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【 1 】
そもそもの始まりは、島を訪れていた一人の旅人 ——— エミルエマルカスという名のアテナイ人の職工が、港に打ち寄せる “ 襲い波 ” の発生を観測するために作った一体の『水深儀(アクオデプディカ)』である。 それは半球状に焼き固めた陶製の外殻を、上下に二つ組み合わせて球状にしたヤシの実の二倍ほどの大きさの水中用自律機械で、姿勢を安定させるための小さなヒレを備え、錨を使って海底から繋留することが可能だった。
◇ ◇ ◇
“ 襲い波 ” とは、クライジャード島に特有の地形性・海流性の相因的海面現象で、天候や風によらず突如発生する非常に強い波の事をいう。
古来クライジャード島は肥沃な土地と水源、希少な鉱物を産出する豊かな地として知られたが、良港を持たないことが唯一の欠点であった。 島の周囲は険しく切り立っており、船が停泊できるのは、弓状に奥まった地形へと流れ至る河川が作り出した三角州か、その脇にできた小浜しかない。
しかし、島への接近と着岸はその不便さ以上に、危険を伴うものでもあった。
湾のすぐ外を通る海流が非常に特異だったのである。 その影響を受けて生み出される大波の力は時として船を横転させるほどに強く、しかも予測できない程に発生が不規則だったのだ。
全ての船が沈むわけではないにせよ、交易には非常に不利であった。 数隻に一隻は波の害を被るのである。 外界に持ち出せば高値がつく事の明らかな鉱物を掘り出しても、買い付けに訪れる者がないまま空しく山と積まれていくばかり。
そういった事情で、波を御する事は島の民衆と商人、船乗りたちに共通した、長年にわたる悲願となっている。
稀少な鉱物を採掘するための旅の中で島へと立ち寄り、その際に自身も波のもたらす危険に遭遇したエミルエマルカスは、浜に立って少し考えてから宿屋の自室に籠った。
数日後、その異国の男は大きな球体を抱えて部屋から歩み出てくるのだが、最初はそれが何なのか誰にも分からない。
「 職人さんよ、そりゃなんだい? 」
桟橋にたむろしていた船乗り達が面食らった顔で聞いてくる。
実を言うと、作ったエミルエマルカスにもその問いは難しかった。
「 ええと ‥‥‥ 」
しばらく口ごもってから、ようやく「 そうだな、うむ、こいつの事は ‥‥‥ ひとまず、水深儀とでも呼んでおこうか 」と、ちょっと雑に名付けてみる。
エミルエマルカスは流れの複雑な港の三角州と外波が打ち寄せる開湾部を結ぶ中間点に、浮き目盛りとして件の水深儀を備えつけた。
潮の状態を調べれば、厄介な波の到来を予期し、避ける助けになると考えての事である。
だが、この案はうまくいかなかった。
水深儀には二つの機能しかない。 自分が波間にあって、大きく揺れる時に「大波あり」という印を出すか、そうでない時に「大波なし」の印を出す事しかできないのである。
「 潮の流れというものは、私が予想した以上に複雑だ 」
エミルエマルカスはそう言って、さらに数個の水深儀を作り揃えた。
「 大波が『 ある 』 か 『 なし 』 か ——— という一点のみの知見では単純すぎたのだ。 機械の数を増やせば、判断の助けとなる材料もまた増えるだろう 」
機械一つひとつの変化はささやかではあったものの、水深儀の数が増えるうちに事態は少しづつ好転した。 大まかにだが、最初に大波を知らせた一体目の水深儀と、最後に作動した一体の位置と時間差を比較することで、波の来たり去る方向と速度が判るようになったのである。 港に出入りする船にとっては横波を受けない事が何よりも重要であったので、これで波に苦しめられる事はあっても、船の回頭さえ間に合えば最悪の事態だけは避けられるようになって、転覆する可能性が大いに減った。 島の人々は喜び、さらに多くの水深儀を作ってくれるようエミルエマルカスに求めた。
次いで、海面のみに限定されていた情報をより詳細なものとするために、海底と海中にも機械が沈められ、課題だった波の規模を、海中に起こるうねりの段階から知る手段も整えられた。 海面に配置された浮きと海中の水深儀を紐で繋ぎ、浮きの状態で波の有無を陸上の人間に滞りなく伝える仕組みである。 これにより大波の誤報は激減する事となって、実際の危険がない時にも警告を呼びかけて、いたずらに船の出入港を制限する無駄がなくなった。
こうして、長年の問題は解決するかと思われた。
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