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 それからしばらくの日々が過ぎた頃。  島の鉱脈をほぼ調べ尽くし、山あいに(かり)()まいして目指す鉱物を採掘し始めていたエミルエマルカスの元に、思いも寄らない(しら)せが届けられた。  水深儀が、人に傷を()わせた ─── との内容である。    簡潔だが重大な文面の手紙から血の気の引いた顔を上げると、山腹に穿(うが)った鉱窟(こうくつ)から(はじ)かれたかのような勢いでエミルエマルカスは走り出した。    ◇ 「 怪我人だと ? 」  工房に駆けつけるなり、(いく)つかの水深儀が並べられた整備(たく)へと歩み寄る。 「 怪我人が出たのか? 」 前触れなく現れた師の姿に目を丸くしている弟子たち全員を見渡して、職人は問い(ただ)した。 「 水深儀が人を傷つけたそうだが ‥‥‥ 一体、何が起きたのだ 」  髪を振り乱して嘆声(たんせい)を絞り出すエミルエマルカスの狼狽(ろうばい)ぶりに面食らった弟子の一人が、なだめるように両()を挙げてあらましを伝えた。 「 師よ、どうか御安心を。 起きたのはごく小さな事故で、念のためにお知らせしただけなのです。 水深儀が海に(もぐ)っていた漁師の腕を噛んだ、という程度の出来事で、傷はまったく軽いものでした 」 「 ‥‥‥ 人を噛んだか ‥‥‥ 水深儀が 」 「 採掘のお邪魔になるかと考えて短いお知らせに留めたのですが、言葉足らずでございました。 (かえ)ってご心配をおかけして、申し訳ありません 」  弟子によれば、どうやら漁師はすぐ近くに水深儀がいる事に気付かず、繋留(けいりゅう)(さく)に絡まった海藻を外そうとして海に入ったらしい。 その時たまたま口を開けていた大型水深儀に近付き過ぎてしまい、小さな水深儀が回収される際に、誤って自分の腕を挟まれたという事情のようだった。  説明を受けたエミルエマルカスは長々と息をついて少しづつ落ち着きを取り戻したが、悔恨(かいこん)の表情はなかなか緩まない。 「 たとえそうだとしても、事故は事故だ。 私の造った自律機械が、まさか人間に怪我をさせてしまうとは ─── 人の役に立つどころか、人に迷惑をかけてしまうとは 」  深く(うつむ)いてなおも自分を責めていた職人だったが、ふと我に返ると、再び弟子たちに向かって(せわ)しなく問いをたたみかける。 「 それで、怪我人の具合はどうなのだ。 今どうしている? 一口に軽い傷と言っても、場所や程度によっては暮らしに影響が出ることもあろう 」  このまま見舞いに行きそうな勢いだった。  困り顔の弟子一同が、さらに踏み込んだ話を始めようとしたところで外から聞こえて来たのは、何かが割れ砕ける音と喧嘩腰の物騒な大声である。 「 アテナイ人、アテナイ人 ! 人殺しのアテナイ人めが ! 俺はなあ、もうちっとで死ぬとこだったんだぞ ! あの人殺し機械を造りゃがった ア テ ナ イ 人 を 出 せ ! ! ぶ っ 飛 ば し て や る ! ! 」  窓の隙間から(のぞ)くと、泥酔した中年の大男が、肌脱ぎ姿で工房の表門に面する路地の中央を占めるように(にら)み立って、口汚く(わめ)いていた。  海仕事に従事する者に特有の結髪(けっぱつ)をしており、かなり葡萄(ぶどう)(しゅ)を飲んでいる様子だ。 辺り一面に散らばっている酒壺(さかつぼ)の破片を全部集めて復元すれば、どれだけ飲んだのか正確な量も判りそうだった。 「 あの男が被害者です、師よ。 もう丸一日近くあの調子で、角の酒場でひと壺を呑み干すと、この工房まで空になった酒壺を投げつけに来ます。 肘の辺りを噛まれて死にかけたと主張していますが、傷どころか打ち身の跡すらありませんよ ‥‥‥ 奴が左右どちらの肘を噛まれたか、お判りになりますか 」 「 わからんな。 だが元気そうで安心した 」  エミルエマルカスは微笑むと窓枠から身を引いた。  謝罪はもちろん必要だが、それは相手から酒気(しゅき)が抜けきるまで待った方が良さそうだ ‥‥‥ 。 「 あの怒りも、半分以上は別の理由なのです。 噛み付いた水深儀を振りほどいて自分の舟に逃げ戻った時に針袋が海に落ちて、漁で使う釣針を全て無くしてしまったとか。 ですがそれは、事故にうろたえた自分自身の失敗でしょう。 第一 ‥‥‥ 」  なおも眉を(ひそ)めて酔漢(すいかん)を批判しようとする弟子の肩を、職人は老成(ろうせい)した仕草でぽんぽんと叩いた。 「 いや、釣針の弁償はするべきだ。 その災難を招いた原因は水深儀にあるのだから ‥‥‥ 彼の葡萄酒代も私が出そう。 仕事の道具を無くしたら、働き盛りの男は酒を呑むしかない 」    そう(さと)してから一拍置いてエミルエマルカスは居並ぶ弟子たちを振り返り、決意ある声で宣言する。 「 事故が幸いにして小さなものだった事は、本当に何よりだ。 しかし、今回のような失敗は二度と起こしてはならない。 自律機械に、さらなる改良を(ほどこ)さなければ 」  その静かな声の響きは、理知によって外の喚き声を圧していた。
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