料理人の本棚

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1  実家からの電話に、信楽美也子はため息を一つ挟んでから画面に触れた。わざと無愛想な声を出しても母親はまるで堪えない。 「どうなの、最近」  実家を出てからの四年間、一ヶ月に一度は訊かれる話題だ。それに対する美也子の返事も、 「いつも通り」  判で押したように変わりの無いものだった。  今年の春頃までなら、あとは当たり障りのない話を適当にすれば電話を切ることができたが、最近は一筋縄ではいかなくなっている。女子大生を取り巻く昨今の状況の厳しさについて持論を展開した後、 「で、就職どうなの?」  こちらがげんなりするほどの重々しさで訊いてくるのだ。  就職活動の厳しさは、三年生の夏休み明けに先輩が残した血みどろの足跡と共に叩きつけられたが、教員たちの思惑通り慌てふためくほど無知ではない。遅くとも三年生の秋から対策を始めなければならないと説く教員たちと、それを青ざめた顔で見つめる学生たちを、一年生から業界研究を始めていた美也子は冷ややかに見つめていた。  昨今は売り手市場だという。その不確かな言説を信じて遊びほうけてきた周りを尻目に、誰もがうらやみ、一目置くような内定先をゲットする。それが美也子の大学生活における目標であった。  であれば良かったのだが――。 「あー、就職ね」  美也子は言葉に詰まった。返事はできる。内定は取れているのだ。ただ、それに納得ができていないだけである。  美也子の目標は、誰もがうらやみ、一目置くような内定先をゲットすることだった。机の上には、四日前の夜、内定先から届いた内定通知が無造作に広げられている。  単に給料の良さだけで選んだ企業だ。いや、その業態を考えると、企業と定義づけて良いのかも微妙である。
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