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異形の森にとらわれし姫
旧校舎の暗がりに足を踏みいれたわたしが最初に感じたのは、複数の息遣いと濃密な敵意だった。
この建物のどこかに先生がいる、そう確信したわたしは周囲を警戒しつつ、通路を奥へと進んでいった。それにしても檻から解き放たれた者たちは、この旧校舎のどこに集まり、何をしているのだろう。
――片っ端から覗いてみるしかないか。
わたしは通路の中ほどで足を止め、手近な扉に歩み寄った。しばらく耳に神経を集中させたが、なんの物音も聞こえてこなかった。わたしが諦めて再び奥へと進もうとした、その時だった。
背後で脚を引きずるような音がして、生臭い匂いが鼻先を掠めた。振り返ったわたしの目が捉えたのは、長い腕をだらりと下げ、盛り上がった肉の間から黄色い目をこちらに向けている人間のような「なにか」だった。
「……んおおおお」
人間のような「なにか」は、わたしが身構えると言葉とも唸りともつかぬ音を喉の奥から発した。わたしは相手を刺激せぬよう、音を立てずゆっくりと後ずさり始めた。
「……んおおおお」
ふいに背後で同じ唸り声が聞こえ、振り向くと異様に長い首を持った女性らしきシルエットの「なにか」が感情のない目でわたしを見つめていた。
まずい、なんとか事を荒立てずに遠ざけられないものか。わたしが追い払うための手段を模索しているとすぐ傍のドアが開き、「中に入って」という声が聞こえた。
躊躇しながらも飛び込むと、暗い室内で身を寄せ合うようにしてうずくまっている複数の人影が見えた。
「今、鍵をかけるからしばらくの間、ここにいなさい」
わたしにそう声をかけたのは、ぼろぼろの服をまとった年配の男性だった。
「あなたは……?」
「元、『王虎塾』の研究者で蔵内といいます。この旧校舎に足を踏み入れてはいけません」
「……どういうこと?」
「ここは十年前から続いている『特殊万能細胞』の不適合者の棲み家なのです。どなたか存じませんが、ここの住人の姿を見てしまった以上、外の世界に戻るのは諦めた方がいい」
蔵内の語るおぞましい事実に身震いしつつ、わたしは「諦めません」と頭を振った。
「わたしには助け出したい人がいます。その人を無事に救出するまで、決してあきらめません。……それに、わたしも本来ならここにいたかもしれない人間なんです」
「……というと?」
「わたしはこの十年、特殊万能細胞と共存しながら生きてきました」
わたしが自身の秘密を告げると、蔵内は大きく目を見開き「まさか……」と言った。
「わたしにとってここの人たちに起こった出来事は、他人事ではないのです」
「じゃあ、あなたが『青髭』の娘……」
「わたしのことを知っているんですね。そう、わたしは『天狼女学院』の工作員です」
わたしの答えに蔵内は絶句し、「あなたはご自分が『王虎塾』にとって最も危険な人物だと、おわかりですか?自覚があったら敵だらけのこんな場所へは来ないはず」と言った。
「わかっています。でもこなければ先へは進めない。これはわたしの戦いでもあるんです」
わたしがきっぱりと言い放つと、蔵内は深いため息を漏らした。
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