【 15 】

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 二人へと迫るホオジロサメの進路に立ち塞がる形で、一直線に泳ぎ進む水深儀。  当然その前方に待つのは、鍛鉄の刃にも比すべき無数の歯が揃い並ぶ巨大な(あぎと)である。    ◇ 「 サメから俺たちを守ってくれたんだ。 息子だけじゃなしに、酷い仕打ちをしてきた俺のことまで 」  漁師は顔を覆って涙を隠した。 「 桟橋(さんばし)で息子を医術師に預けてから、俺はサメに噛まれてボロボロになった水深儀をここに運ぼうとして走った。 とにかく一刻も早く届けたくて ‥‥‥ 」    ◇  その後に海中で何がどのような具合に起こったのか、舟へと逃れる事に必死だった漁師父子(おやこ)には、背後で繰り広げられた死闘のはっきりした経緯が分からない。 「 水深儀がサメに噛みつかれた事は、水を伝わって来る音で分かった。 岩と岩がぶつかり合うみたいな、ガン、ガン、という音が響いたんだ。 手頃な獲物だと勘違いして水深儀に噛みついたサメが、口の中で何度もあの機械を噛み砕こうとしたんだと思う。 その間に俺は、夢中で息子を押し上げて舟に戻した。 息子はへばりかけた俺の事も引き上げてくれたが、俺たちが動けたのはそこまでで、後はどっちも血の巡りが収まって普通に息ができるようになるまで、しばらくの間は舟の中でぶっ倒れたまま体を起こせなかった。  それからだ。  やっと顔を起こして海を見ていると、サメが水面から宙に跳ね上がった。 何度もだ。 口から血を流してもがいていた。 サメ自身の血だ ‥‥‥ かなりの怪我をしているみたいだった。  最後に俺たちの舟にぶち当たりそうなほど近くで海から飛び出した後、赤い血の筋が遠くなって行った。  奴は逃げようとしていたんだ 」    ◇  でね、びっくりしてよく見たら、こんな風にね、と漁師の息子は自分の口端をつねってみせる。 「 あの機械が、サメにガブガブ噛みつき返していたんだ。 そしてね、最後にはサメを追い払っちゃったの! 」  エミルエマルカスは、さながら英雄による救出劇を語るような少年の興奮した口ぶりに小さく微笑んだ。 「 サメに襲われた人を助けたとは …… この自律機械は素晴らしい働きをしたんだな。 私も嬉しいよ 」  無残にひび割れ、正常に動けなくなるまでに歪んでしまった水深儀の表面を静かに撫でていく。 強力無比なサメの歯と顎がもたらした破壊は、その外殻だけではなく内部構造にも及んでいた。 これだけ壊れながら、よく噛み付き返せたものだ …… 「 …… 」  …… ガブガブ、か。  おそらく、その行動は偶然の賜物(たまもの)ではなかろうか …… 設計者の眼で冷静に見れば、第一の可能性は大型水深儀にあらかじめ与えられた主要な仕事のひとつ、小型水深儀を回収する動作だ。 サメに噛みつかれた折りに、取り込み済みの小さな仲間が体内からこぼれ出たのかもしれない。それを再度回収しようとして、結果的にサメと噛み合っているように「見えた」状況になったのであれば納得がいく。    ただ分からないのは、水深儀がサメのいる方向へと自ら泳いで行った事だ。もし本当に人間を守ろうとして …… 。 「 アテナイ人の先生! 」  ()きこんで尋ねてくる漁師の声が、職人の思考を中断する。   「 そ、そいつは直るかな。…… 直るだろ? 」 「 先生、その水深儀は僕たちを助けてくれたんだ 」  緻密に展開しかけた思索から離れ我に返ったエミルエマルカスが水深儀をのぞき込み、厳しい顔で装置各部の噛み合わせを試みる手の影を漁師父子は祈るように見守っている。  内部構造の歪みは、細かく見れば見るほど酷い有様(ありさま)だった。 単純な一撃による粉砕などとは異なり、巨大な挽臼(ひきうす)ですり潰されるように幾つもの方向から強い力が掛けられたようだ。    …… 壊れ過ぎている …… 。  損傷の度合いだけを見れば新しく作り直した方が早い、という事を職人としてのエミルエマルカスは既に直感していた。 「 …… 」  だが、この水深儀は今や命を救われた二人にとって無個性の自律機械ではなくなっている。 「 もちろん、 …… ああ、もちろん直るとも 」  決して廃棄するべきではない、特別な一体だ …… エミルエマルカスは水深儀と漁師父子の間に芽生えた絆に、そして何より人のために勇敢な行動を取ってみせた、物言わぬ自律機械の献身的な働きぶりに応えてやりたかった。 「 すぐに元通りになるだろう 」  そう請け合ってみせる職人の声に反応するかのように、修繕台の水深儀からは『大波なし』の小旗が弱々しくカタリ …… と起きかけたが、歯車同士の配列に生じた歪みのせいか、その動きは完了することなく途中で停止した。
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