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「笑、笑」
こんな夜中に僕を呼ぶのは誰?
若様のご祝言で朝から晩まで大変だったんだから。あと少しだけ寝させて欲しいのに……
「笑、笑」
何度も肩を揺すぶられて瞼を開けると、目の前にその若様がいらっしゃって、吃驚仰天し慌てて飛び起きた。
「わ、若様、このようなかような所においでになっては、旦那様や奥様に怒られます」
由緒ある河西伯爵家に下働きとしてお使いして早十年余り。まだまだ見習いの身。居を与えられず馬小屋の隅で寝泊まりしていた。
「笑、出掛けるよ」
立折襟の陸軍将校の軍服に身を包み、外套を手にした若様にぐいぐいと手を引っ張られた。
「若様、どちらに?」
聞いても何も答えてはくれなかった。
無言のまま足早に屋敷の外へ出ると、黒塗りの車が横付けされてあって、車夫が後ろの扉を開けてくれた。
旦那様や奥様をはじめご家族様しか乗れないのに。
「旦那様に怒られます」
ぶんぶんと首を振った。
「私が許すからいいんだ」
若様に促され、おっかなびくり中へ入った。
もう、どうなっても知りませんよ。
明日から・・・下手したら、今日にもお暇を言い渡されるかも。右足がびっこの僕に、出来る仕事は、体を売る他ないって、奥様が。馬や牛は役に立つが、お前は役立たずだ。ここに置いて貰えるだけ有りがたいと思え、そうおっしゃて・・・
もう、止めよう。
考えても仕方ない。
若様も乗り込み、すぐにお車が走り出した。座席がふわふわで、がたんと揺れる度、体が跳び跳ね、その都度、驚いて声を上げてたら、若様にくすくすと笑われた。
「笑、君は、本当に面白い子だね」
「すみません、若様」
「いいんだよ。笑の笑顔を見れて嬉しいよ」
戦で内地へ赴いていた若様。
ご祝言の為、半年ぶりにお戻りになった。お相手は、同じ伯爵・村山家のお嬢様、宮子様。気立てがよく、お優しいと専ら評判のお方だけど・・・。若様には申し訳ないけど、はっきり言って、嫌い。一月前から、ここにお住まいになられたけど・・・
手の甲に残る生々しい火傷の痕を見るたび、悔しさが込み上げてくる。僕の方が、若様を誰よりもお慕い申し上げているのに。
その痕に、若様のお手が触れる。
「わ、わ、若様」
慌てて手を引っ込めたけど、若様は離してはくれず。
「笑、すまない」
「こ、これは、自分がうっかりしてて・・・そ、その・・・」
「宮子を庇うことはない。笑は、何も悪くない。すまないな、辛い思いばかりさせて」
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