【 20 】

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 そうやって進んだ穏やかな月日は、やがて十分な数の精錬された合金塊となった。 整理(かご)にずらりと載せ並べられた合金の重さが、職人の心づもりに達する日が来たのである。 「 これくらい揃えれば充分だろう 」  その言葉は、職人がこの地で()すべき事を終えたという意味を持っていた。 「 師よ、おめでとうございます …… 」  呟かれるように返される小さな声に一抹の寂しさが潜むのも仕方がない。 弟子たちは言うに及ばず、漁師親子や島の人々も明るい相槌(あいづち)を返すのが難しかった。 合金精錬の完遂は同時に、エミルエマルカスが島を去る時がいよいよ近付いたという事でもあるからだ。 「 人生は別れに満ちている。 いつか再び会う日も来るだろう 」  人々一人ひとりの肩を叩くたび、職人はそう言って相手を慰める。 「 それに、目当ての物を手に入れたからといって今日明日(あす)すぐに旅立つわけにもいかん。 私が山腹に掘り進めた鉱窟を塞ぎ直さんとな …… この島での仕事はまだ残っている 」    ◇  エミルエマルカスが山に穿(うが)った鉱窟を閉じるその日、クライジャード島の空は朝から快晴に恵まれた。  普段は一人で往復する山路を、その日に限っては大人数の縦列が(いただき)へと緩く連なる尾根のひとつを辿(たど)っている。 「 この山、けっこう高いじゃねえか ‥‥‥ 酔狂にも程があるぜ。 アテナイ人の先生は、よく毎日こんな荒れ路を歩き続けられたもんだなあ 」  ふうふう息を()いて山路を登りながらも、漁師の減らず口は今日も健在だ。  背には細めに切り削ったブナ板を、四つ束(くく)りにして担ぎ負っている。 それは作業の最後に穴の入り口を塞ぐために使う木材の大部分で、かなりの大荷物だった。 しかも空いた腕では後ろに続く息子の背嚢(はいのう)を曳いて、登りの足運びが辛くないように助けている。  口は悪いが、大変な荷運びを漁師は恩にも着せず一人でこなしていた。 根は誠実な漢なのだ。 「 まあ確かに、舟の帆を操るのに比べるときついな 」    エミルエマルカスは半ば感謝を込めて同意してみせたが、己れの言い回しが含む意味に遅ればせながら気付いた。 「 手伝ってもらえるのは実にありがたいよ。 しかしこんな朝から工房に顔を出しても良かったのかね? 」  普段は親子そろって、昼過ぎ頃までは海に漕ぎ出しているはずだ。 漁の方は心配ないのかと尋ねる職人に、漁師は素っ気なく「 海の方は ‥‥‥ いいんだ 」とだけ答えた。  木影を縫って進む一行には工房から共に出発した弟子たちと漁師親子だけではなく、エミルエマルカスと親しくしていた数人の島民も加わっている。 島に貢献してくれた職人への感謝に、最後の節目として手伝いを申し出てくれた賑やかな顔ぶれだ。  ついでに、山には似合わない同行者も一つ見つかった。 「 あっ、お前が入ってたのか 」  弟子の一人が肩掛け袋から水筒を取り出そうとして、袋の中でじたばたしている小型水深儀を見つけて呆れ声を出した。 バネの再充填を待つ順番のどこかで紛れ込んだらしい。 「 仕方ないなあ ‥‥‥ おとなしくしておけ、袋から落ちるなよ 」  たった一体の自律機械を戻すためだけに今さら工房に引き返すのも大袈裟だと考えて、弟子はそのまま肩掛け袋の口を閉じた。  小さな水深儀は、海とは異なる自分の知らない場所の景色を確認するように時々顔の半分を袋の隙間から出したり引っ込めたりしている。 体内の動力が弱まっているせいか、特に大きく動き回る心配もなさそうだ。    ◇ 「 し …… 師よ。 私たちはずいぶん高い所まで登るのですね 」  額に汗を浮かべた少々太り気味な弟子の一人が、荒い息と共に島の家並みを振り返った。 少し下がった地勢を占める荒浜と埠頭(ふとう)だけでなく、ずっと先に広がる遠海までが一望できる高さだ。 遠方に季節外れの雨雲が少しかかって水平線の一部を隠している他は、実に美しい見晴らしである。 「 自分なりの登り方で良い 」  職人は笑顔で気遣った。  無理に急いで鉱窟に着いても、待っているのは山登りよりも大変な力仕事だ。 そこでは役割を終えた鉱床を塞ぐ作業が控えているのである。  砕いた安山(あんざん)(がん)と石灰の粉末を水で溶いて良く練り込んだ液体を、鉱床とそこに至る洞窟内部に流した後で中の空間に土を詰め固める予定だった。 鉱脈や精錬した金属に毒性のない事は既に確認済みだが、それでも人が出入りできる程の大穴を山腹に開けたまま放置しておくのは気掛かりだ。  手間は掛かるだろうが幸い総勢で二十人近くの数が集まったので、休み休みに進めても作業は数日で終わるだろう ‥‥‥ とエミルエマルカスは内心で軽く目算した。  
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