序章

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序章

   どこかで、車の停まる音がした。  浅いまどろみから引き戻されたわたしは、お気に入りのぬいぐるみ『うーちゃん』から身体を放すと、ベッドを降りて窓から外を見た。  家の前に停まっていたのは黒塗りのずんぐりした車で、中からやはり黒っぽい服に身を包んだ男の人たちがぞろぞろと降りてきた。  ――いいこと、モモちゃん、私たちが留守の時、誰か知らない人が来ても絶対、家に上げちゃだめよ。もし勝手に入ってこようとする人がいたら、裏口から逃げて。約束よ。  下の方でドアをガチャガチャ鳴らす音が聞こえ、頭の中に母の言いつけがわあん、と緊急警報のように鳴り響いた。  ――どうしよう。……逃げなきゃ! わたしは窓から離れると、部屋を出て階段を駆けおりた。居間に飛びこむと、ドアの向こうに人の足音が聞こえた。  ――あの黒い人たち……上がってきたんだ!  もう逃げている余裕はなさそうだった。わたしは周りを見回し、とっさに脱衣所へと駆けこんだ。だが、脱衣所の窓は子供のわたしには高すぎて、出られそうになかった。わたしは浴室の扉を開けると、空の浴槽に膝を抱えてうずくまった。  ――お願い、気づかないで。 わたしは目を固く閉じ、息を殺して男たちの足音が遠ざかることを祈った。 だが、わたしの祈りもむなしく、脱衣所のドアが開く音がして、足音の一つが荒々しくわたしのいる浴室に近づいてきた。  ――お願い、お願い、お願い――  目を閉じ、相手が去ることだけを祈っていたわたしの耳に、近くの扉が開け放たれる音と共に押し殺した声が聞こえた。  ――ここにいたか。  相手の「いたぞ!」という声がわたしの心臓に突き刺さり、気がつくとわたしは黒い服の集団に無理やり浴槽から引きずり出されていた。    ――お嬢ちゃん、申し訳ないがこれから我々と一緒に来てもらう。  わたしは手足をちぎれんばかりにばたつかせ、抵抗の意を示した。だが、男たちはわたしの口に甘ったるい匂いのする布を押し当てると、わたしを抱きかかえたまま力ずくで家の外に運んでいった。  黒い車のシートに横たえられた時、わたしは半分、闇に沈みかけていた。男たちがどこかに報告をする声が聞こえ、父と母の名が二、三度繰り返された。  ――もう駄目だ、お父さん、お母さんとももう会えないんだ……  絶望の中で、車のエンジンをかける音だけが死の宣告のように不吉に鳴り響いていた。
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