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ニーチェとの出会い
「ニーチェとの出会い」
1章 家出
高校卒業と同時に家出をし、愛知県にいる中
学時代の友人のところに転がり込んだ。
二,三日後だったか、父親が探し当てて来て、びんたを張られた。
東京にいる長兄のところに連れて行かれた。
話し合った末、長兄が.入隊している陸上自衛隊に入ることになった。
神奈川県の横須賀にあった。そこもどうしようもない連中の吹き溜まりで、三ヶ月で除隊し、沖縄に戻った。
2章 生命の飛翔
浪人の身分だったが、ほとんど日雇いのバイトとパチンコで時間をつぶしていた。
お勉強は夜の十二時から翌朝の五時くらいまで、一週間に三日程やったかどうか。
浪人生活は灰色である。しまいに、神経が衰弱し、頭がおかしくなってくる。
人間というものが、ある社会の集団に属して、いかに飼いならされて生きているということを痛感した。
浪人は、社会の隙間に取り残されたような存在、ブラックホールに落ち込んだ天体のようなものだ。
社会から遮断された無限に広がる孤独な暗闇の中で、時間の経過も実感できず、白夜のような渦が、その穴の淵の辺りでぐるぐる回っている。
おそらく、それが時間だということが、おぼろげに感じられる日々の繰り返しだ。
ある日、朝から寝て、夕方に目を覚まし、外を見たとき、夕映えが異次元の世界のように感じられた。着替えて、国際通りをぶらつき始めた。
私のアパートは、当時、安里にあり、国際通りには、気分転換によく出かけた。
ある書店の前に来たとき、すっと引き込まれた。
高ニの倫理の教科書に載っていたニーチェという哲学者を思い出した。
私の記憶では、彼は「生命の高揚」を説いていたような気がした。それにある種の救いを求めた。
代表作「ツァラトストラかく語りき」の単行本を買って、一晩かけて読んだ。
何かに救われたような気がした。
追い詰められた魂の叫びが、その本に書かれているものに、何かを感じ取ったのか。
そのように解釈したのかも知れない。
生命力の飛翔、爆発、歓喜が健全な精神を回復する。
そういう瞬間が存在する。 我々の魂、精神、生命にはそのような機能が存在する。
その瞬間を想像せよ!
希望を持て!その想いが生命力を活性化させる!
その本に「生存への強烈な本能」を嗅ぎ取った。
それは、おそらく、現在、いろいろな解説本を読んで初めて知った、
「力への意思」という言葉が意味するものを自分なりに解釈したと思われる。
そのとき以来、私はニーチェ教徒になった。
(平成31年1月21日、公開)
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