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 エミルエマルカスが得た第二の着想は、的確であった。  新しく試作された水深儀の開口部前方に何らかの障害物が存在する時、機械は先端を膨らませたイチジク状の検温(わん)を伸ばし、事前にその温かさを計測する。 そしてその物体がある程度「 温かい 」─── 人かもしれない ─── と判断した場合、水深儀は自身の動作を止めた。 検温腕内部に仕込まれた水銀が、熱の高低によって膨張・収縮する性質を用いた新たな安全装置である。  実用される中で数度の微調整を経た後に精度はより高まっていき、ついには水深儀が誤って人間に危害を及ぼす可能性はほとんど無くなった。      ◇ 「 ただしイルカやアシカに対しては、水深儀も無駄な遠慮をすることになろう。 ああいう動物は人のように温かいし、また好奇心の強い生き物だ。 遊び半分で水深儀に近付いて来たりすれば作業の妨げになるかもしれんが ‥‥‥ まあ人であろうがなかろうが、生き物を傷付ける事を避けられるなら悪い機能ではあるまい 」  厄介なひと仕事を終えた、という(てい)でエミルエマルカスは今回の改造を振り返る。 しかしその背後には、数人の弟子がやや無念そうな表情で集まっていた。  再び採掘へと向かうための荷造りを整えようとするエミルエマルカスの痩せた肩を見守る彼らの眉間(みけん)にはすでに抑えきれぬ怒りが浮かんでおり、穏やかに円熟しようとしている師匠の飄々(ひょうひょう)とした風情とは対照的だ。 「 それはそれとして、師が試行錯誤の末に成し遂げられた今回の仕事を愚弄(ぐろう)する(やから)の所業を許すわけにはいきません。 奴の ─── あの男の水深儀に向けた嫌がらせは、イルカやアシカどころか、巨鯨の大群が押し寄せるよりも(ひど)いものです 」 「 お許しをいただければ今すぐにでも、一発ぶん殴りに行って参りますが 」  職人は物騒に腕を(やく)する弟子たちへとゆっくり目を向け、次いで工房隣の修繕台に置かれて機能を停止している数個の水深儀を見やった。 それは本来であれば海中にあって港の安全のために忙しく働いているべき、最新の大型水深儀である。 外見こそ初期に作られた物とほぼ同じだが、どれも今回の改良によって機能面では大いに誇れる水準に到達していた。  今のところは、これが完成形だろう。  すなわち疲れを知らず力強く泳ぎ、観測専門の小型の仲間を円滑に回収・設置して “ 襲い波 ” に対する警報網を維持する、クライジャード島繁栄の要となる自律機械だ。  もっとも機械をどれだけ高性能にしても、人の悪意までを避ける方法は存在しないようだが …… エミルエマルカスは忍耐のため息を漏らした。  修繕台の上に乗っている大型水深儀の外殻には、数条の小さなヒビが入っている。 それは人の手 ─── 悪意 ─── による跡だった。 「 頑固者め! あの漁師、奴の馬鹿さ加減は度しがたいですよ! ただ一回の小さな怪我をずっと根に持ち、いつまでも水深儀に腹を立て続けているのですから 」  腕を噛まれたと騒いだあの漁師が水深儀に向ける怒りは、未だ収まってはいなかった。  海面近くの水深儀を漁師が(かい)で叩いたり、浜辺に戻って来たところに石を投げたりする姿は実際に何度か他の舟から見られていて、工房にもその噂は届いている。 「 我々が力づくで止めさせない限り、いずれあの漁師は全ての水深儀を壊してしまうでしょう。 あいつは島の敵です 」  弟子たちの悪罵(あくば)(せき)を切って収拾がつかなくなる前に、短く「 よせ 」とだけ制して職人は修繕台へと歩み寄る。  ヒビの具合を見る限り、全力でこの機械を害そうとする意図は(うかが)えなかった。 遠目に見た限りでは、漁師は筋肉質で大柄な男だ ─── もしも体格そのままの力で棒や櫂を叩きつければ、陶製の外殻しか持たない水深儀を壊すのは難しい事ではないはずである。  ということは、漁師も水深儀の恩恵は理解しているのだ。 完全に破壊しないのはその証左(しょうさ)だと言えた。 「 原因は誤解にある。 ひとりでに動く見慣れぬ球体が、自分の働く海に現れたのだ。 しかも一度は噛み付いてきた。 あの漁師が反感を持つ心情は良く分かる 」 「 ですが師よ ‥‥‥ 」 「 ただ待て。 水深儀が理解され、怒りの解けるその時を待つのだ 」  職人は旅支度を詰め終えている背負い袋を落ち着いて棚に戻すと、向きを変えて作業台の鉄筆立てへと手を伸ばした。 「 今回破損した部分は、金属の骨組みに粘土を被せて焼き締めることにしよう。 これは機械部分を含まぬ単純な改良になるな。 設計をしておくから、お前たちだけでやってみなさい 」  職人はアテナイ流の忍耐でそう命じると、後は弟子たちの不平に一切取り合わず無言で粘土板に水を染み入らせていった。
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