちに1本。指先だけをそっといれてみる。 「っンくっ、……っふ 、っ」 『ぁぁ……っ、くそっ……会いたい……っ……司……!!』  切羽詰まった声に、また弾ける。  もうおかしい。今日はたぶん、どこかのネジがごっそり抜けているんだ。 『司……っ、つかさ!』 「そぉ、ま……っ、そ、……っ、ま……っ!」  熱の高ぶり。  声の響き。  吐息。  音。  ──クラクラする。  自分の手の中で熱が弾けたのと、吠えるみたいな颯真の声を聞いたのは、ほとんど同時だった。 「…………あっつ……」 『あはは、大丈夫?』 「蒸し風呂みたい……」  荒い息を電話越しに整え合って、早く会いたいねと呟き合ってしんみりした後、暑さに耐えかねて布団を剥いだ。 「バイト、大丈夫?」 『ん? 時間はまだまだ余裕だよ? 何、もう一回する?』 「ちがっ!! ……大変じゃない? って」 『んー……まぁね。でも、大変なのはみんな一緒だしね』 「うん……」 『それに、オレ的には司に会えないことの方がストレス! すっっっごい司に会いたい』 「……ん」  オレも、と。蚊の鳴く声で呟いたのに、ちゃんと聞き取った颯真がテヘヘと照れ臭そうに笑った。 『あ~……。ホント、司のことめっちゃ好きだな、オレ。すごい好き。大好き。愛してる』 「ちょっ……待って、そんな……」  矢継ぎ早な愛の言葉に、顔がまたカッカしてくる。  お風呂でのぼせたみたいにクラクラしながら、愛されたくて愛したくて仕方ないのはこっちも同じだよと、きゅっと窓の向こうを睨み付ける。 「……おれも、あいしてる」 『っ……、ホント、困った小悪魔ちゃんなんだから』 「ぇぇっ? なんで? 何が?」 『次会ったら離さないから。覚悟してて』 「覚悟って何、」 『抱き潰す』 「~~っ、ばか!!」  知らない! と叫びながら、 「約束だからね」 『つか、』 「じゃあバイト頑張ってね!」 『ちょ、まっ』  最後まで聞かずに通話を終わらせる。  自分の台詞に後から照れながら、勢い任せにシーツを剥ぎ取っていたら、ブンブブンとスマホがメッセージの着信を知らせて振動した。 『煽ったの司だからね。手加減しないよ』  容赦のない愛のメッセージと、へったくそでブレッブレの颯真の……たぶん投げキスを自撮りした写真が送られてきた。左手のお揃いの指輪が、電気を反射して光っている。  あぁ、ホント、大好きだなぁ、なんて。  噛みしめるように呟いて、さすがに投げキスなんて出来なくて指輪が写るようにピースするのが精一杯のピンぼけ写真をそっと送った。 『のぞむところだよ』
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