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それなのに───
「今日はありがとうございました。
とても楽しかったです」
「お、俺も楽しかったよ…ありがとう」
ニコリと綺麗な笑みを浮かべる彼女に、サーッと全身の血の気が引いていくのがわかった。
何故なら俺は今から、彼女に支払いを頼まなければならないのだ。
どうする、全て正直に話すか?
せめて好感度を下げない言い訳を───
心拍数が上がり、嫌な汗が背中を流れていたのだが、先に口を開いたのは彼女だった。
「それでは、支払いは私がしますね」
「え…」
何とも間抜けない声が出た。
彼女は当たり前のように伝票を手にしたのだ。
「いや、どうして君が…」
「素敵なお店を予約してくださったんです。
ここは私が支払うべきです」
彼女が聖女に見えた。
心が綺麗で欲のない彼女は、俺以上にカッコいい人間だ。
本来ならば粘るべきだが、ここは折れることにする。
今日は諦めてまた今度出直そう。
そのため彼女と別れようと思った。
「今日は本当にありがとう。
また今度、俺と会ってくれたら嬉しい」
「あ、あの…これで、終わりなんですか?」
だが彼女は少し言いにくそうに口を開く。
その手は俺の袖を掴んでいた。
「良かったら私の家に来ませんか?まだ飲み足りないというか、何というか…まだ別れたくなくて」
きっと余裕があれば、今すぐホテルに連れ込んでいたことだろう。
しかし余裕がない今、財布のことで脳内を占めていた俺。
「その、タクシー代も払うんで良かったら!」
「いや、それはさすがに…」
「嫌ですか…?」
ここで上目遣いは心臓にキテしまう。
しかし俺は今から財布探しの旅に出なければならない。
「また今度、君の家にあがらせてもらって良いかな」
「そ、そうですよね。
ごめんなさい、変なことを言ってしまって」
違うんだ、嫌で断ったわけではない。
それなのに勘違いした彼女は、恥ずかしそうに頬を赤く染め、今にも泣き出しそうだ。
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