一色の下

3/15
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ
 フロアでは他にも、半袖短パン姿の職員たちが歩き回って、手際よく入所者たちを誘導している。ちょうど入浴の時間なのか、長椅子には頭を濡らした入所者たちがいて、彼らの頭を職員が一人ずつドライヤーで乾かしていた。  母はそんな忙しさとは無縁とばかり、澄まし顔でデイルームの奥に座っていた。春物のセーターの上に羽織り物をまとい、帽子も被っている。介護が始まってからは見る機会がなかった、母のおめかしであった。 「碓氷さん、良いですか」  藤村さんが母の傍にしゃがんで声をかけた。車椅子に座る母は、歳の割に多くの歯が残る口で笑った。 「今日は良い天気ですし、桜もきれいだと言うから、外へ行ったら良いと思うんです。どうでしょう」 「でも、わたし一人で?」  母は表情を曇らせた。家を離れる時に見せた顔が重なって見えた。 「ちゃんと案内してくれる人がいますよ」  藤村さんが振り返り、母もつられたように振り仰いだ。春之は腰をかがめ、母の顔をのぞき込む。大人になってから向き合ったことのない顔の前で作った笑顔は、ちょっと引きつったものになった。 「この人、新しい先生かしら」
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!