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 往来が盛んになった交易によって、島は豊かになった。  島の人々は一層多くの水深儀(すいしんぎ)製造を、今までよりも高額の謝礼を用意して職人に依頼する。 「 気前の良いことだ 」  十分過ぎるほどに潤沢(じゅんたく)さを増した資金はエミルエマルカスを微笑(ほほえ)ませた。 と云っても、彼は富の獲得を喜んだわけではない。  職人として繁都(はんと)アテナイで暮らしていた若い頃に通り一遍の贅沢は(すで)に経験していたし、金持ちの勃興没落を目の当たりにした事も多かったので、金銭の(はかな)さは良く知っていた。 それに旅暮らしの分際で金持ちになってしまうのは、島を出た後の身の安全を考えると少々心配である。  エミルエマルカスの望みは、水深儀そのものに向けられていた。 資金の多寡を気にする事なく材料・素材を贅沢に(そろ)える事で、自分の作り出したこの自律機械の性能を限界まで上げてみるのも面白いかもしれないと、職人の気質が騒いだのである。    ◇  常に海面海中にあるため、時間が経つにつれて水深儀の内部に()びが生じるのはどうしても避け難い事だったが、職人は金属部分に黄金を鍍金(ときん)してその問題を解決してみせた。  細く削り出した鯨髭(くじらひげ)(すず)によって(りん)状に固め、粘土の骨組みにしてから焼き締める事で外殻の強度も増してみる。 多少の衝突でも割れにくくなり、頑丈ぶりは陶器とは思えないほどになった。  経済力が可能にした向上である。  中でも、バネの素材を鉄から金、亜鉛、銅などを溶かし混ぜた物へと代え、非常に劣化しにくく弾力にも富んだ合金に交換する試みは水深儀に飛躍的な能力の向上をもたらした。 彎曲(わんきょく)した状態のバネからでも動力を得られるようになったため、今まで球体の中央、文字通り心臓部に設置する必要があった真っ直ぐな円筒を、外殻の曲面に合わせて外側に配置する事が可能になったのである。 ヤシの実の倍近い大きさだった水深儀は、人の握り拳程度にまで小型化される事になった。    ◇ 「 おやおや 」  新しい水深儀が増えてだいぶ経った頃、点検のために回収させた大きく古い形態の水深儀を開けたエミルエマルカスは思わず顔をほころばせる。 この機械の受け持つ地点で波の計測力が突然二倍以上の精度に跳ね上がった事を(いぶか)しく思い調べてみる気になったのだが、その理由は意外なものだった。 大きな水深儀内部のわずかな隙間に、高い技術で作られた小さな新型が、まるで付け足された部品のようにちょこんと入り込んでいたのである。 「 二倍の能力を獲得したのではなく、二体がかりで同一地点の波を測っていたわけだ 」 「 なんだか、小型の奴がでかい方に食べられてしまったようにも見えますね 」  弟子になった島民の一人が応じてくるのに(うなず)いたエミルエマルカスは、外殻の接合部に指を置いて凹凸(おうとつ)を確認していく。  より扱いやすくなった水深儀は、今では二つの半球外殻を丈夫な蝶番(ちょうつがい)でつなぎ、二枚貝のように片側だけが開き、反対側は閉じたままの造りに改良されている。 それは一見すると巨大な口を連想させるようでもあったので、弟子の表現はなかなかに的を射たものだった。  程なくして、エミルエマルカスは原因を探り当てる。 近づけた蝋燭(ろうそく)の灯りが、数学的な造形を見せる外殻の内側の一部だけで不揃いな影を落としていた。 「 見よ、留め具の掛かり部分が少し欠け、殻の閉じ方が不安定になっている。 おそらく水中で一時的に口が開いてしまった折に、たまたま近くにあった新型が偶然内部の隙間に入ってしまったのだろう。 そのあとで再び殻が閉じた。 小さい方は波間に自分を留めるために泳ぐ必要がなくなったので、自分の持つ動力の全てを潮流計測に振り分けるようになったのだ 」  エミルエマルカスは少し考え込んだ後、「 これは確かに故障だ。 そして、予期せぬ事故でもある。 だが ‥‥‥ 」 と誰にともなく呟きながら手近な粘土図版に手を伸ばすと水をかけ、ヘラで丁寧に(なら)し始めていく。 「 そうだ、水深儀の(すべ)てが同じ機能、同じ役割である必要はないのだ。 もしもそれぞれが独自に特化した目的を果たし、その効果が今までよりも秀れたものであるなら ‥‥‥ 」  光を帯びた職人の両眼が、向かう視線の先から何かを見出そうとでもするかのように虚空へと定められた。 「 古い水深儀には、今までとは別の仕事を与えられるかもしれぬ 」  新たな計算と設計が始まるのだ ——— そう察した弟子は(あわ)てて目につく限りの鉄筆(てっぴつ)を師のために集め(たば)ねて作業台に並べ、さらにより多くの粘土板を取り出しておくために、機敏な足取りで倉庫へと向かった。
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