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月と歩けば
何か見えない物の心地よい香りがしてハジメは夜の校舎にいた。
辺りを見回そうとした矢先、暗い廊下の先から闇が床に染み付くように迫ってきた。その時ハジメの頭の中には、燦然と輝くリゾート島が白い部屋に浮いていた。けれど曲がり角の見えない廊下を走るにつれリゾート島は白い部屋からすうと消えてしまってそして目が覚めた。
ふと枕の側を見るとビルの明かりが一陽に差し込んでいる。起き上がるとゾワリと寒い背中がありシーツが湿っていることに気づいた。ハジメは昨昼の床の中で確かにこのような寒さに襲われた。彼の感覚はそれが天井を鉄球で叩いた音を確かに聞いた。
辺りが静かなせいだと思っていたが着信音に打ち消される。立ち上がって携帯を見た。電話は妹からだった。
「今何してるの?」
「勉強」
「嘘つけ」
図星だ。
「今から何するの?」
「ガッコー行くよ」
妹はしばらく黙っていたが
「それも嘘」
と言って付け加えた。
「一体いつまでフラフラしてるの?兄さんが学校に通わないとニートって言われるじゃん」
だからなんだ。窓を開ける。ビルが聳えて、階下にライトアップされた夜桜が照らされる。春の夜風は桜を乗せる。
「着替えとご飯用意してあるから」
机、ラップがかかっている目玉焼き。用意のいい妹だ。
「わかったよ」
「今日こそ行ってね」
一周間空いてるんだからーー母親のようなセリフを吐いて電話は切られた。
確かに一周間も家にいることは申し訳なく思う。しかし
起き上がり机に座る。軋む音がする。いや痛んでいた。椅子はそういうものだろう。
問題は机の方が痛んでいることだ。
「誰?」
聞及びもしない。机にある傷が一つの文字になっているのだから。深呼吸をする。
思った以上に夜の空気は不味い。頭がふらつき、そのままベッドに落つる。
その刹那。
地面はハジメの後頭部が触れて絵の具が落ちて行くかのように世界は変貌を見せる。ドロドロと触れてしまえば水、泥、絵それに近いような世界が崩れて行く。
起き上がってみると痛いような感覚に引っ張られて起き上がるとコンクリートが痛んでビルは鉄骨が浮き出ていた。
部屋という概念は存在していない。
辛うじてマンションであるという原型らしきものはあるがマンション自体は倒壊し部屋の天井は球体が差し迫ったかのように落ち、そこから漏れた光が差し込んでいた。
「ハジメ」
呼ぶ声がする。白髪の毛、白い瞳、細い、幼い、上背は妹よりも低い。身体は所々に傷が見えていて頸を撫でるように見れば鎖骨が浮き出ている。
「ここはね昼の世界なの」
「へえ」
納得できない。掠らない。違う。もっといいたいことがあったんだ。
「それ」
花が咲いていた。一輪、アスファルトを割って、天井を見つめている。
「アサガオ」
彼女はそう言い残して歩く。十歩ほど歩いてこちらを見た。
ついてこいと言ってるらしい。歩き出す。
コンクリートの隙間からアサガオに光が差し込んだ。
目が覚めた。燦然とビルは輝きそれは床先に続き壁にかかる時計を刺した。
時刻は午後十一時、遅刻もいいとこだ。
そこで久しぶりにハジメは普段着を着た。
新品の匂いがする靴を履いてドアを開けた。やけに心地よい音がした。
月と歩いているのだ。月はハジメの歩数と同じ分だけ共に動くのだから。
そうして月と歩くことが日常になっていくわけでそこに違和感、不快、何かに人々が操られているような感覚を持つ。それが不思議でハジメは何度も同じ場所を徘徊して行く。
一時間、歩き疲れてハジメは再び部屋に戻り眠る。学校の事はすっかり頭から消え失せ世界は再び絵の具のように、破れ、歪む、水、泥、絵、それ以外何もなくなる。
また、同じ場所にいた。鉄骨はとりわけ凝視しても何の変哲もなく。しかしハジメは新しい服と靴を履いていた。彼女が来て歩く。彼女の後ろをついていくにである。
外に出た。廃墟だ。それでしない。都市そのものが老い、朽ちて、原型を留めておらずそのかわり一面にアサガオと思われる蔓が伸びていた。そして太陽が空を支配しハジメは久しぶりに外の日差しを浴びた。
「これ」
少女に渡された。これは葉だろうか。ハッとした。ハジメはこの木の葉を一葉の記憶の中で見たことがある。
「君は誰?」
言えた。ようやく言えた。
「私?」
首をかしげる。細い鎖骨がより浮き出た。
「えーと」
一つ呼吸があってから
「それ」
廃墟のマンションを振り返る。
その中にひっそりと眠っていた大樹の半身が覗き見える。
明らかにアサガオではなかった。
「はい」
彼女、改め大樹は抱きしめる。
心地よい香り、細い手が包み込む。
そして、世界は崩れ落ちる。陽光の差したその先から壁は溶けていきドロドロと形のないものになっていく。
気づくと白い天井が見えてカーテンから日が差し込んだ。なにもかも白い部屋で家族は泣き、妹は横で寝ていた。そうか、謎は解けた。ハジメは息を吸い込んだ。妹とハジメを挟む机には丁寧に活けられたアサガオとサプリメントの小瓶が日差しを受けている。
もう月と歩くこともないだろう。
某日都内で違法薬品を販売していた業者が逮捕された。業者はストレスの改善を謳いチョウセンアサガオの種をすり潰した薬品を違法と知りながらネット通販を通じて販売しており都内では百数名が未だ昏睡状態に陥っている。現在警察は見つけ次第即日回収を行なっている。
チョウセンアサガオ・・・葉、花は無害だが種は幻覚症状と浮遊感を感じさせる症状がある。霧状にして使用する場合もありその場合は麻酔成分にも近くなる。
花言葉は「夢の中」
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