【 序 】

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   2 . 古誌    十一世紀に断片的な口承と回顧録が残された事で知られるアレキサンドリアの香料商エンシャーリ・ハルフは、自身が交易航海を続けたその長い生涯のうちで実に七回に及ぶ船の難破に見舞われたが、その災厄のひとつを口述した古文書の中に興味深い段落がある。  ハルフはある時、カッシーニ産のナツメヤシと黒香(シャジマ)茶を積んだ中型のジーベック帆船で西ティムール海岸をマラッカへと航海中に荒天に遭遇し、十日間の大しけと十日間の漂流を続けた後、厚い霧に包まれた謎の島に、ただ一人生き延びてたどり着いた。  熱帯産の樹木が茂る島の中央には非常に高い円柱状の巨大な一本の石塔がそびえ立ち、その表面は、広く世界を旅した商人のハルフでさえも見たことのない言葉の彫刻で(くま)なく覆われていたという。  水を求めて浜辺をさまよっていると、やがてハルフはその島で生きる一人の老人に出会った。  老人はアンクキュロス帝の時代に生まれた大昔のローマ帝国の市民で、若年(じゃくねん)の頃は漁師の見習いとしてアデン湾の南岸地方で生計を立てていた。 石塔の島にはハルフと同じような事情によって流れ着き、一人だけで生きるうち、すでに二百と数十年をこの地で過ごすことになった、と古い発音のラテン語を用いて身の上を明かした。  石塔に刻み込まれている文字について尋ねたハルフに、老人は「 あれはおそらく、何かの物語であろう 」 と答え、自分にもその意味するところの細部まではわからないが、塔の(かたわら)で眠ると、想像もした事のない世界と時代の一場面が石塔の力によって夢の中に現われる夜があるのだと語った。  やがて二人は力を合わせてハルフの帆船を修理すると、塔の壁から欠け落ちていた石のかけらをささやかな拾い土産としつつ、故郷を目指すため島を離れた。 神の加護によって、ハルフと老人はダッカ・イル・アーヒムの港からメサラグンドへ航海を続けるサラセン人の商船隊に救われて再び文明の築かれた世界へと戻る幸運に恵まれたが、ハルフと共に船に引き上げられた老人の運命はそこで(にわ)かに閉じられてしまう。  彼に訪れた死は突然で、かつ(いささ)か謎めいていた。 最上級の食事とラム酒を口にした途端に体調を崩し、そのまま眠るような安らかさで息を引き取ってしまったのだ。  生き証人を失ったハルフの語る体験談は、高齢の船大工でも学んだ経験を持たないほどに古いローマ時代の工法で修理された彼の難破船が朽ち果てるまでは人々の小さな注目を集めたが、他の船乗りたちが安酒の力を借りて次から次へと作り出す数多くの馬鹿げたホラ話に紛れていつしか世の喧噪に押し流され、やがて気にかける者もいないまま詳細が忘れられていった。  後にアレキサンドリアの庶務執行官(ラギシュメル)が扱ったセルジューク朝公文書の備忘録には、この事件から数十年経ってエンシャーリ・ハルフが死去した際に作製された財産分与の届け出一覧が完全な形で残されており、その中に「世に知られる言語のいずれでもない」文字が微細に彫り込まれた小さな石片が、故人の愛蔵し続けた重要な遺品として課税欄に記載されている。  その品が仮に、問題の島を去る際にハルフが持ち帰ったと言い残した、後に 「ハルフの石」 と呼ばれる事になる握り拳ほどの大きさの小石と同一の物体であるとすれば、それは当人の主張した通りに塔を組み上げていた岩石の一部であるのかもしれず、塔の実在を雄弁にものがたり裏付ける、唯一の証拠となる可能性がある。 この石はハルフ家の没落、戦乱、不自然な経緯による譲渡や盗難が繰り返される中で幾度となく所有者が変わり、現在では石の所在その他の情報は完全に失われているが、もしも再度発見されるような事になれば、間違いなく最重要の考古学的研究対象となるであろう。
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