二 悲しき水鏡

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「足が泥に浸かり、ここから出られぬのでございます」 「それはいかん」 「誰も助けてくれないのです。うう、うう……」  涙を流す気の毒な娘を見た龍牙は笙明にしばし待てと声を張り、娘を助けることにした。龍牙は草茂る湿地に入り娘を背におぶった。 「しっかりわしの背に乗れ。それ」 「はい……」  着物姿で啜り泣く娘を背を負った龍牙に対し、娘はこっち、こっちと方向を指した。龍牙は言われるまま泥の道を進んだ。 「どこじゃ?草で見えぬわ」 「こっち。こっち」  娘の指示で進む彼の足はどんどん深みに入って行った。それに比例するように背の重さが増してきた気がしたが、疲れであろうと龍牙は思った。 「娘御、真にここか」 「こっち、こっち……こっち」  いつの間にか風の音も消え、彼は娘の声しか聞こえなくなっていた。彼の視界は霧が出てきたように真っ白になっていた。 「こっち、こっちよ……」 「わかっておる」  娘の顔を直接見ることができない龍牙はふと川に映える水鏡を見た。二人の顔が映っていたがそこにいるのは恐ろしい鬼であった。 「……娘よ。こっちか」 「こっち、こっち」  背には硬い岩のようなものが載っているような感触がした龍牙はこの地で背の者を下ろそうとした。 「……く?」 「死ね……死ね……愚かな男よ」 「ううう」  鬼に首を締められた龍牙は苦しさに悶えていた。その時、一面に光が走り背の者は悲鳴を上げた。 「ぎゃあああああ!」 「……隠、滅、光、刺、退、粛、奪、命……」 「このー!とりゃ!龍牙から降りろ」  笙明が呪文を唱えている間に、篠が鬼を引き摺り出し短剣を刺した。 「はあ、はあ。死ぬかと思ったわい」 「……封、滅、戒、防。これで良いか」 「あ、見て。姿が変わった」  美しい面の娘であったが、頭に角を生やし口元から牙をのぞかせ血を流していた。三人が見ているうちに娘の肉は消え骸骨になった。 「おい、何か吐くぞ」 「妖の塊だ。龍牙、早く。水に落とすな」 「わしか?」  そして口から出てきた朱石を受け取った龍牙であったがこれは彼自身が浄めた。妖娘を滅した三人はようやく船に乗り込んだ。 「ええと、旦那様。ここで伝わる話をします。昔ある娘がおりまして……」  櫂をゆったり漕ぐ船頭は彼らに娘の悲恋を話し聞かせた。 「娘は大変美しい娘でしてな。対岸に住む男逢いたさに通りかかった男の背に乗り川を越えようとしましたが、その男は盗賊でしたのでそのまま拐われ帰らぬ人になったということです」 「先に聞きたかったね。この話」 「いやいや。聞いていたとしても龍牙は助けたであろうよ」 「うるさい。おかげで魔石が取れたではないか」 大きな川はゆったりと流れていた。岸辺には菜の花が咲き乱れていた。頭上の雲雀はうるさくおしゃべりをしていた。 「哀れよの」 「龍牙?」
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