【second branch】「『乙女のしとやかさ』…やね」

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【second branch】「『乙女のしとやかさ』…やね」

カキ研に配属されて一ヵ月が経過した。僕は圃場の雑務が終わった後、リュックを取りに実験室へ向かった。ドアをそっと開けると、天井から吊るされたプロジェクターに映像が映し出されている。石野さんが一人で発表練習をしているらしい。 『カラーは、南アフリカ原産でサトイモ科ザンテデスキア属の植物です。私が研究対象とするのは湿地性種のウェディングマーチという品種です。純白からややクリーム色がかった花色なので、ブライダルなどへの需要があります。しかし、この品種は秋期から年末にかけて開花の少なさが課題となっています』 僕は物音を立てないように机に置いていたリュックを右肩にかけたのだけど、石野さんは発表の途中で読むのを止めてしまった。 「あ…邪魔してすいませんでした」 「ううん。気にせんといて。うちも一段落したとこやし、休憩しようと思っててん」 石野さんの関西弁は丸くて綿毛のように柔らかい。テレビで見る関西出身のお笑い芸人達の喋り方はどことなくトゲがあってキツいイメージがあったけれど、こんな話し方の人もいるんだと思わせてくれた。 「研究ってどんな事をしているんですか?」 「シンプルに言うと、開花時期を遅らせる研究かな。何故か花の咲かへん時期があって需要あるのにもったいないなーって中西先生と話して始まった研究でね」 石野さんが研究について話す横顔はいつも真剣で、でも少し誇らしげだった。研究対象のカラーを可愛がって向かい合っているその姿がとても眩しくて、胸の中に小さな灯りがともるような気持ちになる。 「でもな、3年研究したけど結局この時期に咲かせること出来んかったわ。夏の時期に地下部を冷却してミスト処理したら多少花芽の老化を抑えることは出来たけど…。もう卒業やし、無念やわ」 柔らかい表情が印象的な石野さんの顔が少し曇る。来年度から地元へ戻って公務員の農業技術職員として働くんだっけか。学生生活の集大成として結果を出したくて、あんなに毎日顕微鏡で花芽を覗いていたのかもしれない。 すっかり黙り込んでいた僕に石野さんが顔を覗き込む。僕は急に顔が熱くなった気がして慌てて「うわぁ!」とのけ反った。 「うちのせいでごめんなぁ。白木くんまでそんな顔せんといて。カキ研には優秀な後輩達がいてるし、誰かうちの研究引き継いでくれるやろうし!心配はしてへんのよ。あ、そうや。思い出した。来週は恒例の農学祭あるやん?」 うちの大学には文化祭と並行して農学部単独の農学祭がある。研究室ごとにブースを出して、圃場で取れた野菜や花木を低価格で販売している。毎年、近所の人が大勢来る一大イベントだ。 「うちらは切り花販売あるし、お手伝いで三年生にも動員お願いするんやけど…」 「大丈夫です!任せてください!」 優柔不断で何事も即決出来なかったのに。今なら、石野さんの前だと少しカッコつけたくなる。もう僕に勝ち目などないけれど。悪あがきくらい、させてほしい。 「おっ、頼もしい!ほんならよろしくね」 石野さんにはフワリとした笑顔が似合うから、そのまま笑っていてほしいなと心から願った。自分の想いが叶わなくていいから、と。
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