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リカードはつるんとキレイな卵型のつぼみを見て満足そうに微笑んだ。
もうすぐ、花開く。大切に育ててきたこの花を、あの人に捧げるのだ。
寒い冬を越えて春に彩を散りばめる花――チューリップ。
華やかなピンク色のそれを愛おしげに指先で軽く撫でた後、花壇に少しだけ水を撒いた。
*
ことの始まりは、去年の秋。山々が赤に黄色に橙に色づき、斜面に積もる落ち葉の厚みが増す頃。
春の国と呼ばれる温暖なフリューレンス王国にも、季節がめぐるとともに寒さはやってくる。冷たくなり始めた風に首をすくめながら朝市で買い物をしたリカードは、任務地であるペスカ・ワッフェル城砦へと続く道を歩いていた。城砦といっても大した規模ではなく、監視用の砦がちょっと豪華になったくらい……程度のものだが、かつて戦争をしていたヴィッターリス王国との国境の様子を見守るのに、これほど適した立地もなかった。広大な森に埋もれて国境そのものはあやふやだが、その森を見下ろす高台に城砦は建っている。
その城砦に駐留するのが、フリューレンス王国西方軍第三大隊第一歩兵隊――百名程度の小さな歩兵集団――であり、その部隊の指揮官がリカード・ミリノフ・マクラウド大尉という、ぼんやりとした男だった。
リカードの年齢は十八歳。いちおう男爵家の三男坊で、育ちの良さそうなおっとりとした表情と、くせのある黒い髪と、光の加減で紫色に見える深い色の瞳を持っている。いちおうというのは、この男爵家の台所が火の車であり、リカードはなかば日々の糧を得るために……要するに食うために軍人になった。爵位も低く、三男という立場は次期男爵の地位から遠いため、リカードが貴族の家柄であることを取り立てて覚えている人間は少ない。また、彼の所属する西方軍じたいが「ビンボー連隊」などと呼ばれていて、名だたる貴族やその子弟が率いるエリート東方軍とは、人々の見る目に大きな差があった。また、城砦駐屯軍の司令官という役職を帯びてはいるものの、この駐屯軍の任務が国境の監視と城砦の補修作業に尽きるので、要するにリカードは、貴族の格式やら軍隊の重責やらとは縁遠い毎日を送っているのだった。
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