【 序 】

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【 序 】

   1 . 伝承  石の塔。  それは、絶海にただ一点の孤影を落とす小さな島の中央で、信じ(がた)いほどの高さにまでそびえ立つ石の塔だという。  時として、船の遭難から九死に一生を得て帰還した航海者が、自らが漂流する日々の中でそんな奇怪な建造物を見たと怖ろしげに口にすることがあった。  その塔は大海のどこか、海図にもない未知の島の深奥(しんおう)にあって、幻のようにただ静かに立っている、と。  それを建てたのが何者なのか、塔がいつの時代に姿を現したのかは誰にもわからない。 少なくとも、我々の先人が波濤(はとう)の彼方へと乗り出すようになった時代より遥かに以前から、いくつもの国の船乗りたちがこの話を語り伝えてきた事だけは確かだ。  伝説はおおむね、以下のようなものとなる。  突然の暴風と無慈悲な海流にもてあそばれた沈みかけの船が、破滅から逃れて幸運にも、あるいは不幸にも、そして望むと望まざるとに関わらず、ただ為す術もなく、霧に隠された名も無い島へと漂い着く。  島には穏やかな起伏の浜辺と森が広がるだけで、人の気配が全くない。 森の中心に一点開ける草地に巨大な円柱型の石塔が残る他は、かつて人間が生活を営んだよすがとしての街や集落の痕跡もない。  塔は実に四分の一リーグ ( 原注 1 ) にも達する驚くべき高さで、基底部の構造はそれ全体を一周するのに歩いて十分は要するというから、察するにヒューレット・カナン城の正門広場に設けられた儀丈(ぎじょう)用馬車の廻し場ほどの広さを有するであろう。  円柱の曲面は窓ひとつない外壁をひたすら上方へと伸ばし、空に突き刺さるが(ごと)く、堅固に塔を支え続けている。  塔は、気の遠くなるような数の岩石を用いた高度の技術を(うかが)わせる複雑な積み上げと、それを可能とする大小さまざまの切り口による緻密(ちみつ)極まりない断面の噛み合わせから成っている。  それらの岩々すべての表面に、言い伝えの一部を信ずるならば表面のみならず、重ね合わされて見る事のかなわない裏や底の部分全面にわたって、何者にも読むことのできない奇妙な文字がびっしりと刻み込まれている。 その文字数はあまりにも膨大であり、全てを読み終えるためには人の一生を十二回繰り返したとしてもなお十分ではない。  塔には何が書かれているのか。 塔は何なのか。  最初に文字に残る形で紀元前にこの伝説に触れたシラクサの賢者アキリオプレテスは、そもそも島も塔も存在せず、一切が死線をさまよううちに海上で垣間見た白日夢による、漂流者たちの幻覚か()()()()に過ぎないと断じた。  その数百年後、西アドリゴの哲学者カファダナンは石塔の建立(こんりゅう)目的を、悪徳によって滅びた古王国の記念碑、または断罪架とするためだったのではないかと推測した。  さらに時代が下ってローマ帝国の最盛期には、ファビオの歴史家ピアローが塔の文字の内容を、邪神を信ずる者どもの教典であろうと論じて、塔の探索や塔への興味を持つこと自体が神の恵みから離れて悪魔を求める行為になるだろうと警告した。  しかし、それらの言説には有力な物証や根拠が無かったため、どれもつまるところ旅行者からの伝聞に基づいた個人的な憶測でしかなく、いずれの見解に対しても、それに納得し賛同する人々の数は時代を問わず非常に少なかった。           ( 原注 1 : 四分の一リーグ ‥‥‥ ここ            では約 330 メートル )
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