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偶然にも二人とも馴染みだったラーメン店を出ると、夜の冷たくも澄んだ空気が頬をかすめた。
あんなにも空腹だったお腹が満たされ、満足感を覚えながら、私と上重さんの足は自然と最寄り駅へと進んで行く。
「あ、ここの焼き鳥屋さん。定番のねぎまは勿論なんですが、濃厚卵黄につけて食べるつくね串もすごく美味しいんです!」
「いいねー。俺、まだその店は入ったことないな。あの通りの向かいにある海鮮居酒屋は常連だけど」
「おすすめメニュー、ありますか?」
「うん、あるよ。とっておきの、常連限定の裏メニューが」
「むっ、常連さん限定ですか。気になるけど、どれだけ通えば……」
「そんな眉間に皺寄せて悩まなくても、今度連れて来てあげるよ。その代わり、俺があの焼き鳥屋入る時は付き合ってね」
「はい、ありがとうございます!」
通りにある小さくも賑やかで明るい店が連なる道を歩きながら、互いにおすすめの店を紹介したり、会社近くの安くて美味しいランチの店の情報も交換し合う。
気軽に入れる店もあれば、中には一人では少し入り辛いお店も情報には含まれていたけど、その時は自然とどちらともなく『一緒に行こう』という話が上がり、気付けば両手では数えきれないほどに“一緒に行く店の名前”が上がっていた。
それは不思議な感覚で――だけど、とても心地が良くて、心が弾んでいた。
「……ところで、綾ちゃんはもう帰るの?」
「へ?」
「駅。目の前にあるけど」
話に夢中で気付かなかったが、今自分たちが最寄り駅のすぐ近く――十数メートル先には駅の東口があることに気づき、足を止める。
私の借りているアパートは、この駅から五駅先にあった。時間的にまだ電車はあるし、すぐに帰って休むことは出来る。
普段なら、ここでお礼を述べて別れるのが、適度な距離のある人との付き合い方なのだろう。
だけど……。
「上重さんは、どうするんですか?」
足はその場を動くことなく、質問に質問で返してしまった。
私の反応に質問で返された彼は少しの間考える仕草をして、はっきりと答えを返した。
「――帰るよ。明日も仕事だからさ」
迷いのない上重さんの言葉に、少しだけ胸が締め付けられた気がした。
だけど彼の言っていることになんの異常もなく、ただ社会人として当たり前のことを言っている。
頭では分かっていても、何故か作りたい笑顔が引きつってしまう。
「そう、ですよね……」
「うん。ただ――」
そう言いながら、上重さんはロングコートのポケットに手を伸ばし、ある物を取り出して見せた。
「偶然にも、昨日で定期切れちゃったから今日は徒歩で帰宅……だけどね」
取り出された定期入れに入ったカードは、手の動きに合わせて左右に振られる。
不敵に――というには幼く、まるで悪戯を仕掛けた子供の様に笑った上重さんを、やはり年上として接することは難しいと思えて、私は笑った。
偶然という彼の言葉は、どこか作意があるように見えてしまう。
――帰り際、部署が違うのに同じフロアで出会ったあの時のように。
「改めて。綾ちゃんはどうするの?」
「私は、そうですね……」
まるで上重さんに倣うように鞄から定期入れを出してみるも、そこに入っているのはまだ有効期限が続く電車の定期カード。
目視したカードの日付を確認し、私は――ソッと鞄にそれを戻した。
「上重さんにラーメンを奢ってもらうほどにお金がないんです。当然、歩いて帰りますよ!」
定期があるじゃないか。
そう上重さんに指摘されてしまえばそこまでだったけど、彼は深くは追及せずに、ただ「そっか」と笑った。
「それじゃあ、夜道は危険だから家まで送るよ。――腹ごなしの散歩には、ちょうどいいかもね」
「ですね。では、一緒に行きましょう」
互いに何かを察しているけど、それは追及しない。
ただ『お金がない』と言い張って、一緒にいられる時間を長くする。
お金がないからジュースが買えなかった。
その偶然の出会いに連なるように、『お金がないから』を合言葉に、私たちは共有する時間と幸せを増やしていった……――。
<完>
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