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昼は清隆のつくった弁当を食べた。花田とゆきなに捕まり、二人があれこれ話しているのを聞きながら黙々と食べて、ときどき話を振られるとゆきなには相槌を打った。花田には、さっきのことがあるので素っ気なくした。  クラスメイトと教室で食事をするなんて、奏にとっては初めての経験だった。横浜の学校には学食があって、一匹狼の奏はいつも隅で一人食事をしていたから。  放課後になると、クラスメイトはみなそれぞれの目的のために散り散りになった。部活へいく者もいれば、これから電車で街へいこうと話しあう者もいた。帰る気ゼロで教室の隅に溜まってスマホをいじる女子グループも。 「花ちゃん、遠野くん、また明日ね」  ゆきなはバドミントン部に所属しているらしく、ラケットバッグを持った女子数人とともに消えていった。  結局、今日会話をしたのは花田とゆきなの二人だけだ。まあ最小限でいい。どうせあと一年も通わない学校で、交友関係を余計に築くつもりはない。  前の席では、花田がまた背もたれを抱いてにこにこ顔で奏を見ている。 「あんたはいかないのか」 「え、どこに?」 「部活だ」 「俺帰宅部だぜ」  当然のように言ってのける花田に、奏はぱちぱちと瞬きをする。 「……意外だ」 「部活入ってそうに見えんの?」 「運動部に見える。野球とか」 「お、当たり。中二までは野球部だったよ」  なぜ区切りのいい中三まで続けなかったのか気になったが、花田のことを知りたがっていると思われるのは癪なので黙っていた。 「よし、俺らもいくか」  花田が立ち上がる。 「帰ろうぜ」 「あんたと二人で?」 「なんか嫌そうじゃん」 「だって、嫌だ」  昼休みはゆきながいたから、二人が話しているのをぼんやり聞いているだけで済んだ。でも、花田と二人きりでは何を話していいかわからない。 「嫌って、ストレートすぎかよ。奏は素直だなあ。ほら、帰ろ」  花田は言うと、奏の机の横から通学鞄を勝手に取って持っていってしまった。 「おい」  すぐさまあとを追いかけ、結局二人で教室を離れた。廊下でほい、と投げ渡された鞄を、奏は危うく落としかけながらキャッチする。花田に笑われ、奏はじとっと半眼で睨んだ。  奏はローファーに、花田はスニーカーに履き替えて校舎を出ると、校庭では野球部が集団でランニングをしていた。なにげない放課後の光景を、花田は歩きながらずっと眺めている。まるでずっとずっと遠いものを見るみたいに瞳をすがめて。 「どうした」  花田ははっとして、やっと奏に気のいい笑顔を見せた。 「なんでもない。奏の制服オシャレだよな。私立だろ、それ。横浜っつってたっけ」 「ああ」 「そんな都会から田舎にきたら不便だろ」 「どうだろうな。まだわからない」  暑くも寒くもない、過ごしやすい五月の風がそよぐ。駐輪場へ花田の自転車を取りに寄った。それに乗ってさっさと帰ればいいものを、花田は奏と帰るからと、手で押しながら隣で歩いていた。  「またな、花田」「花田くんじゃあね」「花田先輩、さよなら」――。下校中、花田に声をかける生徒はたくさんいた。おそらく花田は人気者だ。  伯父の家がある住宅街までは長い一本道が続く。ガードレールに沿って用水路が走っていて、その向こう側はもう田畑だ。田植えが終わったばかりの控えめな苗が均等にびっしりと並んでいる。  車の交通量はごくわずかで、花田はふざけて道路の真ん中を歩いたりしていた。そんな悪さを奏はしたことがないので、おとなしく隅を歩いた。 「なーあー、かなでー」  奏より何歩も先で花田は、車線上でカラカラと自転車を押している。暑いからと脱いだ学ランを前カゴに突っ込んで、Yシャツの腕は肘まで捲っていた。 「なんだ」 「人気のパイ屋さんが横浜にあるって、前にテレビで観た。食ったことある?」 「赤レンガ倉庫の店なら、一度いったな」 「倉庫!? 倉庫なのにそんな洒落た店があんのか! すげーな、横浜」 「……お前、バカだろう」 「えっ。ひどいな急に」  振り向いた花田は苦笑いだったが、奏の顔を見るなり足をとめ、嬉しそうに頬を緩めた。 「奏が笑ってる」 「……! 笑ってない」 「笑ってたよ」 「笑ってない!」  必死に否定した。でも――笑っていたかもしれない。花田があんまり馬鹿なことを言うので、楽しくなってしまったのだ。  花田はにやつきながら、また前を向いて歩き出す。 「俺、奏好きだなあ。おもしろい」  しみじみ言う声が聞こえて、ただでさえほてった頰がかっと熱を上げる。からかわれているみたいで恥ずかしかった。  花田はきっと人たらしだ。彼が人気者な理由がよくわかる。  さらっとした軽い風が熱い頰を撫でる。奏の数歩先で、花田のYシャツのうしろ側が風になびいた。  歩きながら、頭の中で花田の言葉を反芻した。  ――俺、奏好きだなあ。  好きという言葉は、そんな風に何げなく使っていいものだったのか。  消えていった初恋の男に、そういえば一度でも好きだと伝えただろうか。思い出を一ページずつさかのぼっても、その言葉はどこにも見当たらなかった。
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