見舞い

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 消毒薬の匂いに包まれて、そいつは寝ていた。  病室の入り口脇で、俺はぼんやりベッドに横たわる男を眺めていた。病室は殺風景なものだと思っていたが、彼の周りにはたくさんの機械が設置されている。いくつもの管が伸び、それらは全て彼に繋がっていた。その数が事の深刻さを表している。一定のリズムで鳴る電子音は彼の生きている証の音だろう。機械の音量はどれも変わりはない筈なのに、ひどく弱々しく聞こえた。  ベッドの傍らには泣きじゃくる女性。 そうだ、この男には長く付き合う彼女がいた。彼女は祈るように男の手を両手で握りしめている。男の指先は擦り傷だらけだった。頭も、管の伸びる首元も、包帯が巻かれている。救急車で運ばれた時は、さぞ出血が酷かっただろう。 「どんな様子だい?」  俺の後ろから来たやつが、心配そうに訪ねてきた。俺は黙って首を振る。この病院に運ばれてから、ベッドの男が瞼を開けたことはない。 「……ずっとこの状態だ。もうダメかもしれないな」  ベッドの男には申し訳ないが、そばにいる彼女に聞こえないように小声で話した。 「そうか……だいぶ顔色も悪くなってきているからな」  そいつも、俺の言葉に心底悲しそうに同意した。 「あまり長くここに居ても申し訳ないから、そろそろ行こう」  そう友人が俺に言った時、機械の電子音が狂い始めた。 「おい、様子がおかしいぞ」  彼女が慌ててナースコールを押す。沢山のチューブで繋がれた彼の手を再び固く握りしめ、名前を叫び始めた。  突然の容体の悪化に、友人も慌てる。 「おい! 早くここを出よう! 早く行こう!」  突然の雰囲気に俺もパニックになって、どうして良いか分からなくなる。出て行った方がいいのだろうけれど、まだ男のそばに居たい気もする。  決断できないまま、俺の手を引く友人を振り返り、初めて気づいた。 「お前は、誰だ……?」  それまで友人だと思っていた隣の男が、誰なのか思い出せない。男は表情のない真っ黒な空洞の瞳で、男の声なのか、女の声なのか、高いのか低いのか分からない、無感情の声で俺に言った。 「早くいこうハヤクいこう早くイコウ早くいこうハやクいこうハヤくイコう早くいこうはやく逝こう早く早くはやくハやく早くハヤく早く早くハヤク」  そうだ、思い出した。ベッドの男は、俺だ。  3日前の大雨の日。俺は大型車の煽りを受けてバイクごと転倒したんだ。  泣きながら俺の名を呼ぶ彼女。その指にはあげたばかりの指輪が光っている。  俺の腕を引く男はもはや人の形は為していない。真っ黒の影になり、病室から出ていかない俺の体に煙のようにまとわりついてくる。  強い力で引っ張られる。  だけど、だけど俺は。 「……嫌だ! 俺は、まだ行かない!」  俺は力の限り叫んだ。
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