【 29 】

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    「 これは海の地図だ 」  エミルエマルカスは次々と積み上がっていく粘土板の山を示して、比喩的にそう表現した。  彼自身もまた鉄筆で書き込んだその一枚一枚には、網と一緒に沈んだ水深儀が持ち帰った海底の深さが丹念に記録されている。 そしてその横では、それら粘土板の数値に従って可能な限り正確に造形される、ちょっとした居間ほどもある大掛かりな粘土細工が浅い水槽の中で出来上がっていった。  そして、粘土表面の保護に塗られたキイソマツの油膜が固まるとすぐに周囲が水で満たされる。  そこには島に暮らす誰もが見慣れた三日月形の入江、地形に沿って傾斜を成すささやかな砂浜があり、続くその先には、深い角度で沈み込む沖合への岩棚が大小様々に重なりあう光景があった。  これをわざわざ「 島の精密な模型だ 」と念を押されるまでもなく、ひと目見た者は即座にその意味を直感した。  それはクライジャード島 ─── そして、今まで誰も知る事のなかったクライジャード島の、水底の姿である。    ◇ 「 では、水を流してくれ 」  エミルエマルカスの指示に応じて、模型の一方に用意された幾つかの水瓶が静かに傾けられると、粘土細工の一角は動きを見せて静かに水面を波立たせ始めた。 「 今こうして我々が見ている水の動きが、島の周りを通る普段の海流だ。 いくつか強弱の筋があるが、ほとんどは西から東に抜けて行く。 その辺りの流れ方については、実際に海に出ている漁師の皆の方がずっと詳しいだろう 」  模型を洗い流す水の行方を見つめる人々に、肯定の(うなず)きが広がった。 主に漁師や商人たちが声の中心になっている。 「 確かに ‥‥‥ こりゃあ、いつも舟から見てるのと同じ海の流れ方だぜ 」 「 潮はこういう場所を通ってから、俺たちの島まで流れて来てるってわけか 」  漁師たちだけでなく外海を往来する商船の水夫までもが、驚きを隠しきれずに低く声を漏らしてしまうのも無理はない。  島が形造る地勢の全体像は実に独特で、かつ異様であった。  
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