6.念仏

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6.念仏

 待ちに待った開店の日。日暮御用達の『ドル箱大将』は、新台を用意して客を出迎えた。  店の前には二メートル間隔で長蛇の列だ。  みな手にはスマホを持ち、ポイントのQRコードを画面に出している。  寝坊して出遅れた日暮は列の真ん中あたりで、今か今かと入店を待っていた。徐々に列が進み出し、日暮の番になった。 すかさず店員に、黄門様の印籠のごとく、QRコードをかざす。 店員はにべもなく、「あ、先に検温しますので」と、ビニール手袋の手で検温器を、日暮のおでこにあてる。 「あ、お客さま……三十七度六分あります。入店出来ません」 「え? おいおい待てよ! 嘘だろ?」 店員がデジタル表示を見せ、「感染疑いです」と、インカムでどこかに連絡する。 すかさず、防護服を着た屈強な男が二人近づき、「このままPCR検査場に行っていただきます」と、日暮を囲む。  屈強な防護服の男が「あ……」と声を漏らし、日暮の顔をまじまじと覗き込む。 フェイスシールド越しのその顔は、かつてスーパーの前で日暮を呼び止めた男だった。 「あ、あんた……」日暮も気付く。 「私は警備会社なんですよ。大人しく検査した方がいいですよ」  日暮は、熱があった他の客数名とワゴンに乗せられ、検査場に連れて行かれた。  午後になり問診の場で検査結果が告げられ、日暮はコロナ陽性で、そのまま入院することになった。  さらに日暮は、問診のときに初めて、濃厚接触者が母だと気づき、焦った。遅まきながら初めて、コロナを自分ごととして認識したのだ。 「先生、おふくろも早くPCRやってください! お願いします!」  その後日暮には、肺炎の初期症状と糖尿病も発覚し、医師は長期の入院になると告げた。  母の検査結果も含めて、先々の不安で頭が一杯になり、日暮は快楽どころでは無くなった。  しかも、肝心のポイントは有効期間が一か月だ。退院後も二週間の自宅療養が義務のため、せっかくの十二箱は、使用できずに無効になることが判った。 なんのためにクソつまらない自粛を続けたのか。おまけに、食っちゃ寝を続けたせいで、糖尿病にもなった。  日暮は病室の白い天井を眺めながら、「STAY HOME……十二箱……STAY HOME……」と、念仏のように唱えた。 すると、スーパーの前で中年女性に、「馬の耳に念仏よ……」と(さげす)まされたことを思い出し、布団を被ると人知れず、嗚咽まじりの涙をこぼした。 — 完 ー
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