地蔵

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地蔵

「はあ・・・」  男が一人トボトボと真冬の夜道を歩いていた。歳は30代くらいに見えるがヨレヨレのコートを着たその姿は男を実際よりも老けてみせた。男の右手には紙袋がぶら下がっていた。  今にも電柱に衝突しそうなほど、前を見ないで俯き加減で歩いていた男は、ふと少し先の道端に何かがあるのに気付いた。近づいて目をこらすとそれは地蔵であった。一体の地蔵が立っていた。高さは男のももくらいで右手に錫杖を持ち左手で何に対してかはわからないが祈っていた。  首に巻いた赤いよだれかけは風雨にさらされ、擦り切れており、いかにも貧相な感じがした。地蔵の前に置かれた賽銭箱には、もう何年前に入れられたものなのだろうか、真っ黒に汚れた五円玉が何枚か散らばっていた。  男は歩くのを止めて、しばらく一人ぼっちで佇む地蔵を眺めていた。 (寒そうだな。) 男はそう思った。そして右手にある紙袋を見た。そこには女の子向けの可愛らしいカラフルな服が何着か入っていた。男は紙袋の中を覗き込んだまましばし考えてみた。これは実の娘のために用意したものである。しかし、娘がこれを着て男にその姿をみせてくれることはなかった。そう考えたらこのまま持って帰って部屋に置いていてもホコリをかぶるだけだと思われた。 「う〜ん。本当は娘に来てもらいたかったけど・・・。まああんな様子じゃ、着てくれないだろうし。お地蔵さん着てくれるかい?」 そうして地蔵の高さまでしゃがみこんで、紙袋を開け、服を取り出した男の左手薬指にはあるべきはずのものがなかった。そう、男は離婚者だったのである。娘の親権は母親にあり、今日が娘との面会日だった。 「全く3ヶ月に1回しか会えないんだからもうちょっと嬉しそうにしてくれたら良いのにな・・・。」  男は今日を振り返ってみた。娘のために必死になって服屋を駆け回り見繕ってきた服を娘は受け取らなかった。 「ダサい!!」 これが紙袋を手に掲げた、かつての父親に投げかけられた一言であり、その日男と娘が交わした唯一の言葉だった。 「ダサいって・・・ひどすぎない?おとうさん泣いちゃうよ?」 「・・・」  もちろん目の前の地蔵が反応してくれるはずもなく、冬の夜道に冴えないオヤジの嘆き声が響くだけだった。だからと言って娘が彼のことを嫌っているわけではない、と男は信じていた。というのも今日だって、別れの際には娘は男の服の端をつまんで、名残惜しさを精一杯表してくれていたのだ。そんな娘を振り切って別れなければいけなかった男の辛さを誰がわかってくれるというのか。 「お地蔵さんには、わかんねぇよな。」  男は身をかがめ紙袋を開けて中の服を取り出す。そして簡単にお地蔵さんの前で広げて合わせてみる。男の口から笑みがこぼれる。地蔵の硬質で鼠色の肌と色艶やかな女児用の服とのギャップが面白かったのである。男は次の服を取り出し、地蔵に試着してみた。  そうやっていくつか試してみるうちに男は楽しくなってきた。持ってきた服全てを開けてそれぞれを地蔵に当ててみては、その滑稽さに笑っていた。 ふと我に帰って時計を見ると終電の時間が迫っている。男は慌てて立ち上がる。駅の方へ進もうと足を向けたが、バツの悪そうな顔で地蔵を振り返った。 「・・・悪かったよ。そんな目で見るなって。散々試着させてバカにしてサヨナラは無しってか?わかったよ。じゃあ一着やるよ。どれが良い?」 もちろん地蔵が返事をくれるはずはない。男はとりあえず一番滑稽な組み合わせを選んで地蔵に着せてみた。真冬にノースリーブのワンピースとモコモコの耳あてをつけた地蔵の姿はやはりどこか滑稽だった。 「ふふっ。じゃあサヨナラ。お地蔵さん。なんかご利益ちょうだいね。」 男は小走りに地蔵の前から去っていった。
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