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3.父の告白
――あの日記、あれは真実なのだろうか
私は心の中に小さな棘を抱えたまま過ごした。そして十九歳の誕生日前夜、意を決して父に尋ねた。
「ね、私本当は母さんの本当の娘じゃないんでしょ? 鏡台に隠してあった日記、あれ見ちゃったの。途中までしか読めなかったけど」
努めて平静に話そうとしたがいつの間にか声が震えている。父は黙って聞いていた。
「えーと、ね、憎い女の子供を引き取ったってとこまでは読んだの。小さな文字で一杯書かれたページ。そこから先は読んでない。できれば続きも全部読みたいの。私、本当のことが知りたい。もう子供じゃないんだから大丈夫」
父は尚も黙っていたがしばらくしてぽつりと言った。
「母さんはね、心の病気だったんだ」
意表を突く言葉に私は何も言えないまま父の顔を見つめていた。
「あれは母さんの妄想なんだ。あの時期母さんは自分と恋人を引き裂こうとする女がいるっていう妄想に取り憑かれてしまってね。カウンセリングに通っていたんだ。日記も治療のひとつで、思ったことを吐き出すための訓練だったんだよ。お前が読んだのは病状が一番悪化していた時期だからね、妙な内容ばかりだっただろう。あの後しばらくしてよくなっていったんだ。よくなってからは自分でその日記を読んで『まぁ、すごい妄想』なんて言って笑っていたもんだ。私小説家になれるかしら、なんて言ってね。驚かせてすまなかった」
そしてこう続けた。
「遺品整理のときお前が日記を読んでしまったんじゃないか、とは思ったんだ。でも母さんは自分が心の病だったことをお前に知られたくないと言っていた。だから有耶無耶にしてしまった。悪かったな」
――母さんの妄想。そうか、あれは全部妄想だったんだ。
「な、なぁんだ」
私はへなへなと全身から力が抜けていくのを感じた。そして母さんの笑顔を思い出した。花言葉を伝えたときの母の笑顔を。
(そうよね、あんな笑顔で私を見ていた母さんが私を殺そうと思っていたはずないよね。ごめんね、母さん)
それきりその話を父娘ですることはなかった。そして翌年、父が急死する。私が二十歳になったばかりのことだった。
――二十年後、この家では盛大な葬儀が挙げられる
父の葬儀で私は不意に日記の一節を思い出した。一瞬何か言い知れぬ恐怖を感じたが慌てて首を振り自分に言い聞かせる。あれは母さんが心を病んでいたときの妄想。意味なんかあるはずない。偶然なのだ、と。でも確かにこの家で私の二十歳のお祝いがされることはなかった。
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