【 23 】

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【 23 】

   クライジャード島近くの海中で火山が噴火を始めた ─── そう知るや否や登山を中止し、エミルエマルカスは山を下り始めた。そして急ぎ足で工房前の街道まで帰り着いたのだが、なぜか己れの本拠には一顧(いっこ)もする事なくそのまま道を進み続け、港に続く街路を抜けると、やがて海に突き出た埠頭(ふとう)脇の細い砂浜まで至った。  付き従う弟子たちのみならず、道を往くエミルエマルカスを見かけた大勢の人々は職人一行に駆け寄り集まると異口同音(いくどうおん)に尋ねてくる。 「 ああ先生! ア、アテナイの先生! あの遠くの煙は何なのだ、雨雲などではないようだが …… 」  問われれば、海の火山による噴煙だと隠さず答えるしかない。しかし職人はそれ以外の質問や、この先の見通しに関しては更に一層明瞭に ─── 気休めにもならない素っ気なさで ─── 「分からない」と返すだけだった。  ただ、通常とは異なる波が生じるのは確かだ。  海の中で噴火のような激しく爆発的な変化が起きるなら、それは人間には想像だにできない程の巨大な自然力で一気に海水を押し上げる事になる。 いったん通常の水位を超えて盛り上がった水は、やがて噴煙を中心に波の輪として周囲へと拡がって行くだろう。  水量によっては、大津波がやって来ても不思議ではない。  エミルエマルカス達を囲む人の数は見る見るうちに増えていくが、それも無理からぬ事だった。 皆、これからどうなるか知りたいのだ。 間もなく住人の全てが一人残らず溺れ死んでしまうかもしれないのである。  恐慌が島を覆いつつあった。 「 先生、あの噴火で高潮は来るのかね!? 島は大丈夫だろうか 」 「 分からない 」  空の煙は徐々に黒みを増していく。 あれがただの雲とは違う天変地異の前触れであろう事は、今や誰の目にも想像がついた。 押し寄せた群衆は彼方の水平線にたなびく煙塊(えんかい)に怯えた視線を向けて、不安のまま思い思いの見通しを口走る。 「 もし高波が来たら、こんな小島は …… 」 「 わしら皆、溺れ死ぬ事になるのかね。 波に流されてしまうのかね 」 「 どれ程の高潮が来るのだろう。 島は大丈夫だろうか 」 「 今すぐ逃げ出せば助かるのでは? 」 「 逃げるしかない、逃げるしかなかろう 」 「 いや、とても間に合うまい。 高波が進む勢いは舟脚よりもずっと速いものだ。 もしも逃げ場のない海原に出たところで波を被れば、例えフェニキアの大船であってもただでは済まぬ 」  見通しは暗いものだった。 最後は桟橋にわれる漁舟と群衆の数を見比べて、商人が暗い声で暗算してみせる。 「 それに、島の全員が充分に乗れるだけの舟数を今から用意するのはとても無理でしょうな。 島に留まって家と一緒に流されるか、海で沈む舟と一緒に溺れるか、どちらにしても …… 」 「 先生、どうしよう。 どうすれば良いのだ 」  ここで職人の言葉は少しだけ変化した。 「 まだ、分からない 」  エミルエマルカスは人々をかき分け、ようやく目的の場所にたどり着いていた。 漁師たちが使う網干し場だ。  潮止めの岩壁に掛け干されている漁網を片っ端から外し、次々と砂浜に拡げ始めてから少しして、発せられるその声には僅かな力が加わった。 「 多分これから分かるだろう 」  
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