【 26 】

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      エミルエマルカスが行おうとしている試みの意図を説明されてもなお、島の人々はしばらくの間その大多数が不得要領な表情を続けている。  積極的に動き出そうとする者も少なく、互いに顔を見交わすばかりだ。  何と言っても、これは全く前例のない一斉出船だった。それどころか、誰ひとり思いついた事すらない奇妙な共同作業でもある。  それが高波から助かるための方法として的を射ているとも思えず、むしろ少々迂遠(うえん)にも見えた。    漁をするわけでもないのに、海にただ網など投じて何になるというのか ‥‥‥ というのが正直な本音になるだろう。 しかもその無為な投網を、次々に場所を移して幾度も行なおうというのだ。 さらに付け加えるなら、エミルエマルカスはそれを島の漁舟、そして漁師を総動員した大がかりな規模でやろうとしている。    ◇ 「 うーん …… アテナイ人の先生よ、こんな事より高潮の心配をするべきなんじゃないのかね 」 「 皆で働くのなら、いっそ島の全員で土壁を少しでも高く盛った方が良いかもしれんのに 」  ‥‥‥ などと口に出かかった者も中にはいただろう。  しかし普段の人柄に似合わぬ断固とした意志を見せる職人の態度と、水深儀の造り手として島の暮らしを豊かに変えてみせた実績には無用な議論と好奇心を躊躇(ためら)わせる確かな説得力があった。 「 何が起ころうとしているかが分かれば、得られた知識に合わせて適度に恐れ、(はか)る事ができる。 ひとまず私を信じてほしい 」 「 う、うむ ‥‥‥ 」 「 まあ、島のためだってんなら ‥‥‥ やらん事もねえけどさ ‥‥‥ 」  漁師たちがぞろぞろと群衆の中から抜け出し、桟橋へ動き始める。やや自分の為すべき事に熱意を持てない歩み方である。  その点では、舟仕事に(たずさ)わっていない農夫や商人、女性や子供たちの方が漁師よりも割り切り方が明快で機敏だった。 彼らは配られた水深儀を網の目に休まず結びながら、遠目に知人や夫、父親を見つけては賑やかに叱咤(しった)し、けたたましく励ましては総がかりで舟へと追い立てる。 「 父さん気をつけてねー! 」 「 キリキリ動きなよアンタ! 子供とあたしが溺れたら、それ全部アンタのせいだから! 」 「 考えとらんで急がんか! 一刻を争うんじゃぞ! 」 「 わ、分かったって 」 「 誰も嫌だとは言ってないだろ 」 「 今やろうとしてた所だよ 」 「 俺だけはすぐ走ろうとしてたけどな 」 「 俺も 」 「 実は俺も 」 「 俺もなんだが 」    家族や顔見知りから飛んで来る声に急かされる形で、漁師たちはめいめいが走り出した。         
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